トリアージ / 選別は人を変える / 同僚や利用者の人たち、その親の生き様から何一つ豊かな関係を拾えなかったほどに、彼の内面がやせ細ってしまったのはなぜ /そこでの体験がそう思わせたのですから、施設の存在を少なからず認めていた私たちにも責任のある話 / 手紙には、一跳びに国家の役に立つ人間に駆け上ろうとする必死さが / 自分も差別的な意識を隠し持っているのではないかと、そのことに気づいていくことの難しさ 戸恒香苗さん 子供問題研究会

「やっぱりゴチャゴチャと一緒に居よう!!」

「ゆきわたり」495号(発行 子供問題研究会)より

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 第42回子供問題研究会・春の討論集会

子供問題研究会の「春の討論集会」は,今年で第42回を迎えます.そして,この春討と同じぐらい回を重ねた静岡県青部での合宿が,昨夏で幕を閉じました

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青部合宿の前日に「津久井やまゆり園」で,障害を持った人たち45人が元職員に殺傷されるという陰惨な事件が起きました.どんなに正当化しようとしてもしきれない蛮行でありながら,「障害者は生きていても意味がない」という言い草には,それを言わせてしまった何かが,この社会にあるのではないかと,改めて問い返していかねばと思います.

さまざまな理由で地域から離れ,施設に集められて暮らしている人たちがいます.そのことを私たちは「共に」と言いながらも見過ごしていることの隙間を,どう埋め合わせていけばいいのでしょうか.

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司会より

津久井やまゆり園で起きたことに直面して「共に生きる」ことを考える

司会 戸恒香苗(加須市

私たちが青部に出発する前日の8月26日、津久井やまゆり園で19人の人たちが殺されました。元職員が、「障害者は不幸を作る、障害者は役に立たないからいらない」と言って、その言葉通りにやまゆり園の人たちを襲ったのです。

翌朝、青部に出発しようとした時、浪川新子さんから電話が入ります。この事件にめちゃくちゃ怒っていました。私は何がおきたのかと驚いている状態で、彼女の怒りについていけず、そんな私にも怒っていました。青部に来たことのある女性が殺されたと教えてくれました。青部が今年で最後の前日に、こんな事件が起きるのは、象徴的なことだと言って、あんたは何をやってきたのと、その勢いから責められているようにも聞こえましたが、彼女自身にも怒っていたのかもしれません。一年に一回、皆とごちゃごちゃと暮らす青部がこの事件の前にくすんでしまうような気がしました。新子さんは、あからさまな「障害者はいらない」という言葉にどう対峙していったらいいのか、あんたも、自分もどうするのよとカツを入れていたのです。そして、この事件を青部で皆と話してと言って電話が切れました。

 

青部の夜、この事件について皆で語りました。町の中で暮らすことが、この事件への答えではないかと元木さんが語りましたが、春討では後藤さんと共に、この事件で考えたこと、子どもたちとの生活から感じたことを話していただきます。

また、学生時代から子問研とも関わりのある藤内さんが参加してくださいます。開かれた施設「日野療護園」を仲間と共に作り、現在、小平で「NPO法人だれもがともに」を運営し、地域で暮らす障害を持った方たちの生活の応援をしています。障害を持った人たちとよりそって生きてきた体験から、この事件をどう捉えているのかを語っていただきたいと思います。

 

生活に入り込む優生思想

こんな事件が起きたということは、私たちの知らない淀みが水面下にあって、噴き出すほどに増殖していたということでしょうか。いえ、知らなかったというのは嘘で、生活の中に入り込んでくる「優生思想」を根っこに持つものに、日々私たちは取り囲まれていることに気づいていましたし、時にはぶつかってもいるのです。優生思想は新しい顔をして、私たちの生活に浸透してきているのだと思います。

