“三浦祐介著 口語訳古事記[完全版]文藝春秋”をテキストとした “植物をたどって古事記を読む”シリーズ.
カガチ/ホウズキ(2)
古事記の時代から,日本人に親しまれてきたホウズキ.
ホオズキの写真<3> - 育て方図鑑 | みんなの趣味の園芸
個人的には,ホウズキには二つの思い出があります.
①己の不器用さを知った幼い頃の思い出.
遊び用にホウズキの中身を取り出す際,何回も皮を破いてしまって----
もう一つは,
ホウズキ遊びは,特別な機会がない限り,現在はあまり行われていないように思いますが,浅草ほおずき市には,今も多くの人々が集っています.
今年,主催者予想の段階で55万人/二日間.
“朱色の大きな実を付けた丹波ホオズキ(1鉢2500円)が売れ筋で、緑色の実の千成ホオズキ(1鉢2千円)も好評”
とのこと.
夏の風物詩、ほおずき市始まる | 話題 | カナロコ by 神奈川新聞
四万六千日の縁日に合わせて行われ,江戸時代から続く恒例の行事.
ホオズキが売られるようになったのは,近くの愛宕神社で人気があったから.
病気に効くという民間信仰が人気の理由とか.
お寺の信仰とはやや離れた,結構いい加減な動機のようにも思います.
浅草寺による紹介は,次の通り.
四万六千日・ほおずき市|聖観音宗 あさくさかんのん 浅草寺 公式サイト
7月9日・10日,浅草寺境内を彩るほおずきの屋台は,浅草の夏の風物詩である.
この両日は四万六千日の縁日であり,縁日にともなってほおずき市が催される.
平安時代頃より,観世音菩薩の縁日には毎月18日があてられてきたが,室町時代末期(16世紀半ば)頃から,「功徳日」といわれる縁日が設けられるようになった.
功徳日とは,その日に参拝すると,100日,1,000日分などの功徳が得られるという特別な日を指す.
功徳日は寺社によって異なるが,現在,浅草寺では月に1度,年に12回の功徳日を設けている.
このうち7月10日は最大のもので,46,000日分の功徳があるとされることから,特に「四万六千日」と呼ばれる.(⇒*)
この数の由来は諸説あり,米の一升が米粒46,000粒にあたり,一升と一生をかけたともいわれるが,定かではない.46,000日はおよそ126年に相当し,人の寿命の限界ともいえるため,「一生分の功徳が得られる縁日」である.
四万六千日の縁日の参拝は江戸時代には定着し,われ先に参拝しようという気持ちから,前日9日から境内は参拝者で賑わうようになった.このため,9日,10日の両日が縁日とされ,現在に至る.
四万六千日にともなうほおずき市の起源は,明和年間(1764〜72)とされる.
四万六千日の縁日は浅草寺にならって他の寺社でも行なわれるようになり,芝の愛宕神社では四万六千日の縁日にほおずきの市が立った.(⇒*)
「ほおずきの実を水で鵜呑み(丸飲み)すれば,大人は癪(なかなか治らない持病)を切り,子供は虫気(腹の中にいると考えられた虫による腹痛など)を去る」という民間信仰があり,ほおずきを求める人で賑わったそうである.
その愛宕神社のほおずき市の影響を受け,四万六千日の大本である浅草寺にもほおずき市が立った.
ちょうどお盆の季節でもあり,ほおずきを盆棚飾りに用いる方も多い.
⇒*
東京港区・愛宕神社では,現在も「千日詣り ほおづき縁日」(6月23日24日)が行われています.
東京港区の愛宕神社で「ほおずき市 千日詣り」2019年6月23、24日開催。夏越の祓も
四万六千日と千日詣り
;ほぼ同じような意味を持つとされていますが,愛宕神社は「千日参り」.
実は,浅草寺の四万六千日についても
「浅草でも元禄(1688~1704)ごろまでは千日詣りといった」(日本大百科全書 ほおずき市(ほおずきいち)とは - コトバンク )
浅草寺による上記説明と食い違いがある----ことはとりあえず置いておいて--.
他にも有名処の縁日が,「千日詣り」として行われています.
大阪四天王寺: 千日詣り(8月 9日・10日)
8月9日~16日 万灯供養と重なった大きな行事になっているようです.
京都清水寺: 千日詣り(8月 9日〜16日)
清水寺のサイトでの解説は次の通り:
一日の参詣で千日分のご利益/観音信仰における最大の功徳日
千日詣りは,一日の参詣が千日分の功徳に相当するとされています.
