アナザーストーリーズ 運命の分岐点
NHKBSプレミアム
7月3日(火) 午後9時00分 アナザーストーリーズ
「We Are The World 奇跡の10時間」5
(再放送があります! 7月9日月曜日11:45~)
いよいよ最後.ソロパートを録り終えるだけとなった午前4時.
ここにも,空白の時間帯がありました.
実はこの時,あるゲストが登場しています.
アフリカ出身の二人の女性.
メイキング映像には,彼女たちのスピーチを聞いたスターたちが,次々と涙する姿が見られます.
We are the world -メイキング映像日本語訳付- 3/5 - YouTube
しかし,この午前4時の出来事.
肝心のスピーチ部分がほとんど映っておらず,一体どんな話をしたのか,謎のままでした.
今回,番組では,二人のうち一人,クリッシー・キニャンジュイとのコンタクトに成功.特別に出演してもらうことができました.
視点3: アフリカからのゲスト 悲劇を超えて クリッシー・キニャンジュイ
アフリカから来た彼女は,どんな気持ちでこの収録を見守ったのか.初めて明かす重いに迫るアナザーストーリー.
スティービー・ワンダー「エチオピアからの言葉です」
ゼムタ・アレマヨ「私の国を代表して,皆さんに感謝します.本当に有り難うございました」
We are the world -メイキング映像日本語訳付- 3/5 - YouTube
ビデオに残っているスピーチは,短い感謝の言葉だけ.アフリカからのゲストは他に「何」を話したのか.
そして,この後どうなったのか.
収録に立ち会った記者のルポ(David Breskin 「We Are The World」)にわずかに記された名前Chrissie Kinyanjuiだけを手がかりに,今回コンタクトを試みた.
その結果,
「Hi」
クリッシー・キニャンジュイ.現在66歳.
https://news.mynavi.jp/article/20180703-658744/
クリッシー・キニャンジュイ「ほーらいた.グレーのドレスを着ているのが私です」
We are the world -メイキング映像日本語訳付- 3/5 - YouTube
早速この時の事について質問しようとすると,逆にあちらから質問を受けた.
クリッシー・キニャンジュイ「日本で大きな津波があった時は,日本のミュージシャンはチャリティーをやりましたか?やったの?やってないの?どちらですか?」
記者「あれほど大きな規模では無いですが」
クリッシー・キニャンジュイ「大きさはいいの.やったのね.よかった.悲劇が起きたときに立ち上がれるかどうかが,人の本当の価値だから」
視点3 アフリカからのゲスト 悲劇を超えて クリッシー・キニャンジュイ
「We Are The World」のきっかけとなった,アフリカ・エチオピアの大飢饉.この実情を語るために呼ばれたキニャンジュイだが,実は彼女,エチオピア人ではない.
クリッシー・キニャンジュイ「私は,1982年に,ケニアからアメリカに働きに来ました.ケニアとエチオピアでは,言葉も全然違うんです.ケニアではスワヒリ語をしゃべるけど,エチオピアはしゃべらない.
でも,国境は接していて,情報は入ってきていました」
当時「東アフリカの優等生」と呼ばれるほど安定していた.
しかし,隣国のエチオピアでは,軍事独裁政権のもと,粛正や虐殺の嵐が吹き荒れていた.
クリッシー・キニャンジュイ
「実は当時エチオピアの事情について一番詳しかったのはケニア人なんです.難民や亡命者がたくさんいましたから.エチオピアは長く独裁政権で,国に都合の悪いことは報じられていませんでした」
一年の半分はケニア,もう半分はロサンゼルスで,ベビーシッターとして働いていキニャンジュイ.
1985年,ロサンゼルスの仕事仲間から,ある大スターが人を捜している事を聞いた.
クリッシー・キニャンジュイ「『スティービー・ワンダーがアフリカ出身の人を面接しまくっている』っていうんです.だから,私も行ってみたら,どこ出身か聞かれて,『ケニアです』って言ったら,『エチオピアは隣の国だよね』と言われて,だから,私,知っていることを話しました」
ケニアとエチオピアの国境は砂漠地帯.そこを1983年,ひどい干ばつが襲った.
クリッシー・キニャンジュイ
「ケニアは北は砂漠ですが,南は豊かな農作地帯だったので,なんとか助かりました.でも,エチオピアも助けを求めれば良かったんです.隣の国には食料があったんだから.なのに,エチオピアの政治家は一年近く事態を放置していました.国境一つ隔てて,救われる人と,そうでない人がいるなんて.
おかしいと思いました.その話をスティービーにしたら,『We Are The World』の現場で,話して欲しいって招待されたんです」
それからまもなく訪れた「We Are The World」収録の日.
「夜,リムジンが迎えに来たんです.私が住んでいたロサンゼルスの小さなアパートに」
現在,消息不明のもう一人のゲスト,ゼムタ・アレマヨとは,リムジンの車中で出会う.彼女は,エチオピア人だった.
クリッシー・キニャンジュイ「彼女は,飢饉で祖国の人,特に子どもが沢山なくなっていることを,とても悲しんでいました」
スタジオに入ったキニャンジュイ.スターたちの見せる表情に驚いた.
クリッシー・キニャンジュイ「思っていたのと全く違いました.
最初はスターの気まぐれでしょなんて思っていたんです.
でも,あの,マイケル・ジャクソンも,世界一のスターなのに必死な表情でした.みんな,本気で考えてくれてるんだなって分かりましたよ」
Michael Jackson - The Making Of We Are The World (Quality DVD) HQ - YouTube
そして,午前4時.
二人はスターたちの前に立つ.
メイキング映像には映っていないが,先にスピーチしたのはキニャンジュイだった.
クリッシー・キニャンジュイ
「あの時,せっかくああやって話す機会を頂いたので,思ったままを話したんです.
『今回悲劇はエチオピアで起きたけれど,エチオピアだけじゃなくて,他の国でも起こりうる.
人類はそれが起きる瞬間を,もう見過ごしてはなりません.だって,見過ごせば,人は死ぬんですから』
あの時は世界に知られるまでにあまりの多くの人が死にすぎました.
その後もう一人の彼女が,感謝を述べました.
『このことを世界に知らせてくれて有り難う』って.
We are the world -メイキング映像日本語訳付- 3/5 - YouTube
全部話が終わってスターたちを見たら,皆さんしっかり受け止めて,泣いている人も沢山いました.
We are the world -メイキング映像日本語訳付- 3/5 - YouTube
それを見て彼らならあの飢饉の悲惨さをちゃんとつたえてくれると思いました.あれは,アフリカで起きた中でも最悪.二度と起こしてはならないことでしたからね」
ケン・クラゲン
「アーティストたちが泣いているね.よく覚えているよ.
私は彼女たちのスピーチが,歌をすばらしいものにした決定的な原因だと思うよ.
誰のために歌うかがはっきりしたときのアーティストほど強いものはない」
続く