「あの事件(相模原障害者施設殺傷事件)がきっかけになってるということは間違いない」/  「あの小説においては,敵がいる.書かれていない敵が.それは,おためごかしのこと」「僕らの現実に持っている社会自体が,実は,優生思想的である」「存在っていうのは,悲しいもんだ.明日にはわからない.そこに,善だとか悪だとかを,持ち込む必要はないことではないか」「徐々に,極めてね,極めて徐々に,しかし,極めて確実にね,ディスアピアランスが来る」 “在る”をめぐって3 辺見庸 NHKこころの時代

 “在る”をめぐって3 辺見庸 NHKこころの時代

【出演】作家…辺見庸

【朗読】ミッツ・マングローブ

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 こころの時代~宗教・人生~/宗教の時間 - NHK

 

“在る”をめぐって1 辺見庸 NHKこころの時代

http://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2019/02/02/000633

「今日は,最新作の『月』について話してくれという事できたわけですけども」「書いて良かったのか,書くべきではなかったのか」「あの事件(相模原障害者施設殺傷事件)がきっかけになってるということは間違いない」「外側から見るのではなく,内側から見るということをするにはですね,小説という手段,詩という手段を使わなければできない」「全体として,この社会というものが,あの青年を突き動かしたんではないか」

 

“在る”をめぐって2 辺見庸 NHKこころの時代

http://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2019/02/03/022302

「あの事件(相模原障害者施設殺傷事件)がきっかけになってるということは間違いない」/  「あの夏の日の未明に,ふき上がった血潮に,私たちが染まっていないわけがない」「打ち倒れた人々は,何かを感じてるか,そちら側から眺めようとする努力は,あってもいい」「在るも何も,在っちゃたんだ.はじめもへちまもない.今,在っちゃったんだと.しょうがないじゃないか」「在っちゃうものを,どのように,他者が受容できるかかどうか,ここの問題」 

 

 

「きーちゃんという,男女不明の性別不明の人物にとってではですね.在るっていうことは,必ずしも積極的な価値ではない.というふうな考え方らしいんですね.

で,無いっていうことは,必ずしも負の価値ではない.

むしろ,彼は,彼ないし彼女は,無いという状態に戻りたいとさえ,思っている.

で,そのことがですね,くしくも,はからずもですね,ネタバレするようだけれども,さとくんの行動とですね,合致してしまう.

彼は,価値のないもの,この世のために役に立たないものはですね,消去していいんじゃないかと.むしろ,消去することが正しいんではないか,それが善ではないか,というふうに思っている.

でそこに,何ていうんですか,同じレベルできーちゃんが,そのー,反発しているわけではない.むしろ,さとくんのそういう,むき出しのですね,ある種ナイーブな,格好をつけないですね,表現のしかたを,好ましいと思っている.

つまり,あの小説においては,敵がいると思うんですけども,書かれていない敵が--- まあ,ある程度,書いてもいると思うんだけれども,それは,おためごかしのことですよね.

 

おため‐ごかし【御為ごかし】〘名〙 (「ごかし」は接尾語) 表面は相手のためにするように見せかけて、その実は自分の利益をはかること。(精選版 日本国語大辞典

 

まあ,こういうことですよ.

人間には誰でも生きる価値があるんだとってことを,簡単に言う人間ですよ.そういう正論をね.

それは,僕は,おためごかしでしょっていうふうに言うわけですね.

僕らの現実に持っている社会自体が,実は,優生思想的であると.

優生思想っていうものが,そのように標榜しなくてもですね,既に社会の全体に染み渡ってしまっている.全く対象化しないまま,合法的に染み渡ってしまってしまう.

かつて行われた優生思想に基づくですね,強制不妊手術の過去に対する,あの忌まわしい過去に対する,恥と反省ってのは,あるでしょうか.

僕は無いと思う.しかたがなかったぐらい思ってるんじゃないでしょうか.つまり,そういう彼や彼女は,当事者圏に入っていないっていうことですよ.

なかなか我々は,NHKにいたり,あるいは,僕は,自分の生活圏の中にいる際にはですね,じかには,例えば,重度障害者がもたらすつらさをですね,つらさの飛沫をですね,浴びるという事はない.

生身の人たちが,リアルに生きて,息をして排泄をしながらいる現場っていうのは,あんたたちが言ってるほど簡単じゃないよ,と.それが考慮のうちにないものは,やっぱり,浅いものになりかねないっていうふうに,『月』を書いている時も思いましたね.

だから,容易じゃない.

存在っていうのは,おのずと,それ自体が,悲しいもんだと思うんですよね.

つまり,明日にはわからないわけです.

そこに,善だとか悪だとかっていうことを,持ち込む必要のないことではないか,っていうふうに,はあ--- 思うんですよね」

 

 

辺見庸『月』より

あたしは これから なにを みようとしているのだろうか.

おかしなイメージだが それは nowhereだ.

どこにもないところ.

 

かすかな予感がある

錆浅葱色(さびあさぎ)色の予感.

シャドーブルーの.

たてないはずのあたしが

無所(nowhere)にで すっくとたちあがる

あるけないじぶんが nowhereをあるく

地平線はクリムゾンレッドの虹.天穹(てんきゅう)の帯である

 

そのてまえは

みわたすかぎり

黒いごつごつとした岩ばかり

泣けないあたしが泣く

あるきながら

ぽろぽろと涙をながしている

泣けるんだ!

