【出演】作家…辺見庸
【朗読】ミッツ・マングローブ
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存在と非在/狂気と正気のあわいを見つめて1
「与死.終末医療の患者なんかが,対象として想定されている.ナチスドイツにも,日本の優生思想の中にも埋め込まれていた. 13人を2回にわたって,刑を執行するという事があった.相模原の事件に重なる」「在るからには,こうしなければならない,というのが国家の教えであり,さとくんの考えたことではないか.存在物に,意味を強要してはいけないと同時に,その存在を剥奪するのもいけない」
存在と非在/狂気と正気のあわいを見つめて2
「察するにですね.皆さんは,この本の,『月』という本の読者である以上にですね,私の友人だろうというふうに,私は思っているわけです.
多分,皆さんはですね,『紅白歌合戦』を見てですね,皇居に新年の参賀に行って,天皇陛下万歳と叫ぶような種類の,善良な市民の皆さんとは,全く別種のですね,政治や社会や学校や家庭と,どうしてもうまく折り合いをつけられない人たち.
まあ,私もそうですけれども.
え〜--- 僕は今,世界がですね,『世界』なんでいう,大きな言葉で言いましたけれども,あるいは,『この国が』と言ってもいいんですけど,末枯(すが)れているんじゃないかというふうに,思うんです.
勢いを失って,何か下降していく.縮んでいく.収縮していく.そういう時代に,今は来てるような,気がするわけです」
末枯れる(尽れる) ①草木などが,冬が近づいて枯れ始める.②盛りがすぎて衰え始める.(三省堂 大辞林)
「私はですね,自分を含めて,ほとんどのことが,あまり好きではなくなっている.ということがいえると思うんです.ありていにいえます.
言葉から腐っていく.言葉がほんとに気持ち悪くなっている.
だから,こういう仕事をしてると,ほんとに,やっていけなくなってる.やっていけないというふうな感覚に襲われていく.
ついせんだって,日本の本土で強制労働させられたという徴用工4人がですね,日本の企業を相手にして,損害賠償を求めた上告審があって,日本の企業側に賠償金の支払いを命じた判決があったわけです.
韓国側の異議申し立て,司法手続きを経た異議申し立てに対する憤激,だけではない,憤り,だけではない,居丈高,な,物言い.そこには,やや軽侮(けいぶ)の響きがある.
これは何なのかと.
日本政府は毅然と対応していくと言う.お金で歴史を塗り替えるっていう事ができるのかっていうことです.
さとくんとは関係がないようでいて,私は関係があると思う.
で,このことをかっこよく思う若者たちがいる.
その若者たちが,新大久保あたりで,朝鮮人,韓国人が息するな,と叫んだりする.
それを気持ち悪いと思わないのかと.
まあ,私は老い先が短いから,また,結局,自分の正体である激昂(げきこう)老人に戻らざるをえないわけですけれど.
私は,おかしいと思うし,極めて危険だと思う.
それからもう一つ.腹に据えかねること,それから,気持ち悪いこと.
「いずも」という護衛艦がありました.これを空母化する.
とんでもない話じゃないですか.我々には平和憲法というものがある.憲法9条がある.
空母というものは,明らかにアグレッシブな戦争の用具なわけです.ところがですね,こういう言い方をする.
で,これに対して,ほとんどのマスコミは抵抗できないでいる.
護衛艦「いずも」を改修して,事実上の空母化.アメリカ製最新鋭戦闘機搭載の方針.
出雲の空母化は,攻撃型の空母ではなくて,多用途運用護衛艦なんだと.
故に,憲法違反じゃない,と.
でも,誰が見たって,あれは,空母じゃないですか,と思いません?
私は,気持ち悪いんです.こういう言い逃れをするものたちと,その言い逃れを受け入れてしまう,この社会というのは,やっぱり,おかしい.
多用途運用護衛核兵器は,攻撃兵器ではないから,非核三原則に違反しない,と言う言い方だってしかねない.そうされても,『はい,そうですか』としか我々は言えない.
