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モモ.縄文時代後期または弥生時代に渡来し,古事記には邪気を払う霊力を持つ果物として記載されています.現代はおいしい栽培品種が数多くあります.でもいずれも明治以降に海外から導入された品種からの改良種だそうです. 桃 / 万葉集 はるのその,くれなゐにほふもものはな,したでるみちに,いでたつをとめ 大伴家持.

サクラも散り始め,モモの花が真っ盛り(多分,隣家の庭に関する限り).

桃の花はとても美しいのですが,サクラや梅に比較すると話題になることが少ないような気がします.

現在の暦上の「桃の節句」と離れすぎているせい?それとも,桃はやっぱり果実としての価値が大のため?花より団子ならぬ花より果実のようにも思います.

確かにモモって果物としても最高!ですから.

 

桃の生産のトップは山梨県

続いて福島県,長野県.岡山県は思ったよりも少ないような気がしました.

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農林水産省/平成27年産もも、すももの結果樹面積、収穫量及び出荷量

 

数多いモモの栽培品種

平成25年の収穫量ランキングは次の表の通り.

主な品種の性質も一緒にまとめてあります.品種によっていろ・味・収穫月(6月末〜8月),様々.

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果樹研究所:モモ・ネクタリン品種別栽培面積 | 農研機構 https://www.yamanashi-kankou.jp/taste/documents/cde34267-fec1-4bb5-aa0f-37131a9f28b5.pdf http://桃販売.net/breed.html

素人では品種の見分けは難しいですね--.

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 Prunus persica Akatsuki モモ あかつき - 埼玉県花と緑の振興センター

 

現在広く栽培されているモモは,明治以降ヨーロッパ,中国からの導入品種から,改良によって作り出されたものとのこと日本国語大辞典).

 

在来品種は残っているのでしょうか?

とネット検索をしてみると,研究論文の前書きとして次の記載がありました.

「モモは中国原産でわが国には縄文時代後期または弥生時代に渡来したと考えられており,江戸時代には各地で様々な在来品種が存在していた記録が残っている.

しかし現在の栽培品種は明治初年に中国から導入された‘上海水蜜桃’をもとに育成されてきたもので,在来品種はその成立に関与していないと考えられている.

明治以前の在来品種に由来するモモは今日果樹としては栽培されていないが,地域によっては放任樹や野生化したものが残存しており,一部は台木として利用されている」

土師 岳ら 植探報 Vol. 20: 53~59, 2004 https://www.gene.affrc.go.jp/pdf/publications/plant-exp_2003(20)_p53.pdf

モモは縄文後期〜弥生時代にも食べられていた:果物としては最も古くから認められていた,ようですが,その品種は現在のモモには受け継がれていないのはやや残念な気もします.

 

モモはバラ科スモモ属(サクラ属)モモ亜属

「バラ科モモ属」とするサイトがまだ多いのですが

(参照:  すもも(李)/ 万葉集 わがそのの,すもものはなか,にわにちる,はだれのいまだ,のこりたるかも 大伴家持 - yachikusakusaki's blog )

 

同じ亜属にはアーモンドがあります.

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アーモンドの育て方、アーモンドの花|東洋ナッツファンクラブ TON'S CAFE

 

またネクタリンはモモの変種だそうです(知りませんでした).

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ネクタリンとは - 育て方図鑑 | みんなの趣味の園芸 NHK出版

 

縄文後期〜弥生遺跡から発掘されるモモ.

文献としては古事記にその記載が.

しかもとてもよく知られている「四.黄泉国」の場面です

福永武彦訳「現代語訳古事記」から要約します.

最愛の妻イザナミに先立たれたイザナギノ命(ミコト)が,もう一目妻に会ってみたい気持ちをとどめることができずに,黄泉国(よもつくに⇒夜見之国よみのくに)へ降った.

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 イザナギは「私のすがたをごらんにならないよう」という妻の言葉をやぶり,全く変わり果てた姿を見てしまいます.

体中に蛆と膿.腐れ果てた体からは八柱の雷神(イカヅチノカミ)が生まれ出ていました.

恐れおののいたイザナミノ命は一目散に逃げ出します.

