25年の歳月.子供が大人になり,社会的立場の変化をもたらす年月でもあります.結婚や子供の誕生によって,震災のとらえ方が変化している様子も見えてきました.父を亡くした高橋朗さん.父が残した最後の言葉「息子たちをよろしく頼む」.母に黙って,父が亡くなった店の跡地を訪ねていました.親になったことで,改めて向き合う亡き父の存在.「 “息子たちを任せた”という気持ちは,より分かるようになりましたね.悔しかったろうなって思います」NHKスペシャル あの日から25年大震災の子どもたち3

NHKスペシャル あの日から25年大震災の子どもたち3

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NHKスペシャル あの日から25年大震災の子どもたち1 - yachikusakusaki's blog

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子供時代に震災を経験し,整理の就かない複雑な気持ちを抱えながら,25年を生きてきた人たち.

 

今回の調査では,震災の経験が,その後の生き方にどう影響したか聞きました

「人生の使命とは何かを考えるようになった」という設問に対し,被災度が高い人ほど,そう思うと答える傾向にあるとわかりました.

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北川さんも去年“自分の使命を”を考えるきっかけがあった.

北川景子さん結びつけるのはすごくおこがましいんですが,イチロー選手が引退されて,会見をされて,見ていて.

当時,オリックス・ブルーウェーブが“がんばろうKOBE”っていうワッペンっていうんですか,バッチをつけて,選手の皆さんが,プレーをして下さっていて,表に出る人が“頑張りましょう”って一言言ってくれることが,すごくうれしかったので.

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がんばろう神戸 オリックス 優勝 イチロー - Google 検索

 

当時,全然,自分がそのあと女優になるとかも思ってはいなかったんですけど,結局こうなったので.こういう仕事に就いたので,とにかく全うすることが,どこかの誰かの勇気だったりとか励みになっている可能性もあるから,先ずやれることは,この与えられた仕事を全うすることだと思っています」

 

震災から25年の歳月.それは,子供が大人になり,社会的立場の変化をもたらす年月でもあります.

今回の調査では,結婚や子供の誕生によって,震災のとらえ方が,かつてに比べて変化している様子も見えてきました.

夫や妻になったこと,子どもが誕生し親になったこと.

それをきっかけに心境が変化し,「震災の記憶がよみがえった」「震災の見え方が昔と変わった」という人がいたのです.

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(映像 子どもと遊ぶ男性)

父を亡くした高橋朗(あきら)さん,35歳です.

妻と3人の子どもがいます.

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この25年で朗さんが最もつらいと感じたのは,震災直後ではありません.実は念願の子どもを授かったときのことでした.

高橋さん「僕にお父さんがいないという事実は,やっぱり一生変わらないんやなっていうのを,もう一回思い知らされたんですよね.唐突に父を亡くして話すことも出来ない状況で,男の子が生まれて.相談したいことはやっぱりいっぱいあったんやなって」

 

(映像 ビデオ 子どもと腕相撲する男性)

父の修さんです.子供たちを過ごす時間を何より大切にする,優しい父親でした.

地震によって起きた火災で,焼け野原になった神戸市長田区.

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阪神大震災後の長田区 - Google 検索

父はここで働いていました.

パン屋を営んでいた父修さん.地震で建物が崩れ,下敷きになりました.

(映像 修さんのパン屋のあと.張り紙「マツヤのパン高橋修ここに眠る」)

火の手が迫る中,父が残した最後の言葉.それは,「息子たちをよろしく頼む」でした.

 

(映像 避難所の朗さん)

震災直後の朗さんです.

当時10歳.この時,朗さんは自分の気持ちをしまい込み,悲しみに暮れる母のことを気にかけていました.

朗さん「やっぱ,自分で守る.自分というか,あの,母ちゃん一人やったら,つらいからね.守らなあかんかなっ.う〜ん.お父ちゃんの代わりに母ちゃんを守る」

(映像 自転車の乗って出かける朗さん)

友達と遊びに行くと言って,出かける朗さん.

母に黙って,父が亡くなった店の跡地を訪ねていました.

(映像 店の跡地の前で手を合わせる朗さん)

 

朗さん「父が子どもに対して,僕に対して,どう思ってたのか,とか,どういう感情を持っていたのかというのは,特に震災直後は思ってましたね.聞きたいけれど,もう聞けないということ」

 

父のことをもっと知りたいと感じていた朗さん.

しかし,誰のも聞けないまま,大人になっていきました.

 

今,三人の子の父親となった朗さん.

長男幸太くん(8)ハチロク48,ハチシチ56,ハッパ64」

長男の幸太くんは,小学2年生になりました.

親になり新たな苦しみと向き合う日々.朗さんは父の知り合いを訪ねるようになりました.

(映像 父の友人と握手する朗さん)

父と20年以上の友人.古市忠夫さんです.自分の知らない父の姿を教えてもらおうとしています.

古市さん「俺,ちょっと腰痛いから-,こんな格好で」朗さん「いやいや,全然全然」

朗さん「古市さんとね,父ちゃん,消防団のつながり?それとも鷹取商店街?」

古市さん「(商店街で)行事するやん.ハサミがない,ドライバーがないって言ったら,なんか道具がないって言うたら,“修”って言ったら,必ずあいつ持っとるな」

朗さん「ハハハハ.そうなんや」

古市さん「“修,持ってないか?って言った持っとる」

朗さん「へえ〜,準備しとるん?」

古市さん「準備しとる.そういう,さっき言うたように,蔭で支える力をいつも蓄えている.考えてる.そういう父ちゃんやった」

朗さん「用意周到?」「うん,そうそう」

朗さん「お父さんがどれだけ街に貢献していたかとか,どう周りに頼りにされてたとか,というのは---」

 

朗さん「やっぱ,古市さんに聞かないと分からないことが多かった,誇らしい気持ちは高まったんですかね」

 

今,子育てまっただ中の朗さん.自分の姿を,在りし日の父親と重ね合わせるようになっています.

幸太くんをたびたび海釣りに誘うようになりました.

朗さん「せやろ,幸太.全然来うへんやろ?ハハハハ.それも含めて釣りや.父ちゃんの仕掛けだけ,ちょっと作らせてな」

 

朗さんは,釣りを一から父に教わりました.その優しい姿が朗さんの心に残っています.

 

朗さん「幸太,餌つけるん見とく?1回.父ちゃんが父ちゃんとやっとるときも,こんな餌つけるんなんか,できひんから,王様釣りっていって,餌つけてもらって,投げてもらって,で,魚が来たら巻くだけ.という王様釣りを,ようしとった」

幸太くん「---で,それが?」

朗さん「いや,多分,幸太もそうなるんやろな,って思って」

 

震災から25年.自らが親になったことで,改めて向き合う,亡き父の存在.

今,父が残した最期の言葉をかみしめています.

 

朗さん「そのときの,“息子たちを任せた”という気持ちは,より分かるようになりましたね.

悔しかったろうなって思います.

小5,中1,中3ってね.今から社会に出たりとか,いろんなことをもっと見ていきたかったやろうなって」

 

あと5年で,父の年齢を超える朗さん.

父が歩めなかったその先を,自分の足で歩んでいこうとしています.

 

大人になり,親になることで変わっていく震災への思い.

多くの人が,そのことを実感していました.