クレマチス「篭口(ろうぐち)」を作出した小沢一薫(かずしげ)氏は,世界的に著名なクレマチスの育種家.International Clematis Societyの「篭口」の解説,そして,タキイの紹介記事を以下に掲載します.クレマチスの愛好家以外にはその名は知られていないかもしれません.しかし,二つの記事から,小沢氏が偉大な方だったことがよく分かります.「育種家には,私たち園芸家には想像もつかないほどの洞察力が備わっています.Kazushige Ozawaのように」

写真を送ってもらったクレマチス「篭口(ろうぐち)」

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作出した小沢一薫(かずしげ)氏は,世界的に著名なクレマチスの育種家.

http://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2020/08/21/175426

どのような方だったのか?

International Clematis Societyの「篭口」の解説,そして,タキイの紹介記事を以下に掲載します.

私は全く存じ上げなかった名前.クレマチスの愛好家以外にはその名は知られていないかもしれません.しかし,二つの記事から,小沢氏が偉大な方だったことがよく分かります.

なお,International Clematis Societyの記事は原文英文.DeepL無料翻訳の助けを借りた拙訳です.分からないところを無理に日本文としたところが何カ所かあります.誤訳があるに違いない点,ご了承下さい.

 

 

篭口 ろうぐち

Clematis 'Rooguchi'

Clematis Gallery 102 - International Clematis Society

    植物育種家はどのように見極めているのでしょうか?明らかに彼らには,私たち園芸家には想像もつかないほどの洞察力が備わっています.ある者は技術者,ある者はギャンブラー,そしてある者は先見の明のある人物です.Kazushige Ozawaのように.

彼は,観客である日本の茶道の演者にふさわしい,ニュアンスのある色の最高級の鐘型の花を想像しました.日本の茶道では,一輪の花を咲かせて式の雰囲気を盛り上げる必要があります.そのために彼はクレマチス・インテグリフォリアとクレマチス・レティキュラータを組み合わせて「篭口」を作りました.

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    クレマチス・インテグリフォリアはもちろん知られた品種で,親株として数々の成功の歴史を持っています.4枚の萼片を持つこの花は,腕が開いていたり,巻き毛になっていたり,萼片が縦に折れて真ん中で折り返されていたりと,混沌と言って良い形です.インテグリフォリアの子供たちは登攀性を持ちません.小沢氏は数え切れないほどのインテグリフォリアの交配を行い,自分の美的基準を満たしたものだけに名前を付けて育ててきましたが,一方では,苗を選択するときに,名前を付けていない花粉提供者としてそれらを用い,微妙な特徴を保存する十分なメリットを見出していました.

  対照的に,クレマチス・レティキュラータは,控えめですが確固とした存在です.熱烈と形容できるようなつる性を持ち,古典的なクレマチスのように空に向かって手を伸ばします(高さは3メートルにもなります).花色は淡い緑黄色で,ピンクや紫がかった色をしていることもありますが,この柔らかな色調は,近縁のClematis versicolor同様,花柄近くに集まっています.ブリュースター・ロガーソンは,C. reticulataを「パテ色」と表現しています.花全体の長さは平均して2.5cmです.

この種を親にする価値があるのは何でしょうか?ベルの形は通常の壺型ではなく,萼片がピンチインしてから先端がフレアアウトしているのが特徴です.C. reticulataの花の横顔は,セパルポイントが適度に広がるまで,ラムロッドのように真っ直ぐです.

小沢さんの目に留まったのは,この優雅なフォルムでした.

  「篭口」は,レティキュラータの親の花をより大きく模しており,長さ5cmほどのベル(特に初期の花)があり,太い萼片に強い稜線があり,インテグリフォリアの親の色をより濃くし,光沢を強めています.淡い縁取りが4枚の萼片を強調していますが,これはイタリアのプラムの青さです.「篭口」は若くして最初の花を咲かせても,成熟して数百個の花を咲かせても,すべての花は下向きでまっすぐな形をしていて,花の先端は洗練された曲線を描いています.このような花の均一性が,この植物に存在感を与えています.

 

  「篭口」は,その気品と色,そして長めのベルの長さから,小沢さんの切花販売には理想的な品種となりました.園芸植物としての良さに気付いたのは,国際商取引に入ってからのことです.驚くべきことに,この植物は2.5メートルの高さまで登ることができます.

これだけでは十分ではないかのように,様々な地域の庭師たちは,「篭口」がインテグリフォリアの親の驚くほどの強靭さを受け継いでいることを発見しました.クレマチス・レティキュラータは,高温多湿に耐える能力を持っています.裂片のある葉は滑らかな手触りで,美しい中緑色をしています.それは完全な太陽の下で燃えることはありません.「篭口」は,壁の上にこぼれ落ちたり,春に咲く低木に夏の花を咲かせたり,C. 'Huldine'のようなクレマチスの仲間と組んだりすることができます.

