昨日の夕方,妙本寺への散歩の途中,妙隆寺へ立ち寄ってきました.
妙隆寺は,寿老人の像が置かれている日蓮宗のお寺.
途中,日蓮上人辻説法跡があります.この付近で日蓮上人が辻説法を行ったという碑がたてられています.隣に日蓮堂というお堂もあって,日蓮像が置かれています.
この通りは,「小町大路」と呼ばれ,現在の倍ほどの道幅があったとされ,若宮大路とともに幕府が置かれた鎌倉の主要道路であったとのこと.
https://www.asahi-net.or.jp/~ab9t-ymh/monogatari_folder/komachi_folder/komachi.html
下の写真は,南空の夕焼けを撮っていますが,北へ向かうと北条執権屋敷があった宝戒寺,政所跡,八幡宮へ通じています.
妙隆寺は,日蓮宗のこぢんまりしたお寺.
妙隆寺
https://www.yoritomo-japan.com/kamakura043/myoryuji-jyuroson.htm
開山は日英,開基は千葉胤貞で1385年(至徳2年)に建立された.本尊は釈迦牟尼仏.本堂右手には「鍋かむり日親」と呼ばれた日親上人が厳しい修業をしたといわれる池がある.鎌倉七福神のケヤキ一本造りの寿老人像が祀られている.
寿老人が置かれたお堂は、本堂に向かって右側.
下の他サイトからお借りした写真にはありませんが,お正月ということで,堂内の寿老人には,鏡餅がお供えしてありました.
https://www.yoritomo-japan.com/kamakura043/myoryuji-jyuroson.htm
いつもの散歩コースに戻って,妙本寺まで.
途中,鎌倉えびすが行われている本覚寺があります.
かなり格式の高い日蓮宗のお寺です.
https://www.trip-kamakura.com/place/225.html
一乗日出を開山として1436年(永享8)に創建.足利持氏が鎌倉の夷堂があった場所に寺を建てて日出に寄進した寺院.二代目住職が日朝上人であったことから「日朝さま」という名で親しまれている.また、身延山から日蓮の骨を分けたので「東身延」とも呼ばれている.
妙本寺もやはり格式の高い日蓮宗のお寺で,「名跡寺院」(:日蓮聖人一代の重要な遺跡及び宗門史上顕著な沿革のある寺院を霊跡及び由緒寺院とし、その伝統により大本山または本山の称号を用いる)とされています.
鎌倉は、日蓮宗のお寺が多い街.
鎌倉市の宗派別寺院数ランキングでは1位か2位.
建長寺,円覚寺という臨済宗の本山(それぞれ建長寺派,円覚寺派)には,塔頭(たっちゅう)として沢山の寺院が敷地内にあります.これを別の寺院たして数えれば臨済宗系の寺院数がトップですが,塔頭をまとめてそれぞれ一つの寺院(建長寺と円覚寺)と見なせば,日蓮宗系のお寺が鎌倉で一番多いことになります.
因みに,全国では,日蓮宗派のお寺の数は第5位.
https://www.kcn-、net.org/senior/tsushin/ttemple/taka0202/tlist.htm
https://media.horinji.or.jp/ranking-school/
寿老人 じゅろうじん
ニッポニカ,日本国語大辞典
七福神の一つで長寿を授ける神.中国の宋(そう)代,元祐年間(1086~93)の人物と伝えられ,その偶像化で,寿星(⇒*)の化身ともいわれている.
小柄(丈三尺 約九一センチメートル)な老人が鹿(玄鹿)を伴い,巻物をつけた杖を携えるというのが定型の姿である.玄鹿は千五百歳を経た鹿で,その肉を食うと二千歳の長寿を得るというので,後世になってつけ加えられたという.
日本には禅宗伝来後における水墨画の発達に伴い,その画題の一つとして移入されたものらしい.布袋(ほてい),福禄寿(ふくろくじゅ)とともにのちには七福神の仲間入りをして福徳神の一つともされた.しかし寿老人は,瑞祥(ずいしょう:めでたいしるし)の象形とはされたが,個別に福神として信仰されるには至らなかった.なお,南極星の化身ともいわれる長頭短躯(たんく)の福禄寿と寿老人は似た性格をもっていて,異名同体とされるなど,かなり混同されてもきた.
⇒*じゅせい【寿星】 龍骨座のアルファ星カノープスの漢名.古く中国では,泰平の吉瑞として長寿を祈った.南極星.老人星.めらぼし.