豆腐 2
日本国産大豆の60%近くは豆腐に使われています.豆腐は日本の食卓に欠かせません.そんな豆腐がどのような思いで作られ,また,どのように日本人の日々に寄り添ってきたかのか?
NHK新日本風土記(「豆腐」2017年1月13日放送)のオムニバス項目にそって,見ていくことにします.
風の中に土の匂いにもう一度日本を見つける
私を見つける 新日本風土記
各地に豊かで個性的な食文化を育んできた豆腐 2
東京池袋 半世紀を越え人々に愛されてきた豆腐料理
豆腐と牛のカラシ肉を煮込んだ肉豆腐.
この街で働く男たちを支えてきた.
「(通い始めて)50年以上かな」「ここはもともと木造だったから」
戦後まもなく闇市で始まったこの店.昭和36年,新メニューの肉豆腐が登場.
考案したのは先代西形千代松さん.
池袋 『千登利』 : いざ酔い日記 池袋の「千登利」苺野さんちの回覧板
女将の西形元美さん「なんかないかなというんで,すき焼きをヒントに,これを考案してくれました.もうほんと,ヒット商品です.うちの.ありがたいです」
かつては豆腐一丁をらくらく平らげた男たちも
「本来,半分でちょうどいいから,半丁だせってんだけど,女将はうちは一丁だって.絶対譲らないですから」
「若い子なんか3人で一丁とか.はははは.ひどい人,5人で一丁でしたよ」
身も心も温まる豆腐.今宵もいただきます.
明日を生きる豆腐
山あいを行く黄色い車があります.車体には「FUKKO TOFU(復興豆腐)」.
豆腐を移動販売しているのは千葉淳也さん.明治時代から気仙沼で続く豆腐屋の5代目です.
「こんにちは〜豆腐屋です」「はーい」
豆腐を売りに来るのは週に一回.「おいしんですよ.ほんとに.うん.なんかこだわりの豆腐でね.香りがよくて,豆のね」
楽しみにしている人に届けたいと一丁二丁でも車を走らせます.
http://initiald-movie.com/contest.html
高校を卒業後,厚木の自衛隊に勤務していた千葉さんは,豆腐屋を継ぐために13年前ふるさと気仙沼に戻りました.海に近い片浜地区に千葉さんの豆腐屋がありました.
2011年3月11日.東日本大震災が襲います.
津波は集落を丸ごと飲み込みました.幸い家族は皆無事でしたが,店も家も流されました.この丘の上に逃げ延びた千葉さん.避難所生活が始まります.食べ物や水を何とか確保するので精いっぱいの毎日でした.
「その時に物資で届いた豆腐ですね.豆製品,納豆だったり豆腐だったりを,1週間後ぐらいにようやく食べたんですけれども,すごく美味しくて,豆腐って本当に美味しいもんだなって,そこでつくづく思って」
一月ほど経って,がれきの中から,店のトラックが見つかりました.そして,車のダッシュボードから,毎日移動販売で吹いていたラッパが出てきたんです.
「鳴るかな.ちょっと吹いてみますけど.多分---」「鳴りましたね.ふふふ.久しぶりに」「鳴るじゃないですか」「パーは鳴るけど,プーが鳴らなかったんですけど.(ラッパも)やる気あるみたいですね.鳴りますね.もう一回吹いてみます」「音色がね.ちょっと変わってますけど,一応鳴りました」
ラッパの響きに背中を押されるように,豆腐屋復活を決意します.母の思いは複雑でした.
母「そのラッパを見つけた時点で,なんか変わってきたのね.あ〜,私としてはもう止めたい気持ちだったから,ほんとはしてほしくなかったのね.ほんとはね.やっぱり,生活がギリギリだったのね.なかなか大きな会社みたいに,うまく,まあ,利益が上がらないっていうか」
http://rmc-itabashi.jp/wp-content/uploads/2013/05/1202気仙沼復興豆腐.pdf
(午前3時灯りがついた豆腐店の映像)
母の心配をよそに千葉さんは先祖が残した田んぼを埋め立てて豆腐屋を再開します.震災を機に変えたのは豆腐の作り方.薪を使った地釜で豆乳を炊くようにしました.
これならもし再びライフラインが断たれるような事があっても,豆腐づくりを続ける事ができます.
日曜日になると千葉さんは山へ.地釜を炊く薪を集めるためです.
