久しぶりに,明るいうちに鎌倉妙本寺を訪ねました.このところ,夕方散歩で暗くなってからの参拝ばかりでしたので.
明るいうちは,道中の紅葉も楽しめます.ツタ,ヤマボウシ,ハゼ---
惣門とそのすぐ奥にある比企谷(ひきがやつ)幼稚園.幼稚園の園舎とは思えませんね.
住所名としては残っていませんが,ここから大町〜材木座に至る谷戸(やと)には,名前が残っていて,妙本寺がある谷戸の名称は比企ヶ谷.
トラベルJPの「比企ヶ谷」と「妙本寺」の解説は次の通り.少し長くなりますが---
https://www.travel.co.jp/guide/article/33071/
鎌倉を囲む丘陵の南東,比企ヶ谷(ひきがやつ)という谷があります.----
谷の最奥部から丘陵の尾根を伝えば鎌倉随一の見晴らしの良さで,戦略的にも重要な場所.鎌倉期,幕府で重きをなした比企氏がこの地を与えられ,現在も比企氏ゆかりの妙本寺が建立されています.
比企ヶ谷の地名はこの比企氏に由来しています.源頼朝の乳母は比企氏総帥の妻・比企尼であり,伊豆に流された頼朝は比企一族による援助を20年もの間受けてきました.頼朝は比企一族に並々ならぬ恩があり,この恩と信頼の高さからこの地が比企一族に与えられたと考えられます.
比企一族は必然的に幕府で重きをなし,幕府で絶対的な地位を得ようとしました.ところが,この比企氏台頭に危機感を抱いていた頼朝の妻である北条政子の父・時政が建仁3(1203)年,比企氏当主を館に呼んで騙し討ちをすると,この谷を襲って火を放ち,比企一族100余名を皆殺しにしました.比企の乱と呼びます.
現在,そんな比企ヶ谷に建立されている妙本寺は,一族でたった一人逃れた当主の末子・能本(よしもと)が一族供養のために開いた寺院です.
子供の頃の私のイメージですが,妙本寺と言えば「イチョウ」でした.
このイチョウ,大木でかつ雌.大量のギンナンを落とします.ほぼ落ち終わったようですが,ここ二週間ぐらいは,夕方山門をくぐるとギンナンの臭いが境内一面に漂っていました.
イチョウの紅葉はまだでしたが,ケヤキはかなり色づいています.
カエデは,全く紅葉していない木から,きれいに色づいている木までまちまち.
寺務所前の小さな庭に,ツワブキ(石蕗)が咲いていました.晩秋〜初冬の貴重な花.照り輝く葉も美しいですね.お寺では特に好まれているように思います.
音の無き時間ながれて石蕗を離れし蝶のいづくへ帰る 大西民子 印度の果実