「百花王」「花の王」と称される牡丹.牡丹の語源・名称,文化史,文学,等まとめてみました. 牡丹散ってうちかさなりぬ二三斤 蕪村   白牡丹といふいへども紅(こう)ほのか 虛子  わが春の二十(はたち)姿と打(うち)ぞ見ぬ底くれなゐのうす色牡丹 与謝野晶子   近よりてわれは目守らむ白玉の牡丹の花のその自在心 斎藤茂吉

鶴岡八幡宮のぼたん園では,早くも牡丹が見頃になっていました.

https://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2022/04/27/235253

豪華さから「百花王」「花の王」と称される牡丹日本国語大辞典.日本各地に牡丹の名所は知られています.

ニッポニカによれば

宮城県岩沼市「金蛇(かなへび)水神社牡丹園」 / 福島県須賀川(すかがわ)市「須賀川牡丹園」 / 埼玉県東松山市「箭弓(やきゅう)稲荷神社牡丹園」 / 静岡県袋井(ふくろい)市「可睡斎(かすいさい)」 / 奈良県桜井市初瀬(はせ)「長谷(はせ)寺」 / 奈良県葛城(かつらぎ)市當麻(たいま)「當麻寺」 等

金蛇(金蛇)水神社牡丹園 - Google 検索

 

このブログで以前牡丹をとりあげていますが,

https://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2017/04/20/025125?_ga=2.145349940.1215117419.1650897303-739184038.1517026918

改めて牡丹についてまとめてみます.

 

牡丹は中国北部が原産とされています.

https://nippon-botan.com

数多くの園芸種が開発されてきましたが,現在の園芸種に関わっているのは「今日の園芸品種に関わっている原種は8種、2変種、1生態」.

https://nippon-botan.com/guide/

 

牡丹の語源,英語名,属名

一説には「ギリシャ語を古代中国で音訳したもの」(日本語源大辞典 小学館).

ちなみに,

▽「中国語で、芍薬は芍药(Sháoyao) 、牡丹は牡丹(Mǔdan) 」(新宿校|ブログ|中国語教室|ハオ中国語アカデミー【東京・名古屋・大阪・他全国】

▽英語では芍薬も牡丹も同じ「Peony」.特に牡丹を特定するときには「Tree Peony」.

▽植物学では芍薬も牡丹もボタン属.(ユキノシタ目ボタン科ボタン属)

そのラテン語属名はPaeonia.

現在ボタン属は三つの節(section)に分けることが提案されていて,シャクヤクは「section Paeoniae」,ボタンは「section Moutan」.Peony - Wikipedia

 

文化史

主に,ニッポニカ(ボタン(牡丹)とは - コトバンク),古今短歌歳時記(鳥居正博,教育社)からまとめてみます.

牡丹が観賞用に特に尊ばれたのは中国.

初めは薬用として用いられるだけだったようですが,唐代に観賞用に急速に広まって,大騒ぎをして利殖に走る人も出てきたことを白居易漢詩に詠んでいるそうです.

 

神農本草経(しんのうほんぞうきょう 三世紀頃?)  薬用としての記録⇒根の皮部「牡丹皮(ぼたんぴ)」

( 現在でも「牡丹皮」は薬用に使用されています.

「血中の熱をさまして活かす作用」「消炎、止血、鎮痛などに効果があり」「頭通,ニキビ,腹痛,痔疾,更年期障害不眠症など幅広い疾病に用いられているそうです  ボタンピ(牡丹皮) タケダの生薬・漢方薬事典 | タケダ健康サイト  )

 

北斉(ほくせい)(550~577)のころ 観賞用

唐代 栽培が広がる:特に9世紀前半に洛陽(らくよう)で急速に流行

 漢詩:劉禹錫(りゅううしゃく 772〜842)「真の国色」,

白居易(772〜846)「花開き花落つること二十日,一城の人皆狂へる如し」

 

日本へもたらされたのは奈良時代.おそらく遣唐使によると考えられているようです.

万葉集には取り上げられていませんが,平安時代枕草子等に記載されます.短歌には余り詠まれず,詠まれる場合は「深見草」という名称が使われていました.

江戸期には,元禄(げんろく)・宝永(ほうえい)年間に,上方を中心にブームが起こり,また,俳句で盛んに取り上げられています.短歌では明治以降の歌人が詠っています.

 

奈良時代

聖武天皇(701〜756),吉備真備が唐からもたらした?

菅原道真(845〜903)『菅家文草(かんけぶんそう)』:「色は即(すなは)ち貞白為(た)り、名は猶(なほ)し牡丹と喚(よ)ぶ」

平安時代

藤原道綱母蜻蛉日記』:「何とも知らぬ草ども繁(しげ)き中に、牡丹(ぼうたん)草どもいと情けなげにて、花散りはてて立てるを見るにも」

清少納言枕草子』:「台の前に植ゑられたりける牡丹(ぼうた)などのをかしきこと」

鎌倉、室町時代

寺院や庭園などに広く植えられるようになった。

江戸時代

元禄(げんろく)・宝永(ほうえい)年間(1688~1711):花の観賞が盛んになる

はじめ上方でブームが起こり,元禄年間に書かれた本には487種の品種が出てくるそうです(江戸のガーデニング).

『花壇地錦抄(じきんしょう)』(伊藤三之丞、1695):白牡丹の仲間179品種、紅牡丹の仲間160品種、筑前(ちくぜん)牡丹138品種を掲載

(残念ながら,これらの品種はほとんど残っておらず,現在の栽培種はその後作出されたり移入されてきたものとのことです ボタンとは - 育て方図鑑 | みんなの趣味の園芸 NHK出版 )

 

牡丹蘂(しべ)ふかく分(わけ)出(いづ)る蜂の名残かな 芭蕉

牡丹散ってうちかさなりぬ二三斤 蕪村

 

白牡丹といふいへども紅(こう)ほのか 虛子

 

わが春の二十(はたち)姿と打(うち)ぞ見ぬ底くれなゐのうす色牡丹 与謝野晶子

近よりてわれは目守らむ白玉の牡丹の花のその自在心 斎藤茂吉

 

そして

牡丹は,よく知られているように,家紋・文様・絵画に好んで取り上げられてきました.

 

家紋-牡丹(ぼたん) - 家紋一覧/お仏壇のよねはら

 

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