津波で失った土地の代替地として手に入れた山林です.何が起ころうと,豆腐を作り続けられれば何とかなる---.今日も復興トラックはお客さんのもとへ.
ラッパの音色に誘われて一人,また一人.明日への希望を伝える豆腐です.
大豆あれこれ(3)
豆腐の製法
(前田知美 豆 法政大学出版会,石毛直道 日本の食文化 岩波書店
豆腐の製法|豆腐のことなら全豆連 沖縄の島豆腐の作り方│【翁屋】島豆腐・ゆし豆腐の通販 日本豆腐協会│豆腐の原料・作り方 )
豆腐は,精進料理として中国から伝わったと考えられていますが,室町時代中期ごろに,京都を中心に,製法や料理法が改良されて,広まったとされています.
基本的には「煮とりーにがり(またはその代替品)使用」で製造されますが,
沖縄や奄美地方では「生搾りー海水使用」「生搾りーにがり使用」で作られ,伝播のルートも南西諸島経由と考えられています.
「煮とりーにがり(またはその代替品)使用」による現在の豆腐製造法 豆腐の製法|豆腐のことなら全豆連 日本豆腐協会│豆腐の原料・作り方
大豆を浸漬し,吸水して二倍ほどになった大豆を細かく砕きます(摩砕).昔は石臼を使っていましたが,今はグラインダーが一般に使われます.摩砕は注水しながら行い,豆乳の濃度を加減します.摩砕した「生呉」を加熱し,「呉」とします.昔は釜で直火加熱していましたが,現在はボイラーによる蒸気加熱が主流になっています.「呉」を搾り・濾過分離して「豆乳」と「おから」に分離します.
木綿豆腐
:豆乳に凝固剤を加えて一度固めたものをくずしてから,布を敷いた穴あきの型に入れて圧力をかけて水分をしぼり(型入れ圧搾),型から出してカットして水にさらします.
絹ごし豆腐
:もめん豆腐よりも濃い豆乳を穴のない型に入れ,そこに凝固剤を加えて、そのまま固め,型から出してカットして水にさらします.
木綿豆腐は,製造過程で水分をしぼるために、栄養分が圧縮され,たんぱく質、カルシウムが、絹ごし豆腐に比べると多く含まれます.
しかし,水分をしぼることによってビタミンB群は水分と一緒に流れ出すため,多くの場合,ビタミンB1は絹ごし豆腐の方に多く含まれます.
充填豆腐
:豆乳を一旦冷やし,凝固剤と一緒に1丁づつの容器に注入(充填)・密閉し、加熱して凝固させます.型箱に入れない、水晒しをしないことも特徴です.
主な凝固剤
:本来は,海水から塩(塩化ナトリウム)を採った残りのものを苦汁(にがり)と呼びますが,豆腐製造業界では,塩化マグネシウムを更に精製したものをにがりと呼んでいるようです.水に溶けやすく,豆乳の凝固反応が速い(速効性)ので,凝固に技術を要するともいえ,絹ごし豆腐は作りにくいとされています.第二次大戦中に軍需物資として調達され使用できなくなり,「澄まし粉」にとって換えられた歴史がありますが,最近では,自然志向やグルメ志向(ニガリは大豆の甘みなどを引き出す面もあります)もあって,使用が増えつつあります。
硫酸カルシウム(澄まし粉)
:天然ものとしては石膏から作られますが,現在では,化学的に合成されたものが多くを占めています.水に溶けにくく,豆乳の凝固反応が遅い(遅効性)ため使いやすく,また保水力が高いので舌ざわりのよい滑らかで弾力のある豆腐のできる特徴があります.業界用語として澄まし粉が使われているようです.
グルコノデルタラクトン
:でん粉を原料として,発酵法で作られたものです.この凝固剤は,水に溶けやすく,豆乳に均一に溶けますので,均一で保水性に富んだ豆腐が得られます.そのため,絹ごし豆腐の製造にも適しており,また凝固の速度が遅いこともあって機械による製造にも向いている面があります.なお,他の凝固剤が塩で反応する凝固であるのに対し,酸で反応(酸凝固)するという特質があります.
なお,大豆を加熱したときの泡を消すため,消泡剤としてグリセリン脂肪酸エステルなどを添加することが広く行われています.
東風解凍(とうふうこおりをとく) 春風が川や湖の氷を解かし始める頃
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