この風習は観音信仰の広まりとともに誕生し,古くから観音さまの功徳日として広く人気を集めました.大慈大悲の心であらゆる願いや悩みに耳を傾け,その苦厄を取り除こうとされる観音さまの慈愛を感じることができる一日です.
清水寺の千日詣りの飾り付けにもホオズキが用いられていましたが,何か特別な意味があるのでしょうか?
ホウズキは
ナス目 Solanales,ナス科 Solanaceae,ホオズキ属 Physalis,
ホオズキ(母種) P. alkekengi
ホオズキ var. franchetii
ホオズキは,ヨウシュホオズキ(var.alkekengi 英名bladder cherry)と同種.
食べられるホオズキとしては
オオブドウホオズキ(トマティージョ, Tomatillo)Physalis ixocarpa
シマホオズキ(P. peruviana)、
ショクヨウホオズキ(P. pruinosa)
トマティーヨ - Wikipedia ブドウホオズキ - Wikipedia ショクヨウホオズキ(しょくようほおずき)とは - コトバンク
ナス科は,tribe(連)の段階で下図のような系統図が提唱されています.
https://depts.washington.edu/phylo/OlmsteadPubs/Solanaceae_IV.pdf
ホオズキ属は,連としてはPhysaleae.
トウガラシ属が属する連Capsiceaeと近縁.
古事記神代篇 其の三
さて,遠ざけられ追われたスサノヲは,出雲の国の肥の河のほとり,名は鳥髪というところに降りてきたのじゃった.
この時,箸がその河を流れくだってきたのじゃった.それで,その箸を見たスサノヲはすぐに,人がこの河の上(かみ)にすんでおるはずだと思うて,流れをさかのぼって尋ね求めて行くと,老いた男と女の二人がおって,若いむすめを中にはさんで泣いておったのじゃ.
そこでスサノヲは,
「お前たちは誰だ」と尋ねた.
すると.その老いた男が答えて,
「わたしめは,オホヤマツミの子です.わたしの名はアシナヅチと言い,妻の名はテナヅチと言い,娘の名はクシナダヒメと申します」と,こう名乗った.
そこでまた,
「お前たちが哭(な)くゆえは何か」と尋ねると,答えて,
「わたちどもの娘は,もともと八人(やたり)いたのですが,コシノヤマタノヲロチが,年ごとにやってきて喰ってしまいました.今またそやつが来るときが近づきました.それで,泣いているのです」と答えました.
するとスサノヲは,また尋ねて,
「そやつの姿はどんなか」と問うと
「その目はアカカガチのごとくに赤く燃えて,体一つに八つの頭と八つの尾があります.また,その体には,コケやヒノキやスギが生え,その長さは谷を八つ,山の尾根を八つも渡るほどに大きく,その腹を見ると,あちこち爛(ただ)れていつも血を垂らしております」と答えたのじゃ.
(アカカガチという言葉は,若い者は知らぬかもしれぬが,真っ赤に熟れたホオズキの実のことじゃ.)
そのヲロチとやらのさまを聞いたスサノヲは,老夫(おきな)に向こうて,
「この,お前の娘をわれにくれるか」と聞いたところ,
「恐れ多いことですが,あなた様のお名前も知りませんので」と老父は答えたのじゃ.
するとスサノヲは,大きな声で名乗っての,
「われは,アマテラス大御神(おおみかみ)の,母をひとしくする弟である.今まさに,高天の原より降(くだ)り来たのだ」と,こう言うて,その生まれを明らかにしたのじゃった.
するとすぐに,アシナヅチと妻テナヅチの二人は,声をそろえて言うたのじゃった.
「それほどに貴いお方とは恐れ多いことでございます.よろこんで娘を奉ります」
その申し出を聞いたスサノヲは,すぐさまその童女(おとめ)の姿を美しい櫛に変えてしもうて,おのれのみずらに刺し隠しての,そばにおったアシナヅチとテナヅチに告げて言うことには,
「お前たちは,幾たびも幾たびもくり返して醸(かも)した強い酒を造り,また垣根を作り廻らし,その垣に八つの門(かど)を作り,門ごとに八つの桟敷(さじき*)を設け備え,その桟敷ごとに酒船(さかぶね**)を置き,幾たびも醸した強い酒をあふれるほどに満たして待っておれ」
と,こう教えたのじゃ.
*桟敷 神への供え物を載せる棚
**酒船 酒を入れる桶