茶6 ヨーロッパへの茶の伝播(茶の世界史 改版 - 緑茶の文化と紅茶の世界 メモ)と年表(主にリプトンのサイトから)

茶の世界史 改版 - 緑茶の文化と紅茶の世界 (中公新書)

を購入.

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好著.紹介文は次の通り

 十六世紀に日本を訪れたヨーロッパ人は茶の湯の文化に深い憧憬を抱いた.茶に魅せられ茶を求めることから,ヨーロッパの近代史は始まる.なかでもイギリスは独特の紅茶文化を創りあげ,茶と綿布を促進剤として伸長した資本主義は,やがて東洋の門戸を叩く.

突如世界市場に放り出された日本の輸出品「茶」は,商品としてはもはや敗勢明らかだった.読者がいま手に茶碗をお持ちなら,その中身は世界史を動かしたのである.

 

何かまとめようと思ったのですが---

ブログにまとめきれるものでもなし--

ヨーロッパへの茶の伝播についての「備忘」メモをそのまま掲載します.

他の方に見せるためのものではありませんが,今日は時間がなく.すみません

 

末尾には「ヨーロッパへの茶文化の伝播と紅茶の日本への輸入」の年表を掲載.リプトンのサイトにあった表に項目をいくつかつけ加えたものです.

これも何の説明もなくすみません.

 

ヨーロッパへの茶の伝播

◎ヨーロッパ人は茶に対する好奇心をかき立てられた

▽1596年 オランダ人リンスホーテン『当方案内記』第26章ヤパン島について

(イタリア人宣教師らたちからの聞き書き?)

「ヤパン島には,多種多様の魚がいて,かれらは魚を大いに好む.また,あらゆる種類の果物がある.家屋は一般に板葺きか藁葺きの木造で,美しく巧妙にできている.立派な筵(むしろ,マット)で部屋部屋を飾った,富裕な,そして有力な人びとの家屋が特に美麗なできばえである」

「種々さまざまな手職をもつ優秀な職人と創意に富んだ名工がいる」

「あたかも宮廷でも養育されたかのように礼儀作法がすこぶる優雅」

「食事についてのしきたりは,めいめいが自分だけの小卓につき,食卓げけやナプキンは用いず,中国人と同じく二本の小さな木で食べ,米で醸造した酒を飲むのであるが,この酒を飲んでかれらはよく酩酊する.

かれらは食後に,ある種の飲み物を飲用する.これは小さな壺(ポット)に入った熱湯で,それを夏でも冬でも耐えられるだけ熱くして飲むのである.------

このチャと称する薬草の,ある種の粉で調味した熱湯,これは非常に尊ばれ,財力があり地位のあるものはみな,このチャをある秘密の場所にしまっておいて,主人みずからこれを調整し,友人や客人を大いに手厚くもてなそうというときは,まずこの熱湯を喫することをすすめるほど珍重されている.

かれらはまた,その湯を煮立てたり,その薬草を貯えるのに用いる壺(ポット)を,それを飲むための土製の椀とともに,われわれがダイヤモンドやルビーその他の宝石を尊ぶように,たいそう珍重する」

 

▽「日本人は茶を粉にして,熱湯を注ぎ飲みほす」イタリア人宣教師マテオ・リッチ(1600年代)

「日本では最良の茶は一ポンド十金エスク(約1ドル)あるいはしばしば十二金エスクで売られている.

そして日本と中国ではお茶の飲み方が少し違っている.

すなわち日本人は茶を粉にしてスプーンに二,三杯茶碗に入れて熱湯を注ぎ,かき混ぜた上飲みほすが,中国人は茶の葉を熱湯入りのポットに入れて,熱い湯を飲み,葉を残しておく」

 

▽オランダ人が最初に運んだ茶は日本茶

1609年,オランダ東インド会社の最初の船が日本の平戸に来航し,翌10年,オランダは平戸からインドネシア・バンタム(オランダ東インド会社本拠地)を通じヨーロッパへ初めて茶を輸出した.

これがヨーロッパへもたらされた最初の茶であるといわれている.

もしそうだとすれば,ヨーロッパ人が最初に知った茶は日本の緑茶であったということになる.日本が鎖国せずにヨーロッパとの間に自由な貿易を続けていたならば,日本茶はヨーロッパでもっと知られていたかもしれない.

 

◎ヨーロッパでの喫茶はオランダから始まり,その後イギリスで定着した.

はじめは緑茶の方が多かったが,18世紀中頃以降,紅茶が中心となる.

▽ヨーロッパでの飲茶はオランダから始まる

オランダ東インド会社総督からの手紙 バタビア商館長あて 1637年1月2日

「茶が(オランダの)人びとの間で飲まれ始めているので,すべての船にその積み荷には日本茶のほかに中国の茶びんをを手配して欲しい」

 

▽イギリスへはオランダを通じて茶が入ってきたと考えられている.

1657年イギリスロンドンのコーヒーハウス「ギャラウェイ」で茶を売り出す.

その後,ポルトガルのブラガンサ家のキャサリンがイギリス国王チャールズ2世と結婚.持参金としてブラジル産の砂糖や中国陶磁器と茶などを持ち込んだことで,イギリスの宮廷に喫茶の風習がはじまった.

イギリス東インド会社が中国から輸入した茶が飲まれていたが,18世紀初頭までは,紅茶より緑茶を多く輸入していた.しかし中頃には逆転し,その後は紅茶がイギリスの茶の主流となっていった.

そして,イギリスはヨーロッパの中で最も茶を広く受け入れた国となった.イギリスに良い飲料がなかったためともいわれている.

 

▽インド茶(紅茶)の成功は,インドアッサムでのアッサム種チャノキの発見によるところが大.

1823年  アッサム種のチャノキが発見された.しかし,はじめは放置され,チャノキと認定されるのは1828年以降.

1839年にはイギリスがアッサムカンパニーを設立し,アッサム地方の開拓が本格的に.さらに1860年までには茶園はインド北部〜南部まで急速に拡大していった.

 

▽しかし19世紀中頃まで,イギリス社会では,まだ中国から輸入した茶が中心であり,この中国茶を巡ってアヘン戦争が勃発する(1840年).

 

紅茶の歴史 - 世界の紅茶と文化 | Sir Thomas LIPTON等より

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