花の寺鎌倉宝戒寺へ 今日は鎌倉七福神とされている毘沙門天参りを兼ねて.ただ,初詣の看板は出ているものの,七福神や毘沙門天についてはあまり宣伝していませんでした.お寺本来の信仰優先と言うことでしょうか.毘沙門天像は,本堂に安置されていました.お庭では,今年初めての出会いが.梅が早くも開花!そして蜜を吸うメジロの姿も.そして,青空をバックにした無患子の実も風情がありました.

鎌倉宝戒寺へ.

花の寺としてもよく知られ,このブログでも何度も取り上げました.今日は鎌倉七福神参りを兼ねていたのですが---

お寺は,初詣の看板は出ているものの,七福神についてはあまり宣伝していません.お寺本来の信仰優先と言うことでしょうか.

 

いつもの通り,初めは境内を散策.季節がら,花の姿はあまりありませんでしたが---

今年,始めての開花した梅に出会いました.早咲きの品種でしょうが,あたりを明るく照らしている感じがしました.

山茶花と椿の花も出迎えてくれました.

 

そしてこちらも今年初めてのメジロ

無患子(むくろじ)の実.このお寺ではお守りにして販売しています.

 

今日は本堂が開放されていて,御朱印をもらう方々の列ができていました.

鎌倉七福神とされている毘沙門天像は,この本堂に安置されていました.

 

宝戒寺の紹介 

北条氏の霊を弔うため,足利尊氏により北条氏執権屋敷跡に建てられた天台宗の寺院.「戒壇院」が設けられ,格式の高い寺院であった.

現在は萩寺の別名もある花のお寺としても知られている.

https://hokaiji.com/index.html

天台宗 金龍山 釈満院 円頓宝戒.

1333年の北条氏滅亡後その霊を弔うため,後醍醐(ごだいご)天皇の命をうけた足利尊氏公によって,北条氏歴代執権屋敷跡であるこの地に建立されました.また,戒壇院が置かれ国宝的人材を養成する道場として位置付けられていました.

ご本尊様は子育て経読み延命地蔵(鎌倉二十四地蔵尊の第一番).また,鎌倉三十三観音第二番である仏母准胝観音(じゅんていかんのん)様,鎌倉・江ノ島七福神毘沙門天(びしゃもんてん)様など多くの仏様がいらっしゃいます.

当山は花の名所としても知られ,春の桜,夏の百日紅さるすべり)や酔芙蓉(すいふよう),秋の萩,冬の梅,椿など境内は四季折々の花によって彩られます.

秋のお彼岸になると境内中が白萩に埋め尽くされ,萩寺という名でも親しまれています.

 

授与品:御朱印と無患子のお守り

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境内の無患子の実の御守です。無患子は「子が患わ無い」と書き、古くから羽子板の羽根に使われる等縁起物とされています。当山の御本尊が子育てのお地蔵さまであることに因み、このお守り一つにつき百円を災害で被災した子供達の為の義援金とさせていただきます。無患子(むくろじ)守りは、写真のように、お好きな柄のお守り袋を選び、ご自分で無患子の実を中にいれてお持ち帰り頂けます。

 

毘沙門天(びしゃもんてん)とは 

仏法を守護し,福徳を授ける善神.四天王の一,多聞天の別名.

後世,武将形のまま七福神の一つに数えられ,福徳を授ける神として民間に信仰された.

日本大百科全書(ニッポニカ),ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,「毘沙門天」,精選版 日本国語大辞典の解説,「七福神の伝来と鎌倉・藤澤 ~禍転じて福となす~(著者:大江昭子)より

https://kotobank.jp/word/毘沙門天-119706

https://enodenensen.jp/enobun/articles/1650/

仏教の護法神.多聞(たもん)天,遍聞(へんもん)天とも称する.四天王がそろっているときは多聞天といい,独尊のものを毘沙門天という.密教では十二天の1つ.

多くの夜叉(やしゃ)・羅刹(らせつ)を統率するとともに,仏法を守護し,福徳を授ける善神.

インドのベーダ時代からの神で,ヒンドゥー教のkuberaクベーラが仏教に取入れられたもの.もとは暗黒界の悪霊の主であったが,ヒンドゥー教では財宝,福徳をつかさどる神となり,夜叉(やしゃ),羅刹(らせつ)を率い,帝釈(たいしゃく)天に属して北方を守護する神とされていた.

 

名前の由来

サンスクリット語バイシュラバナVaiśravanaを吠室囉末拏などと音写し,転じて毘沙門天となる.毘沙門の毘には遍あまねくと言う意味があり,沙門には聞くと言う意味があり,梵語のヴァイシュラヴァナにも,同じ意味があるともいわれている.

多聞天と呼ばれるのは,この仏の福徳を多くのところで聞き知っているから.多釈迦の側に伺候しこうして,仏法を護り,数多くの説法を聞いたからというの説が一般的.

 

四天王の一

仏教では四天王の一尊多聞天で須弥山(しゅみせん)の北方に住し(須弥山の第4階層に住し,可畏,天敬,衆帰の3城の城主.),多数の夜叉を眷属(けんぞく)として閻浮提(えんぶだい)州の北方を守る護法の善神とされた.

須弥山(しゅみせん)は,世界の中心にそびえ立つと言う高山で,頂上は帝釈天が住む忉利天とうりてんで,中腹に四天王が住むとされる.四天王は,東を持国天,南を増長天,西を広目天,そして北を多聞天が護る.

 

姿

憤怒相と言う怒った顔をして,甲冑を着て,右手に三叉戟さんさげきと言う,先が三つに分かれている矛ほこ(武器)を持って,左手に宝塔をささげ,二夜叉(邪鬼)の上に座る,または踏む.

一方,多くの場合,持国天は剣と矛,増長天は剣,広目天は筆と巻子を持っている.

 

日本での信仰

わが国では単独としても古来から信仰された.信貴山(しぎさん)(朝護孫子寺(ちょうごそんしじ))では毘沙門天を本尊としており,楠木正成(くすのきまさしげ)はその申し子として幼名を多聞丸と称するなど,武将の信仰が厚かった.

また平安時代には,王城鎮護のため北方に建てられた鞍馬(くらま)寺に左手をかざした毘沙門天像を安置したり,さらに東寺(教王護国寺)の兜跋(とばつ)毘沙門天像のように密教において特別の彫像も現れるに至った.

四天王像としては法隆寺金堂の『多聞天像』が古く,単独では鞍馬寺本堂の『毘沙門天像』 (平安時代後期) ,高知雪蹊寺の『毘沙門天像』 (湛慶作,鎌倉時代) などが著名.

後世,武将形のまま七福神の一つに数えられ,福徳を授ける神として民間に信仰され,七福神の1つでもある.

 

https://www.kyoto-museums.jp/museum/north/898/

https://www.city.kochi.kochi.jp/soshiki/90/cas-state-1201700.html