    悪いところは,「篭口」の若い株やストレスを受けた株には,粉状のべと病が発生する傾向があることです.この問題に対処するための最良の方法は,病気にかかった植物を地中に強く剪定して,きれいな新芽と十分な再開花をさせることです.成熟した株や部分的に日陰になるような場所で,定期的に水やりをしていれば,べと病にかかることはほとんどありません.

 

    クレマチス「篭口」は,瞬く間に不動の人気を誇るようになった植物であり,小沢氏の遺産である繊細なクレマチスの中でも最も印象的なクレマチスと指摘する人もいるかもしれません.小沢氏は,クレマチスの原種クレマチス・インテグリフォリアと余り目立たない北米産のクレマチス・レティキュラータから,画期的な交配を実現させました.

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クレマチスに魅せられて

竹間幹好

https://www.takii.co.jp/flower/bn/pdf/20120124.pdf

  クレマチスの育種家として数多くの美しい花を世に送り出した小沢一薫さんが逝って,早8年が経とうとしています(2003年逝去).

今でこそ,街のおしゃれな花屋で,時折,小さな壺形のクレマチスを目にするようになりましたが,小沢さんは30年以上も前にこの小さな花の魅力にいち早く着目し,その交配,育種,生産に精力的に取り組んでいました.

小沢さんは1922年に川崎市の農家の長男として生まれ,戦後,バラの苗作りと露地切り花の栽培,さらに,シャクナゲツツジなどの花木の栽培を始めました.その後,1950年代後半から約10年をかけてバラからクレマチス栽培へと移行し,クレマチスの先駆者となるのです.

当初,バラと同じように繁殖は接ぎ木で行っていましたが,立たち枯がれ病が多く発生してうまくいかず,挿さし木による繁殖の研究に取り組みました.10年間の試行錯誤の末,パーライトによる挿し木法を確立し,クレマチスの大量生産を可能にしました.現在,これほどにまでクレマチスが流通するようになったのは,小沢さんの功績によるものといえます.

 

  1960年代からは育種を手がけ始めた小沢氏.'マダム・バンホーテ'と'ザ・プレジデント'との交配種「川崎」や,'スター・オブ・インディア'と'クリムソンキング'との交配種の「柿生」「麻生」などは,彼の大輪系の代表作です.

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https://item.rakuten.co.jp/kadanya/10012484/

 

しかし,当時は交配のデータもなく,両親とも交配種の場合,雑種ばかりが出現してしまうため,交配から品種の固定まで長い年月と労力が必要でした.

そこで,片親に原種をもってくれば固定するのではと考え,交配親とするための原種を探し求めることとなります.

当初は国内外の種苗会社からタネを入手していましたが,その後,1980年ごろから自ら原種を探しに世界中のクレマチスの自生地を巡る旅が始まりました.優れた原種の選択こそ,育種の鍵を握ると考えていたようです.

----中略

そんな中,アメリカのクレマチスの原種のタネを入手するという機会にも恵まれ,1988年,クレマチス・インテグリフォリアにユニークな形を持ったアメリカの原種クレマチス・レティキュラータを掛け合わせることによって,小沢さんの代表作ともいえる'篭口'が誕生しました.

小沢さんは,育種を試みる若い生産者にいつも次の3つのことを話していました.①多くの人にかわいがってもらえる花であること,②丈夫で育てやすいこと,③繁殖がしやすいこと.'篭口'は,まさにこの3つを満たすものでした.

 

  1989年,クレマチス・インテグリフォリアの切り花生産を本格的に開始しました.当時の日本では,クレマチスの切り花といえば大輪系がほとんどで,最初は下向きの小さな花は,市場から見向きもされませんでした.

しかし,日本でフラワーアレンジメントの先駆けとなった高橋英順さんの目にとまり,一躍脚光を浴びることとなります.時はまさに,西洋から入ってきたフラワーアレンジメント隆盛の時代に入りつつあり,小沢さんの作り出す花は,この時代の要求に応えたものでした.

小沢さんが作出した壺形品種は,先天的に優れた特質,形質を持ったアメリカの原種が,日本の土壌,気候と出会い,小沢さんの手によって見事に結実したものといえるでしょう.

小沢さんは「育種は,長い経験と卓越した技術に裏打ちされ,そこへ勘とひらめきが加わって初めて実を結びます.人間の考えていることと,植物の持っている生理とが一致すればよいのですが,それがなかなか難しいのです.あきらめずに何にでも挑戦すること,飽きずに続けることが大切です」という言葉を,次世代に向けて残しています.

小沢さんは,育種にあたって,色,形,質など,購買層が何を求めているかを常に模索していました.鉢物用,切り花用,フェンス・垣根用といった使用目的によって選別の指標も定めていたのです.

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https://item.fril.jp/a759b65a49932a2248e63684a7a6b092

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https://clematis-net.com/item/876/

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