子供の頃見たSF映画の「公営施設」.現実はもうそこまで来ていた 青木るえか
連載テレビ健康診断 週刊文春 2019年6月27日
全身マヒしてやがて人工呼吸器によってしか延命できないという難病にかかった女性が安楽死を求めてスイスへ行く.
もちろんそこに至るまでにいろいろな葛藤がありさらに審査もあるが,彼女は揺らがない.スイスに行って死ぬ.その死の瞬間までカメラが撮る.
この番組が視聴者に問いかけたいのはきっと「人間の尊厳とは.それを守るための決断とは」というようなものだと思う.
受け取る側としては
「安楽死を容認したら今の日本では難病患者が逆に追い込まれる」「いや死ぬことがある種のセーフティネットに」とか議論は尽きない.
とにかくいろんなことを考えさせる映像がそこにはあった.
しかし私が何よりも怖ろしかったのは「合法的殺人(それが自ら点滴の栓をあけることによってもたらされる自殺であっても)現場の,人工的明るさと穏やかさ」だ.
病院で医師の最終面接を受け,OKが出たら翌日に執行.
その執行現場は明るくオープンでテキパキとしていて穏やかで平静.
以前公開された東京拘置所の刑場が,皇居の宮殿竹の間的な静かな整い方をしていて気味が悪くてしょうがなかったが,この安楽死現場の明るさも同じように気味が悪い.
『ソイレント・グリーン』という近未来SF映画に「公安安楽死施設」が出てきて,心地よさそうなリクライニングシートに横になり,美しい自然の映像の中,ベートーベン『田園』を聞きながら死ぬようになっていた.
子どもの頃に見てすごく気持ち悪くなったが「これは映画だし」と心を落ち着かせていた,あの場面と似ているではないか(調べたらこの映画,2022年の設定!この世界はもうそこまで来てる!).
1973年のアメリカ映画の中で想像された『未来の安楽死施設』も,現在の安楽死施設も刑場も,『合法的に人を殺す装置を真面目に,人道的に考えると,こういうふうになってしまう』のだ.
その形がたまらなく気持ちが悪い.やっぱり不自然なのだ,「合法的に人を殺す」ということは.
それは安楽死が正しいとか正しくないか,自分ならどうかとかは無関係に.
途中,くじけそうになりながらも見終わったら『サンデースポーツ』が始まった.
急に明るい(当たり前だ).
まだ胃の腑に鉛をのみ込んだみたいになってる私に,コメンテーターで出てきた元広島の達川が,ヤクルトの連敗に触れながら「ぼくも監督時代カープ13連敗の記録持ってますから!今まで健康だったのがそれで血圧ドーン」.
ダッハッハッハァと笑いながらまくしたてる.
安楽死から達川の笑顔,本当に助かった------.その効用を期待してその日の達川起用ではないかと思うが.