この間の出生前診断の問題は、胎児に障害が見つかったとき妊婦の90パーセントが中絶を決断すると言います。次々と新しい診断法が作られ、受ける側も念のためという程度の意識で受けてしまい、いざとなって自己決定を迫られてしまいます。検査を実施する側は中絶を強制しているのではなく、個人の決定でなされているから、ナチの時代の優生思想ではないと言います。

また、老人医療の場面で、本人の家族の希望ということで、延命治療はなされなくなっています。私は、母があと数か月の命と診断され入院した病院では、医者から「一切の延命医療はしません」言われ、医療の側から言われたことに驚きました。私の周りでも、家族に迷惑をかけてまで長生きはしたくないという声を聴きます。だから延命治療は望まず、尊厳死と言い換えられていきます。この意識は、もう先取りされ、本人が決めているのか、医療の現場ではすでに安楽死尊厳死らしきことは行われてると思います。超高齢化を迎え、医療費の赤字やら、介護者の不足やらが取りざたされて、なんとなく遠慮させられて行く空気の中で、安楽死尊厳死の法制化・制度化による命の選別の方向へ行ってはならないと考えます。

 私は医療の場にいたのですが、臓器移植を待つ親子に病棟で会うこともありました。移植の順番をいつか来ると何年も待っているのです。医者の中には、疑問を持っている人もいました。私もその親子の思いの前に何も言えませんでした。ある人が脳死判定され、死んでいないのに死とされ、移植される臓器が出て来るのです。“命”のやり取りがあることの矛盾を私たちの社会は作り出してしまっています。

 

トリアージをすることで起きたこと

私のいた病院では、医療従事者は定期的にe-ラーニング(パソコンを使った研修)が義務付けられていました。ここで、初めてトリアージというものがあることを知りました。災害・事故現場で大勢の負傷者が出た時、その重症度によって治療の順番を決めるのですが、足に付けたタグの色で選別され、軽傷、死亡者の治療は緊急の人の後になります。私の習ったのは、医療従事者が災害時に院内トリアージをしていく方法でしたが、緊急時にはこういうものが必要なのかと、すんなり納得していました。しかし、これは、使い方でまさしく命の選別になることを知りました。

『メモリアル病院の5日間』(シュリ・フィンク著KADOKAWA)という本があります。2005年アメリカ・ニューオリンズがハリケーンカトリーナに襲われ、町は洪水で、いくつもの病院が4、5メートル浸水し多くの患者を抱えて孤立します。その中のメモリアル病院(入院患者200人)で起きた取材記録です。病院は電源を失い、エレベーターは使えず、水道は止まり、逃げ出すスタッフもいて、患者は劣悪な医療環境に置かれてしまいます。外では銃を持った人間が徘徊しているという噂が飛び、病院が孤立します。

その中で、脱出する患者のトリアージが行われ、軽症の患者からヘリコプターによる救出が始まります。移送できない重症患者が残り、ある医師は医師として為すことを奪われ、恐怖に襲われ、重症の患者14人にモルヒネの注射を打ち安楽死させたのです。患者を救う使命を持つ医師が、トリアージの権限を持ち、その延長でこの人たちを何とかしなければならないという使命に動かされ、「神の手を持っている」と思い込んでいったのです。救援は1日、2日耐えれば、すぐそこまで来ていたのですが。

後に、医師は死に瀕し、苦しむ患者にモルヒネを与えることで緩和ケア―をしたのだと、安楽死ではなく、慈悲の行為をしたのだと裁判で証言しています。そして、不起訴になります。

 

選別は人を変える

一方、メモリアル病院の2倍の患者を抱えて、実際に銃を持った暴漢が周りをうろつく公立市民病院の状況も伝えています。低所得層の人々が通う市民病院は、スタッフは常日頃、混乱や危険な状況に慣れていたそうです。ここではトリアージをすることなく、でも重症患者からあきらめることなく脱出させていきました。4時間ごとに医師から用務員までが集まるミーティングを行い、情報を共有し、見たことだけを話すことに徹し、噂の拡散を防ぎ、各々が普段の仕事に徹したそうです。そのため、スッタフが浮足立つことなく一緒に協力して動き、医師に情報が届かず孤立したメモリアル病院とは、大きく違っていたのです。

