「原発事故 命を脅かした心の傷」3
NHKドキュメンタリー - ETV特集「原発事故 命を脅かした心の傷」 NHK札幌放送局 | 「原発事故 命を脅かした心の傷」
原発事故から8年.住み慣れた「ふるさとの喪失」が人々の心と体に何をもたらしたのか.
2019年3月2日(土)午後11時00分(60分) 2019年3月7日(木) 午前0時00分(60分)
「原発事故 命を脅かした心の傷」1
http://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2019/03/04/011749
福島県は,死者・行方不明者数は,宮城・岩手両県よりかなり少ないにもかかわらず,震災関連死は突出しており,しかも今なお増え続けています.
「フラッシュ・フォワード」と呼ばれる独特の心理現象が被災者を苦しめている実態を伝え,震災関連死と認定された被災者の遺族が作成した『死に至る経緯書』を分析し,「ふるさとの喪失」が人々の心と体に何をもたらしたのかに迫ります.
蟻塚医師「先が見えないっていうことの不安みたいなものが,いきなり,ポン,っと入ってくる.予想しないまんまね.で,コントロール不能.これがフラッシュフォワード」
「原発事故 命を脅かした心の傷」2
http://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2019/03/05/004636
フラッシュフォワードはチェルノブイリ原発事故で発見されました.「生まれ育った土地で暮らす人びとにとって,自分たちも大地の一部です.故郷の土地や自宅,全てを失ったのです.コミュニティも崩壊.絶望から病気になり,命を落とすことさえあるのです」
「トラウマ」と,「将来に対する強い不安」.二重の苦しみを抱える武藤さん.この日,一時帰宅を申請し自宅を訪れました.『これは,もう,うちじゃない』
「原発事故 命を脅かした心の傷」3
武藤さんと同じ,浪江町の津島に,その過酷さを思い知った遺族がいました.
門間まゆみさん(54).
原発事故が起きたのは,津島に嫁いで,24年目のことでした.
夫の勇夫(いさお)さん(享年57歳).ふるさとを離れることを余儀なくされた後,1年半で亡くなりました.
勇夫さんが生まれ育った浪江町の津島.
原発から28kmのところにあり,1400人が暮らしていました.豊かな自然に恵まれ,人と人が強く結びついたぬくもりのある暮らし.
勇夫さんは,祖父が苦労して開拓した農地を,まゆみさんとともに大切に守り,酪農を営んでいました.
(映像 一時帰宅したまゆみさん)
まゆみさん「ここは,牧草畑.一生懸命ここを耕したり,草刈りしてた.牧草も色がほんとに緑のきれいな草だったんで」
息子の寿彦さん「お父さんは,トラクターを使って畑を耕して,そこにお母さんが堆肥をまくみたいな,それが毎日の日課というんですか.やっぱ,津島の土地が好き,というんですか,好きすぎて好きすぎて,もう.楽しく仕事をしてたと思います」
勇夫さんにとって,どこよりも心が安まる場所だった自宅.
まゆみさん「ここが定位置」
寿彦さん「定位置でしょ.この椅子が」
まゆみさん「いつも旦那が座っていた」
寿彦さん「これは,父がここに座っているとき,ここで,こう,多分,撮った写真.笑ってる写真だと思ったんですよね.これ.
自分のところに人を集めて,みんなで,わいわいと,お酒を飲むのが好きで,自分はあまり飲まないけど,人にいっぱいお酒をついで飲ませてあげる」
2011年3月.
津島地区も放射線量が高いことが分かり,全住民の避難が決まります.
しかし,勇夫さんは,これを拒否.一人,津島の自宅に残りました.
まゆみさん「やっぱり,ここが一番大事なふるさとだったので,『なんで避難しなくちゃいけないんだ?』って」
自衛隊や,役場職員の説得を受け,勇夫さんが避難に応じたのは,事故から,2ヶ月後のことでした.