そんな馬鹿な話は,どこにあるのかと,私は思うんです.
なぜ,これをゆるすのか.この辺から,すごく私の話はアジっぽくなるけれど,でも,しょうがないんじゃないかっていうふうに思うんです.
私は,なるべくしたくない.アジ演説をしたくない.
なるべくかっこよく文学の話をしたい.
けれども,できないでしょう.
だって,あいつらが間違ってるわけですから.
で,怒ったら,口汚く,罵るしかない.
僕はそのことを否定しないし,反省もしないわけです.
で,僕はろくに歩けなくなりましたけれども,反対しようと思う.
例外は探せばある.
どんなに醜くても,怒る,罵倒するっていうことを,やめないでいようというふうに,私は思っているわけです.
もう,これを最後にしたいと思うんだけれども,今,サザンカとかですね,咲き残った,もう,ほとんどないですけれど,コスモスとかハナニラとか,オオイヌノフグリ,オキザリスが,ひっそりと咲いています.
東京でも咲いています.
それを,感動しながらですね,泣きながら見つめる.
最も弱いものの,吐息を聞こうとする.
それが,冒頭で言ったような,宇宙の,実は,残響かもしれない.
だから,最も弱い,消えゆくものの視線を忘れないでですね,視線を下に下に下げていくってことを,僕はやりたいというふうに,思っています.
大体,ほぼ,これで時間のような気がします.
今日は,長時間,寒い中,おつきあい頂いて,ほんとにありがとうございました」
「もっと年取ったら,折り合えるように,こう,自動的に,そういうふうに自分が老獪にっていうの,よく言うフレキシブルにとかなるのかな,と思ったら,ならねぇな.というふうに思ってるよね.
で,結局ね,ものをしゃべったり書いたりするってことはね,集中してね,結局はね,折り合わないっていうことだと思うんだよ.
折り合うんだったら,何もしゃべんなくていいわけだよね.
この話を,どういうふうにすべきかって,俺は分からないんだけどね.
まあ,多勢に無勢っちゃあ,そうなんだけども.
にもかかわらず,僕は,彼,いわゆる,僕の小説上は,さとくんとして出てくる人間を,死刑にするって言うのは,ごく当たり前のように見えて,実は,彼と同じことをやるんだってことになると思うんだよね.
ある極限とある極限,反対の極限が,同じ極限になってしまう.というのはすなわち,殺してしまうというね,え〜,ことに気がつかないと,このことは,いつまでも続くんじゃないのかな,というふうに思うわけね.
彼の行動に,正当に反撃するというか,反論するとしたら,彼を死刑にしたらいけないっていうふうに思うんですよね.彼に限らず,僕は死刑には反対なんなわけなんだけども.
あなたは,消えた方がいいと,という権利はないんじゃないかな,と思うんだよ.つらいことだよね.簡単に言うようだけども.
苦悶の末に,そういう権利はないんじゃないの,というふうに,僕は,一定の苦闘の末に,言うしかないなっていうふうに思ってるんですけどね」
「僕,よくリハビリに行くのに,小さなバスに乗って,平和な住宅街を行くわけですね.途中で,ちっちゃな畑が,住宅街の間に見えるわけですね.ちょっちゃな畑が,丁寧に作られてある.
で,そのサトイモの葉っぱに,滴というか,露ですね.---が光ってる.
もう,ものすごく感動する.
---ていううちに,今度は,突然,薄紅色とか,白とか,赤紫の色が,にじんでくるわけですね,空気が.
息をのんでしまう.美しさにですね.もう,目も染まるぐらい,きれいなわけですよ.
コスモスなんですね.
幸せっていうんじゃないけれど,えぇ,こんな世界があるんだ,というふうに思ったんですね.
でも,ここから,さとくんは,出てきたんじゃないのかなというふうに,思わないじゃないし,一皮めくると,冒頭で言ったような,血しぶきっていうのかなぁ,---が,あるんじゃないかと」
了