青首大根
青果売り場で,大根と言えば全て青首大根.
市場を席巻しています.
現在では青首以外の大根を見たことがない方もいるかもしれませんね.
https://www.sakataseed.co.jp/product/search/code00925002.html ダイコン [大根] - みんなの花図鑑(掲載数:3,406件)
この青首大根.私はてっきり品種の名前かと思っていましたが,品種の名前ではないんですね.
青首大根 :大根の地ぎわの首の部分が緑色となる大根の総称(精選版 日本国語大事典)
種苗販売店のサイトを覗くと,多くの種類の青首大根の種が販売されています,
例えば,
緑輝,耐病総太り,耐病宮重,三太郎,関白,新八洲,春まき耐病総太り二号,おろし二号,冬自慢,ころっ娘,天宝,おでん大根 YR味づくり,あじまるみ大根,夏伝説,
01 大根(ダイコン)|野菜種(タネ)・苗の専門店 高木農園
初めて見る名前ばかりですが----
耐病宮重にある「宮重」は,昨日のブログで取り上げた,江戸時代に分化された愛知県名産の大根の名前.
そして,現在の青首大根はこの「宮重」を軸に新たに開発された品種で,市場を席巻するきっかけになったのは「耐病総太り」.
農業従事者以外にはやや妙な名前と感じてしまいますが,性質を前面に出したわかりやすい名前.
この新しい青首大根の種子を開発したタキイが「耐病総太り」回顧録をネットに公開しています.
耐病総太り 回顧録 | タキイの野菜 【タキイ種苗】1 耐病総太り 回顧録 | タキイの野菜 【タキイ種苗】2 耐病総太り 回顧録 | タキイの野菜 【タキイ種苗】3 耐病総太り 回顧録 | タキイの野菜 【タキイ種苗】4 耐病総太り 回顧録 | タキイの野菜 【タキイ種苗】5 耐病総太り 回顧録 | タキイの野菜 【タキイ種苗】6
この記事を元に,青首大根がどのようにして市場を席巻したのかを,まとめてみます.
(素人なので,細かい点を間違えて記述するおそれがありますので,気になる方は元のサイトをご覧下さい)
「耐病総太り」回顧録まとめ
「耐病総太り」の種子販売が開始されたたのは1974年(昭和49年).
当時の首都圏を中心とする関東市場では,大根と言えば白首品種.他の地方市場でも白首が主力で青首はローカル色の象徴の感さえあったとのこと.
青首の主力であった「宮重」は.煮食,生食,切り干し用に使用され,夏ダイコンから秋ダイコンに移る秋の味覚の走りとしても重宝され,関西・中京市場などでは人気が高かった品種でした.
太り具合(“総太り”)や味がよい,また栽培する土も選ばないなどの長所を持っていましたが,かなり致命的な欠点があり,広く出荷されることはありませんでした.
宮重大根の欠点:
病気に弱く,ス(すかすかになり,時に穴が開く)が入りやすく,出荷の時期が短く制限される.
このような宮重の欠点を克服しようと,
◎耐病性の付与
◎「宮重」本来の肉質をさらに極める
◎早く形が整う⇒早出しできる
特にこの三点を目指して品種改良が行われまた結果生まれたのがF1(雑種第一代)品種「耐病総太り」.
(「宮重」に何をかけ合わせたのかについての記述はありませんでしたが,別のサイトでは
「耐病性が強くス入りが遅い「宮重長太大根(青首)」と,暑さに強い「黒葉みの早生大根(白首)」との雑種をまず固定し,これに,根の止りが良い「宮重総太大根(青首)」と,また別のダイコンとの雑種を固定したものをかけ合わせた四元交配種」としています 野菜の種、いまむかし4/ダイコンの話 )
この新品種は上記の三点以外にも,好ましい性質を持っている画期的なものでした.
◎ス入りが遅い⇒遅だしも可能
◎均一な生育と根身のそろいのよさ
◎抽苔(ちゅうだい=花芽分化,とう立ち 花茎が伸び出すこと)が遅い⇒不時抽苔(突然花を咲かせる)で品質を落とす危険性が少ない
味・形が良く,耐病性がある.早出しも遅だしも可能.不時抽苔がない.
一気に広がるだけの品質が揃っていました.
初めに「耐病総太り」が栽培されたのは,以前から関西・中京向け「宮重」を生産していた富山県.富山県種苗協会主催の秋大根原種コンクールにおいて,昭和47,48年の2年連続して「耐病総太り」が第一位を獲得します.
同じく宮重の人気が高かった北九州や東北地方での栽培も広がり,冷涼地での栽培にも適することも分かってきて,人気は次々広がっていきます.
そして,昭和54年の台風による三浦大根の壊滅的な被害がきっかけで,「耐病総太り」が京浜市場も制することとなります.
三浦半島は100年近く前から今日まで,1~2月の厳寒期でも葉の緑は濃く,根部は白く,肉質はやわらかい“冬の三浦ダイコン”として,京浜市場のほぼ70%を占有してきました.
しかし,昭和40年後半から少しかたくなったとの声,50年代に入りダイコンとしては大きすぎるという批判が,市場価格を下げる事態になっていました.
そのようなとき二つの台風が三浦半島を襲います.三浦大根の栽培開始には遅すぎる10月.
このときの農家の方の証言では
「『三浦』の場合,10月中旬以降のまき付けでは良品の出荷ができなかったという過去の経験があったためだ.かといって『耐病総太り』なら万全だとする経験などもちろんなく,ただただ種苗店を信用し,10月22日から栽培に入った.案ずるより産むがやすし,栽培結果は上々で思わぬ成果をあげることができた.第一に割れがなかったこと,第二に抜き取りやすく何回でも間引きしながら良品を出荷できたこと」
しかも,販売価格は総平均単価で『三浦』1,111円,青首2,088円で,この価格差が昭和55年の青首『耐病総太り』の作付け急増の主原因となり,昭和56年は青首が『三浦』を上回るような作付けが計画されました.
すでに全国に名が通った「耐病総太り」でしたが,三浦半島に青首「耐病総太り」が入ったという市場へのインパクトは大きく,全国のダイコン産地に伝わりました.そして「耐病総太り」が台風被害から三浦を救ったというエピソードとともにその名を残しました.それは同時に,すばらしい特性をもった地ダイコンとの住みわけに努力した産地の逸話でもあります.
煮食用青首ダイコンの肉質で最高種といわれる品種が京都で育った「宮重」由来の「聖護院」です.タキイでは昭和46年には「早太り聖護院」が,次いで47年には「冬どり聖護院」という交配種を発表しています.
早太り聖護院 ダイコン 品種カタログ | タキイの野菜【タキイ種苗】
「耐病総太り」はこれらを念頭に置きながら,これらより煮崩れせず,甘みがあってコクのある肉質を目標に仕上がったといえます.また,「宮重」の濃緑な青首とは違って,ライムグリーンの軽やかな青首とつやのある白肌とのコントラストは,白首市場にも受け入れやすかったと思われます.
昭和49年の発売から50年代の半ばにかけて「耐病総太り」は,大変な勢いで全国に青首を定着させました.生産者は“青首=「耐病総太り」”,消費者は“青首=おいしいダイコン”と認識したといえるでしょう.