あたしの涙のかたまりを

透明なミズカマキリがすべっている

 

 

「ぼくらが存在するかぎりさ,風景はあると思うんだよね.

それは,例えば,視覚が不自由であってもね,想念っていうものがあって,想念には,風景がつきまとうと思うんだ.必ず.

例えば,アフリカのどっかの高原,サバンナかなんかに,きーちゃんがそのことを思ったりする.

ありえようもない話なんだけれども,そういうことを考える.

そういうことを書いてる時って,自分も,とても自由になれる,って思うんですよね.それが自分の救いのようなものになっていくのかな」

 

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 こころの時代~宗教・人生~/宗教の時間 - NHK

 

「ある,知り合いの老夫婦が今してね.桜が満開の広場を,その老夫婦と犬が,なぜか一列に歩いて行く写真を見たことがあるんですね.

他に人が,広場の中にいなくて,何か,夢のような風景なわけです.ご主人が先頭を歩いて行く.やや猫背気味に歩いて行く.その次を老婦人が歩いて行く.その後をシェパードが歩いて行くんですね.

不思議にその風景に,僕は感動しましてですね.その段階で,既に,老婦人の方は,認知症だったというふうにいわれるわけですが.ご主人の方は,がんだったらしいんですね.それから,シェパード,足の悪いシェパードもですね,追いかけるようにがんになって,倒れてしまうという事があってですね.え〜----何ていうんでしょうかね----.

それはですね.悲しみとは,そういうことではなくて,むしろ,存在というものの変化.がんで,がんが脳に転移して倒れる.で,そこから彼には,ずいぶん長い昏睡期間に入るわけですね.つまり,遷遠性の意識障害という期間に入るわけです.

「遷延」っていうのは,長引くことなんですね.延び延びになること.

延び延びにされた存在って,一体何なんだろう,というふうなオントロジー存在論)を,僕なりに考えたわけですね.

その人も,リハビリの先生に,リハビリした方がいいというふうに,無理やりというか,立たされるわけですね.両脇から,理学療法士に支えられて,廊下を歩かされるわけですね.そうすると,驚くなかれといいますか,目を開いて,ギロッと,にらむような顔をして,表情も変わるわけですね.

それは,薄れゆく意識の中で,何かを見ているという事だと思うんですね.

確かに人間は,極めて徐々に,しかし,極めて確実に,死に向かう.

けれども,そこに身罷って(みまかって)いく,移行していく期間の中で,非常に貴重な時間があると思うんです.

ジャコメッリの写真のようにですね.見てる何かがある.

そのことを,僕は想像しないといけないな,というふうに,思ったわけです.

桜が満開の中を,老夫婦と老犬が,とぼとぼと歩いて行くっていう風景が,あの〜---なんか,のどかさと,平穏さと,美しさのようなもの.静かさね.音が全部消えたような静けさがあるんですね.

その向こうに,死の世界がある気がしてたから,なんでしょうね.

それは,了解してるっていうのかな.この年になって老いて,自分が,まあ,かなり僕は,もう,歩くこと自体が,しんどくなってきて,それで,今,リハビリ始めてるんですけど.

その,老健の施設で発見したのはですね.その中にこそ,自分の似姿があった,ということなんですよ.

他者としてみていたんだけど,自分の似姿,自分そのものが,その中にいたんだなあって,思うわけですね.

で,そんなに元気じゃないから,もちろん,みんな座って体操したりしている.両手を上げたり,棒を持って,こうやったりなんかする.僕も一緒になってやるわけですね.

非常に尊いというのかなあ.こう,消失っていうのかな.あれは何ていうんだろう.ディスアピアランス(消失)って言うのかな.

死というのは,そうだと思うんですね.

人間Aの死というのは,人間Aが見てきた世界の死だと思うんですよ.全体の死だと思うんですね.消失だと思うんですよ.

それが,徐々に,極めてね,極めて徐々に,しかし,極めて確実にね,ディスアピアランスが来るんだということを,それとなく教えられている感じを受けてですね,近年の中では,最高の発見のような気がするんですよね」

 

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 こころの時代~宗教・人生~/宗教の時間 - NHK

 

辺見庸『月』より

さとくんが

なにかをやるきになっている

ひとびとのために

貢献しようとしている

本気だ

 

うすっぺらな月がいちまい

ぽかっとあがっている

 

さとくんは

自力で今日にいたったわけじゃない

おされて 吹かれて もまれて

いろいろさんざ聞かされて

とりこまれて 侵されて

つけこまれてここまできたのよ

 

翔ぶ径を断たれた夏の蝶みたいに

 

きみ わたしとあまりにもことなっているために

かえって どこかよく似たあなた

さとくん 遙けしちかさのあなた

どこにも〈場〉のないきみ

どこにも〈場〉のないわたし

 

なにもかも すべて

ことごとく癈(し)いた世界の 無-場(nowhere )---

 

癈いる からだの器官の感覚や機能を失う(デジタル大辞泉

 

 “在る”をめぐって1 辺見庸 NHKこころの時代

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 “在る”をめぐって3 辺見庸 NHKこころの時代

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“在る”をめぐって4 辺見庸 NHKこころの時代

http://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2019/02/05/010525

“在る”をめぐって5 辺見庸 NHKこころの時代

http://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2019/02/06/003812