横塚晃一さん語録 6
ある障害者運動の目指すもの 横塚晃一
「母よ殺すな」 生活書房 より
一. 殺される立場から
前回,前々回の続きです
横塚晃一さん語録4 - yachikusakusaki's blog
横塚晃一さん語録5 - yachikusakusaki's blog
〈前回・前々回のやや長い要約: 二人の障害児をもつ母親が下の女の子(当時二歳)をエプロンの紐で絞め殺すという事件が発生した.日本脳性マヒ者協会神奈川青い芝の会は,横浜地検・横浜地方裁判所に,「被告の罪を消すことは,働かざる者人に非ずという社会状況の中で“本来あってはならない存在”として位置づけられている私達脳性マヒ者を,いよいよこの世にあってはならない存在に追い込むことになる」旨等を記載した意見書を提出した.
マスコミは「福祉政策の貧困が生んだ悲劇,施設さえあれば救える」と書き,呼応した地元町内会や障害児をもつ親達の団体が減刑嘆願運動を始めた.この様な動きや同情論は全て殺した親の側に立つものであり一番大切なはずの本人(障害者)の存在はすっぽり抜け落ちており,我々障害者は言いしれぬ憤りと危機感を抱かざるを得ない.
冒頭の意見書は神奈川青い芝の会例会での時間をかけた話し合いの結果を受けて提出したものであり,また意見書に基づき,一連の活動を行った.
横浜地方検察局へ意見陳述したところ,はじめは「今,全国の施設の状況を調べて,起訴するかどうかを検討している」,そして1年後に起訴決定後は「君たちの言う通り裁判にかけるのだから,それでよいのではないか」というのが担当検事の答であった.
また,各党の県会議員などに意見書を手渡したところ,誰一人として殺された障害者がかわいそうだ,と言う者はなかった.そればかりか「あなた方に母親の苦しみがわかるか」「母親をこれ以上ムチ打つべきではない」とか「施設が足りないのは事実ではないか」などと逆に非難された.
そして,裁判は起訴するか否かであれほど時間を費やしながら,第一回公判が開かれるやいなや約一ヶ月で結審した.その結果は,刑法では,殺人に対し最低三年以上の懲役刑が処せられるはずであるにもかかわらず,母親には懲役二年,執行猶予3年という判決であった. 〉
我々はこの事件を通じて,我々障害者の存在を主張するために横浜,川崎駅頭などにおいて数度にわたる情宣活動を行った.その中のビラを一枚次に掲げてみよう.
まず表には,脳性マヒ者の男女が手をつないで歩いている写真を大きく載せ,その横に「我々の存在をいかに受け止めるか!」と大書してあるだけという変わったビラであるが,裏には次の文章が印刷されている.
我々に生存権はないのか!
去る五月二十九日横浜において,まだ二歳の重症児が母親に殺されました.そして地元町内会などにより,減刑運動がおきています.事件発生以来3ヶ月,横浜地検はどういうわけか加害者を起訴するか否か決めかねております.今までこの種の事件がおきるたびに施設の不備,福祉政策の貧困という言葉で事件の本質がすりかえられ,加害者は無罪となるのが常でした.加害者の無罪が当然とされるなら,殺される障害者の生存権は一体どうなるのでしょうか?
殺されるのが幸せか!
私達は本事件につき,たとえ動けない者でも,その生命は尊ばれねばならず,重症児抹殺を阻止するためにも加害者を無罪にはするなという意見書を提出しました.「重症児は死んだ方が幸せだ」という意見も聞きますが,これは生産第一主義の政策を続ける権力者の意志が,世間一般ひいては重症児の親にまでおおいかぶさり,働けない者は死んだ方がよいと考えるに至ったのです.この風潮は健全者といわれる人々にもふりかかっております.自然の小さな生命を無視した生産至上主義は,種々の公害を生み,人類全体を滅亡に導くかもしれません.
殺人を正当化して何が障害者福祉か!
「重症児を殺した母親を罰するよりもまず収容施設を作ることだ」ともいわれています.しかしこのような発想から作られる施設が,障害児の幸せにつながるはずはありません.なぜならそれは重症児の命を奪ったことを曖昧にし,障害者の生存権をも危うくする思想から作られるものだからです.ここにこそ福祉に名を借りた親達や社会のエゴイズムと差別意識が潜んでいるのです.
裁判の傍聴,街頭での情宣活動,福祉事業関係者との懇談など,我々はたえず行動し続けた.
その中の一つに「神奈川県重症心身障害児を守る会」との話し合いがある(守る会は先にあげた「県心身障害児父母の会連盟」の構成団体の一つである).
席上,我々は「この様な事件が起きるたびに減刑嘆願運動が起こり福祉行政の貧困,施設の不足が事件の原因とされ,加害者はあまり罪を問われないばかりか却って同情の的になる.それは生産第一主義の社会において,障害者は生産活動に参加できない故に『本来あってはならない存在』とされるのであり,あなた方が減刑運動に参画し,施設の不足を叫べば叫ぶ程,そのことによって我々とあなた方の子供は首を絞められることになる」と主張した.
これに対して守る会の人達は「障害者をもつ親は,必ず一度は一家心中を考える」「殺すことはよくないが,それが起こる現実に問題がある」「施設が足りないのは事実であり,施設をゴミ捨て場のように考えるのは極端だ」などと反論した.
また我々は「施設を必要としているのは親たちではないか,親たちの要求で作られた施設が障害者福祉だとすりかえられている」「障害者あるいは障害者(児)をもつ家庭は,社会から村八分にされるのであるが,この村八分にすること,施設に入れること,絞め殺すことの三つは全く同根の思想から出ている」と主張し,基本的には差別する側とされる側の相違からくる意識の対立となり,具体的には障害者収容施設(コロニー)というものの認識の違いが対立点となり,話し合いは平行線のまま終わった.
この重症児殺害事件に関する運動は社会的に大きな反響をよび,新聞,雑誌はもとよりNHKテレビ「現代の映像」にもとりあげられ多くの人達をこれ以後の障害者運動に巻き込んでいった.
以下 略
(二 あってはならない存在 三 崩壊からの出発)
横塚さん語録