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(母親による障害児殺しを)「悲劇」という場合も殺した親,すなわち「健全者」にとっての悲劇なのであって,この場合一番大切なはずの本人(障害者)の存在はすっぽり抜け落ちているのである.このような事件が繰り返されるたびに,われわれ障害者は言い知れぬ憤りと危機感を抱かざるを得ない. 横塚晃一さん語録4 

横塚晃一さん語録4

(横塚晃一さんの言葉は,再版された「母よ殺すな」(生活書房)より,今までも何回かこのブログ中に採録してきました.

''考えてみるといいのだろう「自分の友人を,同僚を,両親を.恋人を,夫や妻を『土人』と呼ぶかどうか」について'' 中島京子, ''(私自身)自分より重い障害の人を見れば「私はあの人より軽くて良かった」と思い----なんとあさましいことでしょう.'' 横塚晃一 - yachikusakusaki's blog

上野千鶴子さん語録2 「相模原事件の加害者は,自分が弱者になることに想像力を持たなかったのだろうか?----」 横塚晃一さん語録2「(子殺しの母は)『この子はなおらない.こんな姿で生きているよりも死んだ方が幸せなのだ』と思ったという.なおるかなおらないか,働けるか否かによって決めようとする,この人間に対する価値観が問題なのである」 - yachikusakusaki's blog

事件をきっかけに,----  NHK総合障害者殺傷事件が問いかけたもの(2) 横塚晃一さん語録3「他の人 — 同じ人間の身体から出てきた者 — がそうであるように,それぞれの地域に住み,自分自身の生活を営むということが原則となるべきであると思う」 - yachikusakusaki's blog 

続けて掲載させていただきます.

 

ある障害者運動の目指すもの 横塚晃一 (1)

「母よ殺すな」 生活書房 より

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一. 殺される立場から

 

昭和四五年五月二九日横浜市金沢区富岡町でおきた重症児殺しについて,被害者の袴田秀子ちゃんと同じ脳性マヒ者の組織である日本脳性マヒ者協会神奈川連合会より関係各位に対し意見書を提出することをお許し下さい.

 

現在多くの障害者の中にあって脳性マヒ者はその重いハンディキャップの故に採算ベースにのらないとされ,殆どが生産活動に携れない状態にあります.このことは生産第一主義の現社会においては,脳性マヒ者はともすれば社会の片隅におかれ人権を無視されひいては人命迄(まで)もおろそかにされることになりがちです.このような働かざる者人に非ずという社会風潮の中では私達脳性マヒ者は「本来あってはならない存在」として位置づけられるのです.

 

本事件の被告袴田美保子においてもたとえ二人の障害者を抱え幾多の生活上の困難があったにしろ,この「本来あるべき姿ではない」という一般通念が彼女に実際以上の精神的負担となっておおいかぶさり,子供の将来・自分の前途を悲観し絶望的になってしまったものと思われます.

 

しかしながら真の福祉社会とは社会の一人一人が,自分とは異なった姿の者,自分より弱い立場の者に対する思いやりをもち,その立場を尊重することではないでしょうか.たとえ寝たきりの重症児でもその生命は尊ばれなければなりません.本事件の原因を施設が足りないこと,福祉政策の貧困に帰してしまうことは簡単です.しかしそのことによって被告の罪が消えるならば,即ち本裁判においてもしも無罪の判決が下されるならば,その判決によって重症児(者)の人命軽視の風潮をますます助長し脳性マヒ者をいよいよこの世にあってはならない存在に追い込むことになると思われます.

 

私達は被告である母親を憎む気持ちはなく,ことさら重罪に処せというものでは毛頭ありません.それどころか彼女もまた,現代社会における被害者の一人であると思われます.しかし犯した罪の深さからいって何等かの裁きを受けるのは当然でありましょう.

どうか法に照らして厳正なる判決を下されますようお願い申し上げます.

 昭和四五年七月十日

 

右の一文は当時日本脳性マヒ者協会神奈川青い芝の会が,横浜地方検察庁横浜地方裁判所などに提出した意見書である.これは私が起草したものであるが,今,読み返してみると文章の拙さや思想的な未熟さが目立ち赤面の限りであるが,障害者運動の流れという観点からいえば大きな転換を画したものということができよう.

 

この事件は,二人の障害児をもつ母親が下の女の子(当時二歳)をエプロンの紐で絞め殺した,というものである.この事件が発生するや,新聞をはじめとするマスコミは「またもや起きた悲劇,福祉政策の貧困が生んだ悲劇,施設さえあれば救える」などと書き立て,これに呼応して地元町内会や障害児をもつ親達の団体が減刑嘆願運動を始めた.

 

そして県心身障害者父母の会(宇井儀一代表)は「施設もなく家庭に対する療育指導もない.生存権を社会から否定されている障害児を殺すのは止むを得ざる成り行きである」という抗議文を横浜市長に提出した.このようなマスコミキャンペーン,それに追随する障害者をもつ親兄弟の動き,そしてまたこれらに雷同する形で現れる無責任な同情論はこの種の事件が起きるたびに繰り返されるものであるが,これは全て殺した親の側に立つものであり,「悲劇」という場合も殺した親,すなわち「健全者」にとっての悲劇なのであって,この場合一番大切なはずの本人(障害者)の存在はすっぽり抜け落ちているのである.このような事件が繰り返されるたびに,われわれ障害者は言い知れぬ憤りと危機感を抱かざるを得ない.

 

(以下続く)