桃の実を詠んだ短歌3  桃は,中国では,そして日本でも,古来魔を払う力を秘めているとされていました.黄泉の国から逃げるイザナギは桃を投げて追つ手から逃げることができました. 新鮮な桃よ桃よ桃売りの叫ぶこゑが真昼の坂にす 樋口美代  病み妻に白桃とどけたしといふ舅を連れてゆく日ざかりの道 伊藤雅子  追熟せよといふ桃盛りあげて部屋かぐはしくひと日はありつ 後藤直二  しばしばも見つつまことに死にゐたり大きな水蜜桃供へられ 馬場あき子

今日も雨はほとんどふらず.しかし,富士も見えずの1日.

夕方から風も強まり,明日は嵐?予報では小雨ですが.

 

今日は,桃の実を詠んだ短歌の三回目.

第一回に取り上げたように,桃の実は,万葉集に取り上げられていて,ここで,毛桃と呼ばれているのが,現在の桃と考えられるようになっています.

 

はしけやし我家の毛桃本(もと)をしげみ花のみ咲きて成らざれめやも  作者未詳 万葉集 巻七 一三五八

(愛おしい私の家の毛桃はこんなに繁っているのですから、花だけが咲いて実がならないなんて、そんなことはないでしょうね。楽しい万葉集

 

 

やはり奈良時代に編纂された古事記にも桃が登場することはよく知られています.

伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が黄泉(よみ)の国から逃げ帰ったときに、桃の実で難を免れた話ですね,
 
以前も取りあげましたが,再掲します.

福永武彦訳「現代語訳古事記」よりの要約です.

https://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2019/02/20/021546

イザナギは「私のすがたをごらんにならないよう」という妻の言葉をやぶり,全く変わり果てた姿を見てしまいます.

体中に蛆と膿.腐れ果てた体からは八柱の雷神(イカヅチノカミ)が生まれ出ていました.

恐れおののいたイザナミノ命は一目散に逃げ出します.

「あなたという方は,私の恥ずかしい有様をごらんになりましたね」

イザナミは悔しげに叫び黄泉国の醜い女神達の群れに命じてあとを追いかけさせます.

イザナミは一心に逃れ走りますが,危なくなったので,かみを縛ってあった黒い蔓(つる草を束ねた冠)を取り外して後方に投げ捨てます.地に落ちた蔓は野葡萄(のぶどう)の実となって生え,女神達がその実を摘んで食べ始めた間に遠くへ逃れます.

しかし野葡萄の実を食べ終わると女神達はまたあとを追い始めたので,今度は,櫛を後に投げ捨てると,タケノコが生えてきました.女神たちがタケノコを食べ始めます.その間に,また遠くに逃げました.

イザナミはいっそうの憤怒にたけって,さらに,その身体から生まれた八柱の雷神に命令し,これに千五百人の夜見(よみ)の国の軍隊をつけて,夫のあとを追いかけさせました.------

イザナギは死者の国とこの世との境にある黄泉比良坂(よもつひらさか)にたどり着き,坂の麓にあった桃の実を三つ取りあげると,追っ手を待って激しくこれを打ち付けます.その勢いに夜見の者どもは恐れをなして,ことごとく逃げ帰ってしまいます.

やっとのことで逃れたイザナギノ命は桃に対しこう言います.

「お前は今,私を助けてくれたが,ありとあらゆる命すこやかな人たちがもしや辛い目にあって苦しむことでもあれば,私同様に助けてやっておくれ」

そして,大神の実という意味の「おほかむづみの命」という名前を桃に与えました.
 
桃は,中国では,古来魔を払う力を秘めた仙木でした.6世紀の書にすでに記載があるそうです(ニッポニカ)
古事記イザナギが投げた桃も,その影響を受けたと考えるのが妥当かと思いますが,日本神話ということで,そのような直接の言及をあまりみません.
平安時代にも,桃の魔を払う力は信じられていていました.ただし,桃の実というより桃の木の力(仙木)ですが.
例えば,改訂新版世界大百科事典によれば:
▽12晦日の宮中の追儺(ついな)には,陰陽寮から桃の杖(つえ)と弓,葦矢(あしや)が配られ,疫鬼を駆逐した(延喜式).
▽正月の卯杖にも桃が使われた.
▽三月節供と桃との結びつきはすでに平安時代に見られ,5月の蓬(よもぎ)・菖蒲(しようぶ),9月の菊と同様に,桃の呪力で病魔や災厄を払おうとしたのだろう.
 
 
桃の実を詠った短歌3
(古今短歌歳時記より)
 
新鮮な桃よ桃よ桃売りの叫ぶこゑが真昼の坂にす  樋口美代 走者われ
 
病み妻に白桃とどけたしといふ舅を連れてゆく日ざかりの道  伊藤雅子 ほしづき草
 
あしびきの山の泉にしづめたる白桃を守れば人遠みかも 前登志夫 霊異記
 
追熟せよといふ桃盛りあげて部屋かぐはしくひと日はありつ  後藤直二 印象化石
 
しばしばも見つつまことに死にゐたり大きな水蜜桃供へられ  馬場あき子 雪木
 
しずかなる夕暮れは来て白桃を洗えば死人の首を思いぬ  松坂弘 石の鳥
 
とつくりと掌(て)の上の見てをりて一筋の窪あるを羞(やさ)しむ  今野寿美 世紀末の桃