『夏の夜の博覧会はかなしからずや』その時よ,坊や見てありぬ その時よ,めぐる釦(ぼたん)を その時よ,坊やみてありぬ その時よ,紺青(こんじょう)の空!  「『その時よ,坊やみてありぬ』.『その時よ』の繰り返しで,この時というのは最も幸福な一瞬で,それを永遠のものにせずにはおかない,最も幸福な一瞬を言葉の力で永遠に留めたいっていう,中也の気迫みたいなものがあって」穂村弘 「死」を「詩」にする「中原中也詩集」2 NHK Eテレ100分de名著「中原中也詩集」(2)

中原中也詩集」 NHK Eテレ 100分de名著

第4回 「死」を「詩」にする 1月30日放送

指南役 太田治子さん  ゲスト 穂村弘さん

朗読  森山未來さん

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名著61 「中原中也詩集」:100分 de 名著

宝石とか月のかけらとか--そんな別の存在感を持ち始める“落とされたボタン”:月夜の晩に、ボタンが一つ 波打際(なみうちぎわ)に、落ちていた(月夜の浜辺 より) / 「悲しみ」と「さみしさ」をつむぐ 「中原中也詩集」(1) NHK Eテレ 100分de名著 - yachikusakusaki's blog

 

朗読

亡びてしまつたのは 僕の心であつたらうか

亡びてしまつたのは 僕の夢であつたらうか

 

ナレーション

生きることの悲しみを詩に書き続けた中原中也.人生に終盤,中也は再び,大きな喪失と向き合うことになります.『愛する息子の死』

それを氏の言葉にしようと,自らの命をすり減らしてゆく中也.そして,詩が残されました.

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— 今回は『 “死”を“詩”にする』.死がテーマになってしまいました

 

太田治子さん

「悲しいですね.中也は本当に晩年哀しい別れがありました.それを受けてね,また,すばらしい詩が生まれたという事は,また,とてもつらいことですね」

— それではまず最初に,家庭を持ってささやかな幸せを感じていた頃の,中也の詩をお聞き下さい.

ナレーション

昭和9年,詩集「山羊の歌」は文壇で好評を得て,中也は詩人としての展望に大きな希望を抱きます.東京での親子三人の暮らし.中也は手放しで息子文也をかわいがりました.昭和十一年,29歳になった中也はこんな詩を読みます.

 

朗読

「頑是ない歌」

思へば遠く来たもんだ 十二の冬のあの夕べ

港の空に鳴り響いた 汽笛の湯気(ゆげ)は今いづこ

 

雲の間に月はゐて それな汽笛を耳にすると

竦然(しようぜん)として身をすくめ 月はその時空にゐた

 

それから何年経つたことか 汽笛の湯気を茫然と

眼で追ひかなしくなつてゐた あの頃の俺はいまいづこ

 

今では女房子供持ち 思へば遠く来たもんだ

此の先まだまだ何時までか 生きてゆくのであらうけど

 

生きてゆくのであらうけど 遠く経て来た日や夜(よる)の

あんまりこんなにこひしゆては なんだか自信が持てないよ

 

さりとて生きてゆく限り 結局我(が)ン張(ば〉る僕の性質(さが)

と思へばなんだか我ながら いたはしいよなものですよ

(後略)

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太田治子さん

「故郷にいた,12歳の頃と,故郷を,汽車に乗って出てきたとき.更には,今,現在の女房,子供を持った今と---,三つの時が歌われているんですけれど,決して立身出世とははるか遠く,どうなっちゃってるんかな,自信も持てないけれども,でも,いいじゃないかと.生きてる限り,明るく行こうよ.という,何か,そういう,明るいあきらめって言うのかしらね.そこから,明るいあきらめからから,また,新たな希望が湧いてくる.そういう希望を感じさせる詩のように,私には思えるんです」

「良き女房と可愛い文也君ですよね.男の赤ちゃんが出来て,最高に,この頃(中也29歳)は幸せな気持ちになっていたんだと思うんです」

 