まゆみさん「うちの旦那の」取材者「それですか」
まゆみさん「間違いない」
玄関に置かれたままの,勇夫さんの上着.津島には,すぐに帰れると考えていました.
取材者「じゃあ,避難するとき.置いていったんですね,これ?」
まゆみさん「そうです.はい」取材者「ってことですね」
寿彦さん「多分,(すぐに)戻ってくるから,置いていった」
まゆみさん「置いていったんですね」
しかし,避難は予想を超えて長期化.仮設住宅での生活が始まります.
勇夫さんは,日に日に意気消沈しました.
「元気を出して欲しい」と願った家族は,勇夫さんを初めての一時帰宅に連れ出します.
大切な牧草畑が,人の背丈ほどの雑草に覆われていました.
寿彦さん「ここだね.ここに座ってた」
勇夫さんは,思い詰めた表情で,愛用のトラクターに座り込んでしまいました.
寿彦さん「トラクターを見たいということで来たんですけど,ちょっと,いろいろ見て,エンジンもかからなくなってしまって.
で,座ったのはいいんですけど,座って,そっから動かなくなってしまって.そっから,『俺は自宅にいる』って言い張ってしまったんですね.
で,結局,『家に誰もいないし,帰還困難区域だから帰るよ』って言っても,意地でも座ったままで.無理やりですけど,ほんとに引っ張って車に乗せたことがありましたね」
津島で再び暮らす自分の姿が見えない.
絶望した勇夫さんが頼ったのが「酒」でした.
まゆみさん「自分だけ,家に帰れると思っていたと思うんです.津島に.普通に,それが.できないっつうのが,やっぱ,心の中に,『ああ,そうなんだ』っつうのが,徐々に分かってきて,お酒を飲むようになってしまったっつうか」
寿彦さん「500mlのペットボトルに,(焼酎の)原液を移して,普通だったら,水で割ってのみのが当たり前なんですけど,そのまま,お水のようにゴクゴク飲んでしまう.お酒がないといらいらしてしまう.4リットル(の焼酎)を,1日に飲んでしまうみたいのが,ほとんどで」
取材者「もし,それを買ってこないというか--」
まゆみさん「それ---やっぱり暴れますよ.やっぱり.すごく.物をぶつけたり」
寿彦さん「お酒を飲んで,冷静を保つみたいな.津島にいた時のお父さんじゃなくて,もう,今はもう,ちょっと別な人---.人柄と言うんですか.性格も変わってしまったような感じで」
津島を離れて1年5ヶ月後に仮設住宅で撮られた写真.この頃には肝臓が弱り切り,一人では起き上がれなくなっていました.
まゆみさん「最期に,泣いて,逝きました.
すごく,もう,悔し涙だったんだと思うんですけど,あんだけ,やっぱ,津島に帰りたいっつう涙が止まらなかったのかなっつうのが.
原発がなければ,うちの旦那も長生きできたと思うんですけど.
原発がなければ,こんなに苦しむことなかったのにな,と思いました」
門間勇夫さんの例.
蟻塚医師は,フラッシュフォワードの脅威を指摘します.
蟻塚医師「原発避難の人たちは,前を向けば向くほど,絶望しか見えなかった.そういう未来に向くようにって,逆に過酷なこと.
そういう,とんでもない矛盾というか,絶望を含んだことなので,未来がないことに対して,どう対応するか.サポートするか,ケアするかっていうことは,全く,私らは未経験だったので.そこは,大変申し訳ないっていうか,未知の事態に遭遇したんだなと思います」
続く
付記
東日本大震災 死者・行方不明者数,震災関連死数
https://hinansyameibo.katata.info/article/after20110311-japan-20190110.html http://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat2/sub-cat2-6/20181228_kanrenshi.pdf
ttps://hinansyameibo.katata.info/article/after20110311-japan-20190110.html
福島県は,死者・行方不明者数は,宮城・岩手両県よりかなり少ないにもかかわらず,震災関連死は突出しており,しかも今なお増え続けている.
http://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat2/sub-cat2-6/20181228_kanrenshi.pdf