長々紹介してしまいましたが、この本では、「緊急時にトリアージによる選別は避けて知恵を絞り、工夫してできることは何でもすることが大切」と結論付けています。

最先端の高度な機械を使い、なおかつ専門分野に特化した医療を行っている大学病院では、医師は患者の死を看取ることはありません。治療が終われば、患者を転院させるのです。病だけを診る状況で、同じような災害に襲われた時、当然トリアージがなされるでしょう。けれど、そのあと、この市民病院のようにスタッフが患者救出に共に動けるとは思えません。

助かる命と助からない命に線を引いて選別したとたん、医師の中で助からない命に対して何かが変わったのではないか、処理する対象になってしまったのではないか―と思います。市民病院の医師たちにとって、この人たちを楽にしてあげたいという気持ちは同じでも「慈悲の行為」は想像だにしない行為だろうと思います。

 

一跳びに国に役に立つ人間に駆け上る

津久井やまゆり園事件の植松は、「障害者は生きていても意味がない」と、人に役に立つ・役に立たないという物差しを持って人に線を引きました。何をもって役に立つというのか、誰にとって役に立つというのか、誰を役に立つ人というのか、考えてみるとそんな物差しがあっていいはずがないのです。

彼は「役に立たなければ生きている価値はない」という物差しを人に向けていたけれど、実は自分が役に立たない人になるのではないかとおびえたのではないかと、彼の生きてきた断片的なエピソードから伝わってきます。ずっと、自分を肯定できず、今も借り物の思想を語っています。複雑な関係をごちゃごちゃ考えるより、黒か白か線を引いて切り捨てる楽さに負けてしまったのだと思うのです。自分の職場の同僚や利用者の人たち、その親の生き様から何一つ豊かな関係を拾えなかったほどに、彼の内面がやせ細ってしまったのはなぜなのかと考えてしまいます。

社会は、障害者差別はないと言って「津久井やまゆり園」を作り、そこに障害を持った人を収容していていました。そこで働いていた彼が「障害者が生きていても意味がない」と思ったのです。そこでの体験がそう思わせたのですから、施設の存在を少なからず認めていた私たちにも責任のある話だと思います。

彼が衆議院議長に出した手紙には、一跳びに国家の役に立つ人間に駆け上ろうとする必死さが満ちています。国が自分に賛同するであろうという見込みで書かれています。この数年の政治が弱い人への配慮に欠けていることから見て、彼が同じ匂いを嗅ぎつけたのだといえます。

受け取った国の側は、45人の人たちが殺傷されるという犯罪に沈黙しているのが不思議です。彼の言動が優生思想に基づくものであり、社会全体への攻撃であって許されないという姿勢をきちんと示すべきだったと思います。異常な人間がやったことでコメントするに値しないとしているのでしょうが、特定の人々や少数者へのこのような攻撃に対して発言をしないことは、公的に認めているのと同じではないかと感じてしまいます。

 

「いらない命」なんてないのです!

これらのことを書きながら、自分も差別的な意識を隠し持っているのではないかと、そのことに気づいていくことの難しさを思います。

今、私は「いる命・いらない命」に線を引いてはならないと言っておきながら、植松の裁判がどのように行われるにしても、おそらく彼に死刑が言い渡されるだろうと予想しています。しかし、彼が死刑になることを認めることは、彼の命を「いらない命」とすることです。実は、彼の「いる命といらない命がある」という主張と同じことになるのではないかという文章に出会いびっくりしました(市野川容孝P94、『現代思想青土社2016/10)。私は死刑制度に反対でありながら、植松の命を「いらない命」としてしまっていたのです。公平であるためにはどう考えたらいいのか、自分の中でまだまだこのことを咀嚼できずにいます。

春討では、この事件に負けない私たちの「共に生きる言葉」を作っていきたいと思っています。(了)

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