ある仲間からは「殺した親の気持ちがよくわかり,母親がかわいそうだ」「施設がないから仕方がない」---- などの意見が出され,これに対し----「我々は我々の立場に立って主張しなければならない.自分の立場を主張できない者にどうして他人の立場がわかり,気持ちを察することができようか」「それらは全て殺した親(健全者)の論理であり,障害者を殺しても当然ということがまかり通るならば我々もいつ殺されるかもしれない.我々は殺される側であることを認識しなければならない」と反論した. 横塚晃一さん語録5  

横塚晃一さん語録5

ある障害者運動の目指すもの 横塚晃一 

「母よ殺すな」 生活書房 より

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一. 殺される立場から

前回

(母親による障害児殺しを)「悲劇」という場合も殺した親,すなわち「健全者」にとっての悲劇なのであって,この場合一番大切なはずの本人(障害者)の存在はすっぽり抜け落ちているのである.このような事件が繰り返されるたびに,われわれ障害者は言い知れぬ憤りと危機感を抱かざるを得ない. 横塚晃一さん語録4 - yachikusakusaki's blog

 の続きです.

〈前回要約: 二人の障害児をもつ母親が下の女の子(当時二歳)をエプロンの紐で絞め殺すという事件が発生した.日本脳性マヒ者協会神奈川青い芝の会は,横浜地検横浜地方裁判所に,「被告の罪を消すことは,働かざる者人に非ずという社会状況の中で“本来あってはならない存在”として位置づけられている私達脳性マヒ者を,いよいよこの世にあってはならない存在に追い込むことになる」旨等を記載した意見書を提出した.

マスコミは「福祉政策の貧困が生んだ悲劇,施設さえあれば救える」と書き,呼応した地元町内会や障害児をもつ親達の団体が減刑嘆願運動を始めた.この様な動きや同情論は全て殺した親の側に立つものであり一番大切なはずの本人(障害者)の存在はすっぽり抜け落ちており,我々障害者は言いしれぬ憤りと危機感を抱かざるを得ない〉

 

この問題は神奈川青い芝の例会にも提出された.ある仲間からは「殺した親の気持ちがよくわかり,母親がかわいそうだ」「施設がないから仕方がない」「あの子は重度だったらしいから生きているより死んだ方がよかった」

などの意見が出され,これに対し

「障害者は死んだ方が幸せというならば我々がここでこのように生きていること,そしてあなたが一生懸命今まで生きてきたこと自体,矛盾するではないか」

「我々は我々の立場に立って主張しなければならない.自分の立場を主張できない者にどうして他人の立場がわかり,気持ちを察することができようか」

「それらは全て殺した親(健全者)の論理であり,障害者を殺しても当然ということがまかり通るならば我々もいつ殺されるかもしれない.我々は殺される側であることを認識しなければならない」

と反論し,時間をかけて話し合った結果,冒頭の意見書を作成するとともにそれに基づく一連の活動をすることに決定した.

 

まず意見書を携えて,横浜地方検察局へ意見陳述に行ったのであるが,地検のこの事件に対する,また我々に対する反応は冷たいものであった.我々が地検を訪れた時,担当検事は

「今,全国の施設の状況を調べて,起訴するかどうかを検討している」

と答えた.この事件が起こったのは昭和45年5月,横浜地検が起訴したのが46年6月であるから,殺人という事実関係が明らかなものに対して起訴するという極めて初歩的な作業に1年以上の日時を費やしたのである.普通の「子殺し」の場合ほとんどが一ヶ月以内に起訴されていることからみても理解に苦しむところである.しかもその理由が「全国の施設の状況を調べ」ることにあったというのである.全国の施設の状況」などは弁護側が情状酌量を主張するために行うものと思っていたが,検察側がそれも起訴するか否かということで調査するとは----.また起訴した段階で,再び我々が訪れたとき,担当検察官は「君たちの言う通り裁判にかけるのだから,それでよいのではないか」と言い放つ始末であった.

それから,筋違いは承知の上で我々の立場をPRするために,意見書の複製を持って神奈川県庁へ行き,各党の県会議員などにもそれを手渡し我々の立場を述べて回ったが,そこでも誰一人として殺された障害者がかわいそうだ,と言う者はいなかったのである.そればかりか「あなた方に母親の苦しみがわかるか」「母親をこれ以上ムチ打つべきではない」とか「施設が足りないのは事実ではないか」などと逆に非難された.

なんと障害者は殺されて当然ということが社会の隅々まで行き渡り,それが「常識」として確立されていることか!この社会常識を踏まえたところで行われた裁判において,検察側と弁護側がそれぞれの立場を主張し,激しく切り結ぶという極く一般的な裁判をわずかでも期待した我々の願いは全くの幻想であったことを思い知らされた.我々が裁判所に提出した意見書や,我々の生い立ち,生活経験を書き記した文章などの証拠物件は,弁護側の一方的要求になんら抵抗することなく削除されてしまったのである.

 

裁判は起訴するか否かであれほど時間を費やしながら,第一回公判が開かれるやいなや約一ヶ月で結審してしまい,その結果は母親に懲役二年,執行猶予3年という判決であった.

 

刑法第199条に「人ヺ殺シタル者ハ死刑又ハ無期懲役若シクハ三年以上ノ懲役ニ処ス」とある.つまり殺人の場合,最低三年以上の刑に処せられるはずである.ところがこの裁判では検察側の求刑自体懲役二年となっており,初めから元値を切った大安売りだったのである.

 

我々はこの事件を通じて,我々障害者の存在を主張するために横浜,川崎駅頭などにおいて数度にわたる情宣活動を行った.その中のビラを一枚次に掲げてみよう.

まず表には,脳性マヒ者の男女が手をつないで歩いている写真を大きく載せ,その横に「我々の存在をいかに受け止めるか!」と大書してあるだけという変わったビラであるが,裏には次の文章が印刷されている.

 

我々に生存権はないのか!

去る5月29日横浜において-----

 

以下続く

 

横塚さん語録

''考えてみるといいのだろう「自分の友人を,同僚を,両親を.恋人を,夫や妻を『土人』と呼ぶかどうか」について'' 中島京子, ''(私自身)自分より重い障害の人を見れば「私はあの人より軽くて良かった」と思い----なんとあさましいことでしょう.'' 横塚晃一 - yachikusakusaki's blog

上野千鶴子さん語録2 「相模原事件の加害者は,自分が弱者になることに想像力を持たなかったのだろうか?----」 横塚晃一さん語録2「(子殺しの母は)『この子はなおらない.こんな姿で生きているよりも死んだ方が幸せなのだ』と思ったという.なおるかなおらないか,働けるか否かによって決めようとする,この人間に対する価値観が問題なのである」 - yachikusakusaki's blog

事件をきっかけに,----  NHK総合障害者殺傷事件が問いかけたもの(2) 横塚晃一さん語録3「他の人 — 同じ人間の身体から出てきた者 — がそうであるように,それぞれの地域に住み,自分自身の生活を営むということが原則となるべきであると思う」 - yachikusakusaki's blog