ポプラ2 ポプラを歌った詩歌(キントラノオ目の植物12) ポプラを詠んだ英米詩が多い中,ウィリアム・クーパーの"The Poplar Field"は名詩として知られています.日本でも明治以降短歌に盛んに詠まれました.しげり立つぽぷらの青葉いちじるくか黒くなりて風にさやげり 古泉千樫  白楊(ポトナム)の直ぐ立つ枝はひそかなりひととき明き夕べの丘に 小泉苳三  風にのるポプラの花の果てしなきゆく手目に追ふ淡き漂ひ 長澤美津  夕焼けに抱かれながら陰影にみちみちていま謳う,ポプラは 三枝浩樹

キントラノオ目の植物を取り上げ,簡単な解説を探して掲載しています.

 

今日は,ポプラの2回目.ポプラを歌った詩一編と日本の短歌を取り上げます.

出典は,いつもの古今短歌歳時記(鳥居正博編 教育社)です.

 

植物学に重点を置いた説明では,「ポプラ(Poplar)は,ヤマナラシ属(Populus)の植物の総称」ですが,(ニッポニカ)

日本人の多くは,「枝が直上し,樹冠が狭く箒(ほうき)状になるセイヨウハコヤナギLombardy poplar/P. nigra L. CV. 'italica'」ならびに数種の渡来種をポプラと呼んでいます.(古今短歌歳時記)

明治以降,ポプラは短歌に詠まれるようになります.

その多くが,P. nigra L. CV. 'italica'(欧米ではロンバルディアポプラ,和名セイヨウハコヤナギ)を詠んでいると思われます.

古今短歌歳時記には,「ポプラを詠んだ英米詩は多いが,ウィリアム・クーパー(1731〜1800)の"The Poplar Field"が名詩として知られる」とありました.

ネットで調べるとたやすく検索できたので,初めに掲載し,その後短歌を何首か紹介します.

 

なお,クーパーが詠んだ詩のポプラの種が何かをネット上で調べたのですが,はっきりしません.多くの日本人がポプラとしているロンバルディアポプラはイギリスでも人気ですが,クーパーの時代にはそぐわないし,クーパーが詠んだ野生のポプラとは言えないでしょう.

イギリスでよく見かけるポプラを調べたところ,ホワイトポプラ(Populus alba),ブラックポプラ(Populus nigra betulifolia 現在は稀少),グレーポプラ(Populus canescens ホワイトポプラとアスペンとの自然交配種)の名前が挙がってきました.アスペン(Populus tremula)も多く見かけるようですが,イギリスではポプラとは呼ばれていないようです.

https://www.litcharts.com/poetry/william-cowper/the-poplar-field

"The Poplar Field "("The Poplar-Field "と書かれることもある)

イギリスの詩人ウィリアム・クーパー(William Cowper)が1785年に発表した詩である.この詩は,感情,死,自然の美と破壊をニュアンス豊かに探求しており,"The Poplar Field "をロマン主義として知られる文学運動の重要な先駆けとしている.

 

ポプラの野原 The Poplar Field

水田圭子訳

https://bunkyo.repo.nii.ac.jp/index.php?action=repository_view_main_item_snippet&pn=1&count=20&order=16&lang=japanese&creator=水田圭子

ポプラは切り倒された,木陰よ

涼やかな並ぶ木々のささやくような音よ

風はもう葉の中でそよいだり歌ったりしない

またウーズ川がそれらの姿を水中に秘めることもない

 

私の好きな野原とポプラが生えていた土手を

初めて見てから十二年が過ぎた

ああ見よ 今 草の中にポプラは横たえられている

そして私にかつて木陰を与えてくれたその木は私の椅子代わりになってしまった!

 

クロウタドリは別の所へ飛び去ってしまった

ハシバミの木立が暑さをさえぎる影を与えてくれる所へ

あの頃 この小鳥の美しい調べに私は酔いしれたのに

今の風景の中にはもはやそのやさしい響きの歌は流れない

 

私のつかの間の年はすべて急ぎ去らんとしている

そして私はやがてこれらのポプラの木々のように地に横たわっているに違いない

私の胸には芝生が 頭にあたる所には墓石があるだろう

別のポプラの木立が新たに生えそろう姿を見ることもない

 

何についても言えるかもしれないが とりわけそれは

人の失われてゆく喜びについて つくづく考えさせられる光景である

人の一生は夢に過ぎないけれど 人の喜びというものの

この世にある時間は人よりもさらに短くはかないことがわかる

 

The Poplar Field (1784)

https://www.poetrybyheart.org.uk/poems/the-poplar-field

The Poplars are fell’d, farewell to the shade

And the whispering sound of the cool colonnade,

The winds play no longer and sing in the leaves,

Nor Ouse on his bosom their image receives.

 

Twelve years have elapsed since I last took a view

Of my favourite field and the bank where they grew,

And now in the grass behold they are laid,

And the tree is my seat that once lent me a shade.

 

The black-bird has fled to another retreat

Where the hazels afford him a screen from the heat,

And the scene where his melody charm’d me before,

Resounds with his sweet-flowing ditty no more.

 

My fugitive years are all hasting away,

And I must e’er long lie as lowly as they,

With a turf on my breast and a stone at my head

E’er another such grove shall arise in its stead.

 

’Tis a sight to engage me if any thing can

To muse on the perishing pleasures of Man;

Though his life be a dream, his enjoyments, I see,

Have a Being less durable even than he.

 

 

ポプラを詠んだ短歌

 

肌寒くなりまさる夜の窓の外に雨をあざむくぽぷらあの音  夏目漱石 漱石全集三

 

今ぞ来ぬ,涙よ流れよ./札幌の並樹のポプラ,/青葉のポプラ  土岐善麿 黃昏に

 

しげり立つぽぷらの青葉いちじるくか黒くなりて風にさやげり  古泉千樫 青牛集

 

ながめなき工場の庭にちらばれるポプラの落葉夏ふけて見ゆ  今井邦子 明日香路

 

白楊(ポトナム)の直ぐ立つ枝はひそかなりひととき明き夕べの丘に  小泉苳三 夕潮

 

風にのるポプラの花の果てしなきゆく手目に追ふ淡き漂ひ  長澤美津 水面

 

遥かなるポプラの並木すぐ立ちて風うごかざる朝の国原  岡野弘彦 異類界消息

 

夕焼けに抱かれながら陰影にみちみちていま謳う,ポプラは  三枝浩樹 朝の歌

 

ポプラ焚く榾火(ほだび)に屈むわがまへをすばやく過ぎて青春といふ  小池光 バルサの翼