生きる権利 師岡カリーマ
本音のコラム
東京新聞 2017年(平成29年)7月29日(土曜日)
私が育ったエジプトでは,全国民がイスラム教徒かキリスト教徒だという前提で全てが営まれ,学校でも宗教の授業がある.
一神教を絶対的真理とする教育は,ひとつ間違うと思考停止や宗教的優越意識を生むなどの弊害もあるが,やまゆり園事件の植松被告のような,神を気取る思想を許容する余地がないという利点もあった.
一神教において,ある人が障害を持つのは全知全能である創造主の意志だ.
その命の価値をうんぬんする資格は人になく,同じく神の意志で(自力ではなく)健常者に生まれた者にとって,彼らを差別する理由がない.
こうしたすべてを「神の摂理」で説明できる精神的温室で育ったから,被告が本紙への書簡でつづったような,障害者の生きる意義を否定する差別思想にどう立ち向かえばよいのか,私には分からない.
被害者一人ひとりの人生や思いを伝えた本紙の特集は,その意味でひとつの道標を示しており,奪われた命の重みが改めて心に刻まれた.
「重い障害でも生きる価値はある」と証明しようとすればするほど,能力で人命を値踏みする被告や同調者の論調に私たちも引きずり込まれそうで不安になる.
価値とは字の通り,計ったり比べたりできるものだ.
その人だけのものである命=魂はいくらお金を積んでも複製できない.あらゆる価値を超えて不可侵なはずだ.
(文筆家)
相模原事件で当時26歳の娘を殺害された母 本紙に手紙
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201707/CK2017072402000100.html http://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2017/09/11/000231
植松被告が本紙に手紙
http://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2017/07/24/000331