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穂村弘さん

「中也の詩って,すごく,“遙かなもの”への思いとか憧れが,繰り返し出てくると思いますけど,この詩にも十二歳の時の自分を憧れるというと変なんですけど,懐かしんでますよね.一方,今は,自分は女房・子供持ちになって生活世界にも生きているっていう,昔がこんなに恋しいと,女房子供を背負って生きていく自信がないよみたいに言ってるから,その二つの間で引き裂かれてるという,そんなイメージで僕は読みました」

 

— “いたわしいよなものですよ”に大人として生きていく覚悟みたいなものが感じられる.

穂村弘さん

「普通の人はね,今みたいに大人の自身の側に,当然,味方してしまうよね.今の自分だから.でも,中也はかなり少年度が高くて,いつまでも少年が住んでるから,味方しきれないんですよね.目の前に女房子供を見ていても.からこんな心の揺れが出るのかなというふうに思いますね」

 

— ささやかな家庭を持ち幸せを感じていた中也なんですか,そんな中最大の悲しみが襲います.

朗読

(日記)

文也も詩が好きになればいいが.二代がゝりならかなりのことができよう.

ナレーション

昭和十一年夏,中也は文也を連れて,上野の博覧会に行きました.その時のことを,後にこう書いています.

朗読

7月末日万国博覧会に行き,サーカスを見る.飛行機に乗る.坊や喜びぬ.

帰途不忍池を貫く路を通る.上野の夜店をみる.

(「文也の一生」)

ナレーション

しかし,その三ヶ月後,文也は小児結核にかかりわずか二歳で,突然,その生涯を閉じるのです.息子の死を前にして,中也は自分の全てが無と化すような,強い衝撃を受けました.せめて,文也の記憶をこの世にとどめようと,中也は原稿用紙にその思い出を一気に書きつけます(「文也の一生」).

やがて,それは詩の形になりました.

 

朗読

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「夏の夜の博覧会はかなしからずや」

 

夏の夜の,博覧会は,哀(かな)しからずや

雨ちょと降りて,やがてもあがりぬ

夏の夜の,博覧会は,哀しからずや

 

女房買物をなす間,かなしからずや

象の前に余と坊やとはゐぬ

二人蹲(しゃが)んでゐぬ,かなしからずや,やがて女房きぬ

 

三人(みたり)博覧会を出でぬかなしからずや

不忍(しのばず)ノ池の前に立ちぬ,坊や眺めてありぬ

 

そは坊やの見し,水の中にて最も大なるものなりき

かなしからずや,

髪毛風に吹かれつ

見てありぬ,見てありぬ,

それより手を引きて歩きて

広小路に出でぬ,かなしからずや

 

広小路にて玩具を買いぬ,兎の玩具かなしからずや

 

 

その日博覧会入りしばかりの刻(とき)は

なお明るく,昼の明(あかり)ありぬ,

 

われら三人(みたり)飛行機にのりぬ

例の廻旋(かいせん)する飛行機にのりぬ

 

飛行機の夕空にめぐれば,

四囲(しい)の燈光また夕空にめぐりぬ

 

夕空は,紺青(こんじょう)の色なりき

燈光は,貝釦(かいボタン)の色なりき

 

その時よ,坊や見てありぬ

その時よ,めぐる釦(ぼたん)を

その時よ,坊やみてありぬ

その時よ,紺青(こんじょう)の空!

 

 

(普段饒舌な伊集院さんは「言葉もなく」磯野アナ,泪を浮かべながら---)

— 本当にかわいがっていた文也を亡くして衝撃だったでしょうね.

太田治子さん

「中也さんはね,二代がかりなら,二人して詩人としても『可(か)なりなことができよう』とそういうふうに書いていますから.本当に文也さんを自分以上の詩人にしようとしていたんだと思いますね」

 

穂村弘さん

「今ね,我々は,その背景を知って,この詩を読みましたけれど,もし,知らずに読んだら,どうだったろうかって思うんですよね.

