「専門家会議廃止」と述べたこと(昨日のブログ参照:http://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2020/06/28/002707 )
を西村経済再生担当相が釈明し,反省しているとの記者会見を開きました.
テレビ中継を見ましたが,何となく釈然としない内容---.
組織図を示し,専門家会議は新型コロナ対策分科会へ「発展的に移行する」とのこと.
何故,前回の発表で組織図を示さなかったのか?あまりの反響の大きさに驚いて,あわてて作った組織図?とさえ思わせる---
時事通信社の記事によれば,
(下段 専門家会議、唐突に幕 政権批判封じ?政府発表前倒し―新型コロナ)
“25日に発表する段取りだった.それが覆ったのは24日の尾身氏らの会見直前.「きょう発表する」.西村再生相の一声で関係職員が準備に追われた.ある政府高官は西村氏の狙いを「専門家の会見で,政府が後手に回った印象を与える事態を回避しようとした」と断言する.”
いくら後(しかも4日後でした)で釈明しても,「廃止」というのが政府の本心だったので,このような言葉を使ってしまったのでは?
なお,本ブログの最下段に辰濃哲郎氏の記事(東洋経済)を引させて頂きました.
氏の結びの言葉は次の通り.同感です.専門家会議メンバーの説明は,客観性,政治的中立性,誠実性の点で,私にとっても「救い」でした.
辰濃哲郎(東洋経済 2020/06/27 https://toyokeizai.net/articles/-/359383 全文は下段に)
“これまで専門家会議の会見での専門家の言葉は,ウイルス感染症の解明過程ではあるものの,その時点での科学的根拠に基づいた提言だった.
それを聞いた私たちは,自分たちなりに心の準備をして,それぞれの立場で対応策を考えてきた.その情報が加工されたものではないことを知っていたからだ.
だが,その専門家の発信は今後,少なくなっていくに違いない.
その代わりに,政府というフィルターを通した情報がもたらされ,何が真実で,何がわかっていなくて,どんな状況なのかさえ知らされないまま,政府の方針に従わされることになるのかもしれない.
もちろん,科学の専門家だけですべてを決めることは許されることではない.
だが,彼らの言うインテグリティの意味する客観性,政治的中立性,誠実性は,新型コロナウイルス感染症の時代を生きていくうえで1つの救いではあった”
私がこれからも聞きたいのも“感染症/疫学専門家”の真摯な言葉.
その点からすると,新たな「新型コロナ対策分科会」の代名詞のように山中伸弥京大教授の名前が出て来ることに違和感を感じるのは私だけでしょうか?
「感染症/疫学は専門外」の医学者として盛んに発信しておられることに敬意を表したく思っていましたが,今のマスコミのとりあげ方,西村経済再生担当相の説明からすると,好むと好まざるに関わらず新型コロナ対策分科会の「顔」になっていくのでは----
少なくとも今までの山中教授の新型コロナウイルスに関する発言は,感染症/疫学の専門家を超えるものではなかっと思われますし( https://www.covid19-yamanaka.com/cont1/main.html ),「ファクターXを探せ」のように,研究者の視点が勝ちすぎで,私のようなど素人にとっては混乱を招きかねないものもあったように思います.
「政権批判への隠れ蓑」に使われてしまうのでは---そのようなことがないように祈ります.
西村担当相「排除と取られ反省」 専門家会議廃止で釈明
西村担当相「排除と取られ反省」 専門家会議廃止で釈明:時事ドットコム
時事ドットコムニュース 2020年06月28日14時16分
西村康稔経済再生担当相は28日の記者会見で、新型コロナウイルス対策を議論してきた政府の専門家会議を廃止すると発表したことについて、「私が『廃止』と強く言い過ぎ、専門家会議の皆さんを排除するように取られてしまった.反省している」と述べた.
会議廃止をめぐっては、意思決定の不透明さなどに与野党や会議メンバーから批判の声が出ている.
西村氏は、従来の専門家会議は厚生労働省内のアドバイス組織と、新たに設置する新型コロナ対策分科会へ「発展的に移行する」と強調.
分科会は,都道府県知事や経済界、労働界、マスコミ関係者の参加を想定しており、専門家会議メンバーも「当然何人かには入ってもらう」と説明した.
専門家会議,唐突に幕 政権批判封じ?政府発表前倒し―新型コロナ
時事ドットコムニュース 2020年06月27日13時42分
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020062700143&g=pol
新型コロナウイルス対策の方向性を主導してきた政府の専門家会議が突如,廃止されることとなった.政府が廃止を発表したのは,折しも会議メンバーが位置付けの見直しを主張して記者会見していたさなか.
あっけない幕切れには,政権批判と受け取られかねないその提言を打ち消す思惑がにじむ.
一連の経緯を検証した.
◇苦い経験
「え?もう1回言って」.24日夕,東京都内で会見していた専門家会議の尾身茂副座長は,記者から西村康稔経済再生担当相が会議廃止を表明したことを問われ,戸惑いをあらわにした.
