「損か得か」の時代の果てに 内山 節
時代を読む
東京新聞11月15日 日曜日 朝刊
これからの歴史は,トランプ時代とは何だったのかを検証していくことになるだろう.
トランプ時代のはじまりは,一九八九年にあるように私には感じられる.
この年,東西を分けていたベルリンの壁が崩された.二年後にはソ連が崩壊する.
かつてのソ連,東欧圏には根本的な問題があったことは確かだ.しかし,この出来事は,理念や思想をめぐる対立の決着ではなかった.
私はその頃,しばしば東西ベルリンまで足を延ばしていたけれど,勝利したのはお金でしかなかった.東側には,西側に加わればお金がもうかるという空気が広がり,西側には市場の拡大が金もうけの機会を増やすことへの喜びがあった.
いわば金もうけの自由こそが,この出来事の勝者だったのである.
そしてこの頃から,世界は急速に理念なき時代に入っていった.金もうけに成功することが勝者になる道だという雰囲気が,世界をおおっていく.
自分の利益,企業の利益,自国の利益がすべてになり,その結果社会が崩れようとも,そんなことには関心をもたない人たちが跋扈(ばっこ)するようになった.
これからどんな社会をつくりたいのかという思いは後方に押しやられ,損か得かがあらゆることの判断基準になる,そんな時代が生まれた.
その背景のひとつに,東側の国々では,社会主義という理念,思想が抑圧装置だと感じる人たちがふえていたという現実があった.
理念なき時代は,その抑圧からの「解放」だという感情をも高めたのである.
この動きは,かたちを変えて西側でも起こるようになった.
西側の理念である近代的な理念,すなわち自由や平等,人権,民主主義などは,この理念を支配するエスタブリッシュメントたちによる,支配,抑圧の道具であると感じる人たちを生み出していることに,世界は気づかなかった.
近代的な理念を語る人たちが社会の上層をかたちづくり,上から目線で自分たちに従属を強いてくる.それが近代的な社会のかたちだと感じる心情が,西側では広がりはじめていた.
こうして理念なき時代は,理念を抑圧の道具だと感じる人たちの反乱を生むことになった.そして政治家たちは,この反乱を自分の政治的基盤にしようと扇動した.自分こそが多くの人たちを得させる政治家だというかたちで.
トランプ大統領が誕生した背景には,このような社会変化があったのだと思う.
社会は理念なんかでできてはいない.得するか損するかで動いているのだ.そういう感情をあおりながら,トランプ大統領は生まれた.英国の欧州連合(EU)離脱問題でも,問われたのはこれからの社会の理念ではなく,離脱と残留のどちらが得か,だった.
現在では,何の理念もなくても,自分たちに得を与えてくれそうな人を大統領や首相に選んだ国が,どれほど多いことか.
そして,これからの社会の理念を語っていないという点では,日本の新しい首相も同じだろう.
社会主義であれ,自由や民主主義であれ,近代に生まれた大きな理念が,けっこう多くの人たちの反乱を受け,他方で市場経済や金もうけの自由ばかりが跋扈する.
それが現在の世界だとすれば,この世界をどのように修復していったらよいのか.
トランプと共にあった時代は,この問いを私たちに投げかけている.
(哲学者)