そうすると,不思議な詩ですよね.『博覧会はかなしからずや』と言って,『かなしからずや』『かなしからずや』と何度もリフレインされるんですけど,一つも哀しいものはないんですよね.というか,楽しい物ですよね,どっちかというと.博覧会に行って,お買い物をして,みんなで飛行機に乗ってという.一番幸せな情景を全部過去形にして,『かなしからずや』をつけていく.

そうすると,読者としては読んでいく内に,これは何かただならぬ事が起きたなって思うんだけれど,それが,正体が何かという事は,最後まで出てこないんですよね.

『死』とか,そういう言葉は,一切出てこない.そして,幸福の絶頂みたいなシーンで,この詩は止まる.そこに何かすごさを感じますね」

 

「最後は,『その時よ,坊やみてありぬ』.『その時よ』の繰り返しで,この時というのは最も幸福な一瞬で,それを永遠のものにせずにはおかない,最も幸福な一瞬を言葉の力で永遠に留めたいっていう,中也の気迫みたいなものがあって.詩の中で一個だけ一番最後に『!』がついているんだけど.完璧にこの詩ってできてるって感じるんだけど.でも,まだ何か『!』をつけて,万感の思いがここに籠もるみたいな.最後に,一番幸福な瞬間に坊やが見ていた,その空というものを,永遠にしたいという」

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ナレーション

愛する者を失った中也は,少しずつ精神を病み,昭和十二年,千葉の療養院に入院します.

退院後,文也のいた東京には戻りたくないと,鎌倉に転居しますが,中也は結核にかかり,さらに衰弱してゆきまた.ふるさと山口に帰る決心をすると,第二詩集「在りし日の歌」を編集し,その原稿を友人の小林秀雄に託します.

後書きにはこう書かれていました.

「さらば東京!おゝわが青春!」

しかし,帰郷の願い叶わず,詩人中原中也は僅か30年の生涯を閉じたのです.

たった四行の詩が原稿用紙に残されていました.

 

おまへはもう静かな部屋に帰るがよい.

煥発(かんぱつ)する都会の夜々の燈火を後あとに,

おまへはもう,郊外の道を辿(たど)るがよい.

そして心の呟(つぶや)きを,ゆつくりと聴くがよい.

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穂村弘さん

「何かもう,やっぱり,全然職業とかじゃないですね.この詩を書くという事がね.本当に魂の営為っていう感じがして.生活世界の中で生ぬるくもがいている私なんかからすると,僕だけじゃないと思うけれど,自分の代わりに生きて燃え尽きたみたいなね.そんな魂を燃やしたっていう印象で,中也をやっぱり捉えてしまって.本人はずっと昔にいないんだけど,言葉だけが残っていて,それを読むことで,その魂に今も生々しく触(さわ)れるという.やっぱ,すごいなと思いました」

 

太田治子さん

「やっぱり私は中也の詩を読んでいると,これだけ絶望して苦しんで苦しんでいる時にでも,何かね,ふっと気が抜けたような明るさを,私はですよ,中也の詩から感じて.そうすると,人生諦めないで歩いていこうって.中也の詩に,私は励まされて,私,希望が湧いてくるんですね.だから,とてもとても,中也は大きい人だったと思いますね」

 

太田治子「中也はやっぱり生きたいと思っているという.そこに,やっぱりどんな絶望していても,」「中原中也詩集」(4) - yachikusakusaki's blog

風が立ち,浪が騒ぎ,無限のまへに腕を振る.「100分de名著 中原中也詩集」(3) - yachikusakusaki's blog

月夜の晩に、ボタンが一つ 波打際に、落ちていた100分de名著「中原中也詩集」(1) - yachikusakusaki's blog

魚上氷(うおこおりにのぼる / うおこおりをいずる)水がぬるみ、割れた氷の間から魚が飛び跳ねる頃