「あなたという方は,私の恥ずかしい有様をごらんになりましたね」

イザナミは悔しげに叫び黄泉国の醜い女神達の群れに命じてあとを追いかけさせます.

イザナミは一心に逃れ走りますが,危なくなったので,かみを縛ってあった黒い蔓(つる草を束ねた冠)を取り外して後方に投げ捨てます.地に落ちた蔓は野葡萄(のぶどう)の実となって生え,女神達がその実を摘んで食べ始めた間に遠くへ逃れます.

しかし野葡萄の実を食べ終わると女神達はまたあとを追い始め,----

イザナミはいっそうの憤怒にたけって,さらに,その身体から生まれた八柱の雷神に命令し,これに千五百人の夜見(よみ)の国の軍隊をつけて,夫のあとを追いかけさせた.------

イザナギは死者の国とこの世との境にある黄泉比良坂(よもつひらさか)にたどり着き,坂の麓にあった桃の実を三つ取りあげると,追っ手を待って激しくこれを打ち付けます.その勢いに夜見の者どもは恐れをなして,ことごとく逃げ帰ってしまいます.

やっとのことで逃れたイザナギノ命は桃に対しこう言います.

「お前は今,私を助けてくれたが,ありとあらゆる命すこやかな人たちがもしや辛い目にあって苦しむことでもあれば,私同様に助けてやっておくれ」

そして,大神の実という意味の「おほかむづみの命」という名前を桃に与えました.

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イザナミは最後に自ら夫のあとを追って迫ってきます.

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この物語の内容は知っていましたが,桃が出てくること,そして神様の名前を頂いていたなんて,全く知りませんでした.

 

万葉集には,桃を詠んだ歌は七首あるそうです.

 山田卓三先生の「万葉植物つれづれ(大悠社)」によると

 桃は中国原産で,中国では果物の王とされています.仙木ともされ,「古事記」に桃は邪気を払う霊力を持つとあるのも,中国からの思想です.桃を若い女性にたとえた詩は「詩経」にもあり,花を結婚に,実を結婚して生まれる子宝に,枝葉を一家一族の繁栄にと,嫁ぐ娘にたくしています.桃の字は,実がたくさんなること,または,亀甲を焼いてできる裂け目ととると割れることに由来しています.桃割という女性の髪型も桃の形から来ています.

 

桃 / 万葉集

はるのその,くれなゐにほふもものはな,したでるみちに,いでたつをとめ

春の苑(その),紅にほふ桃の花,下照る道に,出でたつ少女(をとめ)  大伴家持 (第19巻 4163 4139

春の苑,紅にほふ桃の花,下照る道に,出でたつ少女

 

斎藤茂吉 万葉秀歌

大伴家持が,天平勝宝二年三月一日の暮れに,春苑(はるのその)の桃李の花を見てこの歌を作った.

「くれなゐにほふ」は赤い色に咲き映えること,

「した照る道」は美しく咲いている桃花で,桃の木の下かげまで照り輝やくように見える,その下かげの道をいう.

「橘のした照る庭に殿立てて酒宴(さかみづき)いますわが大君かも」(巻18・4059),「あしひきの山下(やました)ひかる黄葉(もみぢは)の散りのまがひは今日にもあるかも」(巻15・3700)の例がある.

春園に赤い桃花が満開になっていて,そこに一人の少女(嬬)の立っている趣の歌で,大陸渡来に応じて,また何となく中国の詩的感覚があり美麗にして濃厚な感じのする歌である.

こういう一種の構成があるのだから,「いで立つをとめ」と名詞止めにして,堅く据えたのも一つの新工夫であったろう.

そしてこういう歌風は時代的に漸次に発達したと考えられるのが,家持あたりを中心とした一団の作者によって進展したと考える方が良いようであるし,中国文学あるいは美術の影響が,ようやく浸潤したようにおもえるのである.

曹子健の詩に「南国に佳人あり,容華桃李のごとし」の句がある.こういう感覚的な歌には「なでしこが花見る毎にをとめ等が笑ひ(えまい)のにほい思いゆるかも」(巻18・4114).「秋風になびく河傍(かわび)の和草(にこぐさ)のにこよかにしも思ほゆるかも」(巻20・4309)などがあり,共に家持の歌だから,この桃の花の歌同様家持の歌の一傾向であったといいうると思う.