アシ・ヨシ,葦/蘆/葭
古事記には5つの場面で登場するアシ.
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日本各地の湖沼や河川の岸および水湿地に大群生し,
日本書紀にある「豊葦原瑞穂国(とよあしはらみずほのくに)は,日本の美称として知られています.
豊葦原の瑞穂の国(トヨアシハラノミズホノクニ)とは - コトバンク
しかし,アシに加えてヨシと呼び名が2つ.
やっかいなことに,どちらもかなりよく使われている!
植物としての標準名はヨシとのこと.
牧野富太郎「植物記」では
“ アシはまたヨシともいわるるがこれはアシを悪しいとて縁起を祝いヨシすなわち善しとしたもので本来の名は正しくアシである.”
とあるにもかかわらず----
日本国語大辞典によれば,ヨシと記した最も古い現存書物は「嘉応二年住吉社歌合(1170)」
“伊勢島には浜荻と名づくれど,難波わたりにはあしとのみいひ,あづまの方にはよしといふなるが如くに”
既に,平安末期には東国ではよしといわれていたようですね.
表記の点でやっかいなことがもう一つ.
漢字が葦/蘆/葭と三種類あって,書き分ける原則はないように見えます.
これも牧野富太郎「植物記」によれば,
“ アシは漢名を蘆と書く.また葦と書いても宜しく,また葭と書いても差支えはない.この三つは何れもアシの事ではあるが,しかし支那の説では初生の芽出しが葭でそれがもっと生長した場合が蘆で,そして充分成長したものが葦であり葦は偉大の意味だと書いてある.”
豊葦原 vs 葦原
“ 豊葦原はトヨアシハラといってトヨヨシハラとはいわない.しかるに今日ではアシの茂っている処をヨシハラと呼んでアシハラといわぬのは,トヨアシハラと全く反対になっていて面白い.”
豊葦原 vs 葦原ほど面白くはないものの---
植物単体では,アシと呼んでも,ヨシと呼んでもかまわないにもかかわらず,熟語になると読み方は固定されてしまう例をもう少し追加してみましょう.
葦切は,アシキリではなくヨシキリ.
葦簀は,アシズではなく,ヨシズ.
葦毛は,ヨシゲではなく,アシゲ.
アシは,万葉集にも頻出して,桜と同じ50首の歌に登場します.
ここでは,もちろんヨシではなく,アシ.
葦 万葉集
葦辺(あしへ)行(ゆ)く、鴨(かも)の羽交(はが)ひに、霜(しも)降(ふ)りて、寒(さむ)き夕(ゆふへ)は、大和(やまと)し思(おも)ほゆ
葦べ行く鴨の羽交ひに霜降りて寒き夕べは大和し思ほゆ 〔巻一・六四〕 志貴皇子
▽斎藤茂吉 万葉秀歌
文武天皇が慶雲三年(九月二十五日から十月十二日まで)難波宮に行幸あらせられたとき志貴皇子(天智天皇の第四皇子,霊亀二年薨)の詠まれた御歌である.難波宮のあったところは現在明かでない.
大意.難波の地に旅して,そこの葦原に飛びわたる鴨の翼に,霜降るほどの寒い夜には,大和の家郷がおもい出されてならない.
鴨でも共寝をするのにという意も含まれている.
「葦べ行く鴨」という句は,葦べを飛びわたる字面であるが,一般に葦べに住む鴨の意としてもかまわぬだろう.
「葦べゆく鴨の羽音のおとのみに」(巻十二・三〇九〇),「葦べ行く雁の翅を見るごとに」(巻十三・三三四五),「鴨すらも己が妻どちあさりして」(巻十二・三〇九一)等の例があり,参考とするに足る.
志貴皇子の御歌は,その他のもそうであるが,歌調明快でありながら,感動が常識的粗雑に陥るということがない.
この歌でも,鴨の羽交に霜が置くというのは現実の細かい写実といおうよりは一つの「感」で運んでいるが,その「感」は空漠たるものでなしに,人間の観察が本となっている点に強みがある.
そこで,「霜ふりて」と断定した表現が利くのである.
「葦べ行く」という句にしても稍(やや)ぼんやりしたところがあるけれども,それでも全体としての写象はただのぼんやりではない.