専門家会議の見直し自体は,5月の緊急事態宣言解除前後から尾身氏らが政府に打診していたこと.この日の会見では,政府の政策決定と会議の関係を明確にする必要性を訴えていた.
背景には「十分な説明ができない政府に代わって前面に出ざるを得なかった」(会議メンバー)ことによる苦い経験がある.会議は国内で流行が広がった2月,感染症専門家を中心に置かれ,「人と人の接触8割減」「新しい生活様式」などを次々と発表.政府は提言を「錦の御旗」とし,国民に大きな影響を及ぼす対策を実行に移した.
その結果,専門家会議が政府のコロナ対応を決めているように映り,メンバーは批判の矢面にも立つことに.5月4日の安倍晋三首相の会見では,同席した尾身氏がPCR検査の少なさについて説明に追われた.
会議の存在感が高まるにつれ,経済・社会の混乱を避けたい政府と事前に擦り合わせる機会が拡大.5月1日の提言では緊急事態宣言の長期化も念頭に「今後1年以上,何らかの持続的対策が必要」とした原案の文言が削られた.関係者は「会議の方向性をめぐりメンバー間でもぎくしゃくしていった」と明かす.
◇高まる相互不信
揺れる専門家を政府は「どうしても見直すなら政府の外でやってもらう」(内閣官房幹部)と突き放していた.亀裂を表面化させない思惑が働いたことで最近になってから調整が進み,(1)会議の廃止(2)法的な位置付けを持つ新型コロナ対策分科会への衣替え(3)自治体代表らの参加―が固まった.当初は尾身氏らの提言を受け,25日に発表する段取りだった.
それが覆ったのは24日の尾身氏らの会見直前.「きょう発表する」.西村再生相の一声で関係職員が準備に追われた.ある政府高官は西村氏の狙いを「専門家の会見で,政府が後手に回った印象を与える事態を回避しようとした」と断言する.
専門家会議の脇田隆字座長や尾身氏には連絡を試みたが,急だったため電話はつながらないまま.「分科会とは一言も聞いてない」とこぼす専門家らに,内閣官房から24日夜,おわびのメールが送られた.
後味の悪さが残る最後のボタンの掛け違い.会議メンバーの一人は「政治とはそういうもの.分科会で専門家が表に立つことはない」と静かに語った.
専門家会議「廃止」に日本政府への心配が募る訳
中立性・客観性・誠実性の言葉はもう聞けない?
辰濃 哲郎 : ノンフィクション作家
東洋経済 2020/06/27
https://toyokeizai.net/articles/-/359383
6月24日夕,新型コロナウイルス対策を担う西村康稔経済再生相は,政府に医学的な見地から助言をしてきた専門家会議(座長・脇田隆字国立感染症研究所長)を廃止すると発表した.
代わりに他分野の専門家を交えた分科会を発足させるという.市民にとっては,専門家会議が提示した科学的根拠に基づく生の情報によって,自分の判断で行動変容に対応できた.これまでにない施策過程の透明化が,国民的な理解を深めたともいえる.
「表に出過ぎだ」などの批判も
一方で,記者会見を繰り返して行動変容を求めるメッセージを発したことに対して「専門家会議が政策を決めている」「表に出すぎだ」などの批判があった.今回の「抜き打ち的」とも言える廃止宣告は,政府と専門家会議の軋轢を物語っているようにさえ見える.
西村経済再生相の記者会見より少し前,東京・内幸町の日本記者クラブでは,その専門家会議の脇田座長,尾身茂副座長,それに岡部信彦川崎市健康安全研究所長による会見が始まっていた.会見のテーマは「次なる波に備えた専門家助言組織のあり方について」という問題提起だった.
冒頭,脇田座長が用意した文書を読み上げた.感染拡大が続く中で「対策案を迅速に政府に伝えないと間に合わない」という危機感が高まり,政府に提起するだけでなく,その提案に至った理由を社会に説明し,市民に行動変容を求めるなど,感染防止策を共有する必要性を感じたという.そのことが本来の業務となる「助言」だけでなく,市民に行動変容を求めるメッセージなどにもつながっていった経緯を説明した.
これらの行動を「前のめり」だったと告白すると同時に,「外から見ると,あたかも専門家会議が政策を決定しているような印象を与えていたのではないかと考える」「人々の生活にまで踏み込んだと受け止め,警戒感を高めた人もいた」などと分析した.
確かに,記者会見や個人のSNSなどでの発信も含めた露出度は高かった.尾身副座長の朴訥とした語りは,テレビでもお馴染みとなった.
「これから1~2週間が急速な拡大に進むか,収束できるかの瀬戸際となります」「約80%の方は,他の人に感染させません」.さらに「3密」「オーバーシュート」などの言葉が市民の間に定着したのも,新型コロナウイルス感染症に対する関心度が高いだけではなく,科学的根拠に裏付けられた信頼感に基づくものといえる.専門家会議の発した提言・見解・状況分析は10に及ぶ.
