バラは,アメリカをはじめ多くの国の国花とされています.
バラを国花とする国々:
ブルガリア,キプロス,チェコ,イラン,イラク,ルクセンブルグ,ルーマニア,スロバキア,アメリカ,イングランド.
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イギリスUnited Kingdomでは,イングランド,スコットランド,ウェールズ,北アイルランドそれぞれに国花があり,バラを国花とするのがイングランド.
(スコットランド:アザミ,ウェールズ:スイセン/リーキ,北アイルランド:shamrockコメツブツメクサ)
しかし,イングランド国花のバラは,特別なバラで,チューダーローズ(テューダーローズ)と呼ばれる紋章が国花とされています.
チューダーローズが生まれた背景には,30年間に及ぶイギリスの内戦・薔薇戦争が関わっており,和解の印として生まれたのがチューダーローズ.
薔薇戦争を戦ったヨーク家とランカスター家の紋章は,それぞれ白と赤のバラ.チューダーローズは両者を組み合わせた紋となっています.
そして王冠を頂いたチューダーローズはイギリス王家の紋章です.
チューダーローズ:Lancaster 家の赤バラと York 家の白バラを組み合わせた模様;King of England を表象する;建築の装飾や紋章に見られる.
チューダーローズ誕生の歴史
バラは,イングランドの王と王妃の紋章のイメージの一部でもあります.例えば,ヨーク家とランカスター家の紋章は,それぞれ白と赤のバラで,1455年から1485年にかけて両家の間で勃発した内戦は,後に「薔薇戦争」と呼ばれるようになりました.
ヘンリー6世 第1部 第2幕 シーンIVでは,シェイクスピアは,小さな領主の集まりが,これから起こる紛争の中でどちらの側につくかを選択する方法として,神殿の庭からさまざまな色のバラを摘み取る様子を描いています.白いバラを選んだウォリック(ウォーリック)伯爵は言う.
プランタジネットの家名に投げつけられた汚点は,
ウィンチェスターとグロスターの和解のために招集される
今度の会議において,必ずやぬぐい去られましょう.
そこであなたがヨーク公の称号を得られぬとあれば,
私もウォリック伯の名で呼ばれて生きつづけはしません.
それはともかく,私はあなたへの忠愛のしるしとして,
高慢なサマセットやウィリアム・ポールを相手どり,
あなたにお味方すべく,このバラを身につけましょう.
そして,私はここに予言します,テンプル法学院の庭で,
今日,このような党派争いにまで進展した論争は,
やがて紅ばらと白バラのあいだの争いとなり,きっと
数百数千の魂を死と暗黒の世界へ送ることになるだろうと.
興味深いことに,「薔薇戦争」という言葉が使われるようになったのは1829年以降で,ウォルター・スコット卿が彼の小説『アン・オブ・ギアシュタイン』の中でそのように言及しています.
薔薇戦争は,賢く戦略的なヘンリー7世がイングランド王に戴冠したことで幕を閉じました.
1486年にエリザベス・オブ・ヨークと結婚したヘンリー7世は,2つの王朝と2つのバラを組み合わせ,白と赤の両方を持つ有名なチューダーローズを誕生させました.これが「イングランドの花」と呼ばれるようになり,現在では国花となっています.
一四五五~八五年のイギリスの内乱.ランカスター家とヨーク家の王位争奪を中心とする封建貴族間の戦争.前者は紅バラ,後者は白バラを徽章として闘った.ランカスター派のヘンリー=チューダー(ヘンリー七世)が勝ってチューダー王朝を開き,ヨーク家のエリザベスと結婚して内乱を収めた.長期の内乱で封建貴族の力が衰え,チューダー絶対王政の道が開けた.
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説