ネット上に見る「いちご大福」「大福餅」の起源
いちご大福,大福餅は,日本人が最も好む和菓子の一つ.
ネット上の「好きな和菓子ランキング」をまとめた四つのサイトでは,いちご大福,大福餅を併せると断然トップといってよい結果.
https://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2024/03/27/235653
https://www.google.com/search? いちご大福
https://www.google.com/search? 大福餅
とうことで,それぞれの歴史・起源を調べようとネット検索したのですが---
結論からいえば,はっきりしたことはわからない.
いちご大福は,比較的新しい和菓子であることから,すぐわかるかと思いきや,いくつもの候補があって,どの和菓子店が元祖なのかは確定できないというのが実際のようです.
例えば,かなり信用できそうなな記事は次の二つによれば,
https://souzen.co.jp/wp/about/warabi/frtdaifuku/
https://news.yahoo.co.jp/articles/9519351057a7c4fd2d57697d37a2d35f52a908a9
生まれたのは昭和50代終わり〜昭和60年代初頭.(昭和60年=1985年)
発祥のお店の候補はいくつかあるものの,次の店は特に名が通っているようです.
東京新宿の「大角玉屋」(豆大福にいちごを入れた形.餡はつぶ餡)
https://agatajapan.com/tokyo/shop/大角玉屋/
群馬前橋の「金内屋」(つぶ餡の大福の中にいちごがやはり丸ごとひとつ)
https://www.google.com/search?いちご大福 群馬前橋の「金内屋」
三重県津市の「とらや本家」(白餡を使ったいちご大福)
https://tsu.goguynet.jp/2021/02/12/torayahonke-ichigodaifuku/
大阪旭区「松福堂正一」(はじめ,いちごと餅を合わせた和菓子だったものに粒がしっかり残った餡を入れてある)
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/f27c7d7684df6fb3b0047045b2f593c5acd96eb2
このいちご大福のもととなった「大福の由来」については---
ネット上では、一見,ほぼ解決がついているようです.多くのサイトがほぼ同じ事を記している!
例えば
https://mag.japaaan.com/archives/170646
https://shop.sweetsvillage.com/blogs/knowledge/daifuku
https://wagashimiryoku.com/wagashi/daifuku/
https://gogen-yurai.jp/daifuku/
https://www.ishizakisyouten.com/column/1378/
https://ja.wikipedia.org/wiki/大福
これらの記事には,その「統一見解」の根拠に触れられていませんが,同じ内容が複数のサイトで記されている場合は,同じ参照元からの記事と考えた方が良い:
ネット上に公開されている平凡社世界大百科事典を写したものと言えそうです.(最後尾に引用)
▽和菓子の魅力
https://wagashimiryoku.com/wagashi/daifuku/
大福の歴史は,室町時代後期にはじまります.
当時,鶉(うずら)の卵に似た「うずら餅」が作られており,これが後の大福の起源になったと言われています.ただし,うずら餅の中身は塩餡が使われていたため,甘味には乏しかったようです.
一方,大福の名前の由来は,うずら餅の呼び名として使われた「大腹持ち」「腹太餅」が変化したものと考えられています.うずら餅は腹持ちが良かったため,先のように呼ばれていました.それをもっと縁起の良い名前にするため,「大福」の文字が採用されたとする説が有力です.
大福が歴史的転換点をむかえるのは江戸時代中期.
「宝暦現来集」(1831年)には,1771年(明和8年),江戸の小石川に住んでいた「おたま」という一人の未亡人が,砂糖餡を入れた小ぶりの「おた福餅」を開発し江戸で売り歩いていたという記述があります.これが現在の甘味豊かな大福の走りです.
時あたかも,江戸では上菓子が大流行.饅頭,羊羹などさまざまな種類の和菓子が庶民の味覚を楽しませていた時期であり,おたまさんはこの時流をしっかりとらえ,次々におた福餅を売り出しては大好評を得て,甘くて美味しい大福の普及に貢献しました.
今では色も形も味もさまざまな種類の大福を楽しめるようになりましたが,その礎を築いたのは,なんと一人のやまとなでしこだったのです.
▽日本国語大辞典によれば,「大福餅」という語は18世紀後半には使われていたとのこと.
だいふく‐もち【大福餠】
精選版日本国語大辞典
〘名〙 小豆の餡あんを薄い餠の皮で包んだ菓子。鉄板の上で両面を焼いたりする。賀寿の時に用いるものは、賀に当たる人が「寿」の一字を紅で書いて親戚などへ配った。大福。〔随筆・寛政紀聞(1789−99)〕
▽レファレンス協同データベース
https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?id=1000030023&page=ref_view
レファレンス事例詳細(事例作成日 2002/03/05)
質問
大福餅の起源を調べているが、「宝暦現来集」が大福餅に関する最古の文献か。またこの資料は入手可能か知りたい。
回答
『和菓子の辞典』の〈大福餅〉の項には、「喜遊笑覧」(文政13年(1830)自序)の文献名あり。
『事物起源辞典』には、「寛政紀聞」(成立年不明。ただし寛政10年(1798)の記述にあり。『未刊随筆百種 2』所収)の記述あり。
『平凡社大百科事典』には、前掲2文献に加え「宝暦現来集」(天保2年(1831))もあげられている。
『江戸生活事典』等にも、大福餅は寛政中頃より売り出されたとあるので、おそらく「寛政紀聞」が最古の文献と思われる。
以上を回答する。
▽平凡社「改訂新版 世界大百科事典」
大福餅 (だいふくもち)
https://kotobank.jp/word/大福餅-558251#
小豆あんを薄い餅の皮で包んだ菓子。
庶民的な餅菓子として愛好され,ゆでたエンドウを餅に入れた豆大福,ヨモギの葉をつきこんだ草大福などもつくられている。
室町後期から鶉(うずら)餅という菓子があり,これを焼いたり,焼印を押したりしたものを鶉焼と呼んだ。塩味のあんをたっぷり入れ,丸くふくらんだ形にしていたための名で,のちには腹太(はらぶと)餅ともいった。これを平たくしたのが大福餅である。
《宝暦現来集》(1831)は,江戸小石川のある寡婦が1771年(明和8)冬に売り始めた〈おた福餅〉の後身とするが,とにかく寛政年間(1789-1801)にいたって流行し,江戸の町には毎夜〈籠の内へ火鉢を入れ,焼き鍋(なべ)をかけ,その上に餅をならべ〉(《寛政紀聞》)た大福餅売の姿が見られたものであった。
《嬉遊笑覧》などによればあんは砂糖を用いるようになったとするが,明治・大正期にはまだ塩あんのものも行われていた。
〈大福へ紅がらで書くいせやの賀〉という川柳のように,還暦や喜寿の祝いに〈寿〉の1字を紅で書いてくばり物にすることもあった。
なお,江戸初期から京都名物の一つに数えられた大仏餅は,滝沢馬琴が〈江戸の羽二重もちに似て餡(あん)をうちにつゝめり,味ひ甚だ佳なり〉としているように,大福餅の高級品というべきものだったようである。
執筆者:鈴木 晋一