正式な構成員ではないが,クラスター対策班の一人として参加した西浦博北海道大学教授は,こういったパンデミックに日本では初めて数理モデルを駆使して感染状況を分析した.「行動制限を取らなければ,収束までに42万人が死亡する」との試算や,「人と人との接触を8割減らす」と提言したことで「8割おじさん」と呼ばれるなど,大きな影響を与えた.
4月中旬に,専門家会議としてではなく個人の見解として公表した42万人が死亡するとの推計には,過大でないかとの批判があった.だが当時は,感染爆発を起こしていたイタリアやスペイン,アメリカと同じような曲線を描いて感染者が増えていた時期だ.それが日本であったとしても不思議はない.
1人の感染者が何人に感染させるかを数値化した「実効再生産数」の値によって,推計値は大きく変わるといわれているが,その議論はここではしない.
「政策を決定している」批判の矛先が専門家会議へ
こういった「前のめり」の専門家会議の行動が,いつしか「政策を決定している」との批判に変わっていく.緊急事態宣言や営業の自粛を強いられた店が,その非難の矛先を政府ではなく専門家会議に向けることにもなりかねない.ある会議のメンバーが「一部では脅迫状めいたものがたくさん届いている」と打ち明ける.
筆者が注目したのは,専門家会議が会見で公表した文書の中に記されていた「インテグリティ」という言葉だ.本来は「高い倫理性」を指す言葉だが,脇田座長は「客観性」「政治的中立性」「誠実さ」と説明した.いわば科学者としての良心だ.これまで専門家会議は,根拠のある提言を政治に左右されず臆せず提言し,メンバーは会見で自分の言葉で語りかけてきた.
「はっきり言うのが私たちの務めですから」「ちょっと冷たいということかもしれないけれど」とは,いずれも過去の会見で尾身副座長が発した言葉だ.言いにくいことでもはっきり言うことが,専門家としての責務と感じていたのだろう.
岡部氏に至っては,かつて議事録の公表が問題になったとき,会見の席上,「誰がどういう発言をしたかというのは責任を持ったほうがいいと思うので,できればそういうほう(議事録の公開)がありがたい」と言ってはばからなかった.政府から独立していることの証左でもある.
そういった生の言葉が市民を引きつけたのと引き替え,官僚の作文を読み上げる安倍晋三首相のスピーチは,筆者の心には迫ってこない.おまけに「専門家の皆さんの見解であります」「こうした専門家の皆さんの意見を踏まえれば」と繰り返されれば,政策は専門家会議が決めているとの印象を与えても仕方がない.言ってみれば,政府の責任回避の姿勢が,専門家会議のメンバーのジレンマにつながっていったことは容易に想像がつく.
緊急事態宣言の発出も,その解除も,最終的には政府が判断している.にもかかわらず,専門家会議が決定していると思われるのは,政府の政策判断の過程が見えてこないからだ.
専門家会議の助言を踏まえて,社会的・経済的な吟味を加えて,最終的にこう判断したという合理的な説明があれば,その責任は政府が負うことになると同時に,専門家会議を守ることにもつながっていく.「専門家会議が政策を決めている」との疑念を裏返せば,政府の無責任さが浮かんでくる.
尾身副座長「知りませんでした」
会見中の尾身副座長が一瞬,怪訝そうな表情を浮かべたのは,西村経済再生相が専門家会議を廃止して分科会を設置すると会見で述べたことを,記者の質問で知ったときだ.「大臣が何か発表されたんですか?」と問い直したうえで「知りませんでした」と答えた.
専門家会議がこの日,まさしくその問題で会見に臨むことは,西村経済再生相も知っていたはずだが,そのことを伝えていなかったことには驚く.西村経済再生相に告知する義務はないし,政府が決めることだから専門家会議のメンバーも異を唱えるつもりもないだろう.だが,この間,未知のウイルスに対して手探りで感染防止策を模索してきたメンバーに,「廃止」という言葉で報いるのは残酷すぎないだろうか.
西村経済再生相は,専門家会議を廃止するのは,法的な位置づけが不安定だったためと説明している.新しい分科会は,リスクコミュニケーション(リスク時の情報発信)の専門家や地方自治体の関係者らを加える方針も示した.
これまで専門家会議の会見での専門家の言葉は,ウイルス感染症の解明過程ではあるものの,その時点での科学的根拠に基づいた提言だった.それを聞いた私たちは,自分たちなりに心の準備をして,それぞれの立場で対応策を考えてきた.その情報が加工されたものではないことを知っていたからだ.
だが,その専門家の発信は今後,少なくなっていくに違いない.その代わりに,政府というフィルターを通した情報がもたらされ,何が真実で,何がわかっていなくて,どんな状況なのかさえ知らされないまま,政府の方針に従わされることになるのかもしれない.
もちろん,科学の専門家だけですべてを決めることは許されることではない.だが,彼らの言うインテグリティの意味する客観性,政治的中立性,誠実性は,新型コロナウイルス感染症の時代を生きていくうえで1つの救いではあった.