相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人を刺殺した植松聖被告(27)に接見した./「私の考えと判断で殺傷し,遺族の皆様を悲しみと怒りで傷つけてしまったことを心から深くおわび申し上げます」.被告は,一言確認するように述べ,頭を下げた./しかし,その後「なくなった人に対してはどう思うか」と問うと,沈黙を続けた. 東京新聞2017年4月3日 / 入所者横浜へ転居・やまゆり園取り壊し準備 東京新聞 2017年4月5日

視点 東京新聞 2017年(平成29年)4月3日(月曜日)

相模原事件 植松被告に接見

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差別思想変わらぬ印象

相模原市知的障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人を刺殺した植松聖被告(27)に接見した.接見では遺族へ謝罪する一方,被害者への言及はなかった.事件を起こした動機に障害者への差別があったとされるが,接見で話した限り,その考えは変わっていないと感じた.

「私の考えと判断で殺傷し,遺族の皆様を悲しみと怒りで傷つけてしまったことを心から深くおわび申し上げます」.被告は,一言確認するように述べ,頭を下げた.事件の残虐さを考えれば,簡単に謝れるものだろうか,という疑問も浮かんだが,目の前の被告は本当に恐縮しているように見えた.しかし,その後「なくなった人に対してはどう思うか」と問うと,沈黙を続けた.被害者については語らぬまま,被告は接見を10分弱で打ち切った.

接見自体を受けるという予感はあった.事件5ヶ月前,被告は衆院議長公邸へ犯行計画と取れる内容の手紙を持参.その中で「障害者は不幸を作ることしかできません」「私が人類の為にできることを真剣に考えた答え」と書いた.理解しがたい内容だが,確固とした意志を感じる.事件数ヶ月前から知人を犯行に加わるよう誘っており,自分の考えは正しいと考え,隠そうとしていなかったからだ.

被害者について語らなかったのは,逆にその考えを変わらずに抱いているからではないだろうか.

起訴後の精神鑑定で被告は,自分を特別な存在と思い込むなどの傾向がある「自己愛性パーソナリティ障害」と診断された.しかし,人格障害がある人全てが差別思想を持ったり,人に危害を加えたりするわけではない.被告の持つ性格と周囲の環境が関係し合って事件に至ったと考えるのが自然だ.

被告は衆院議長に手紙を持参した直後まで,施設で働いていた.接見では「重複障害者を育てることが,想像を超えた苦労の連続であることを知っている」とも語った.障害者を支える仕事をする中で差別的な考えを募らせた.施設で何があったのか.どんな環境で働いていたのか.障害者支援に関わる人も知りたいと考えるだろう.

記者の接見後,被告はほかの数社の新聞社に応じたきり,取材を断るようになった.記者も再度,被告を訪ねたが断られた.おそらく,次に被告の声を公に聞くことができるのは法廷になる.

裁判所には,差別思想を持つようになった経緯を可能な限り明らかにする訴訟指揮を望みたい.そして,いかに苦々しいものであっても,被告の声に耳を傾けたい.社会で教訓を共有するには,「変わった人間」による特異な事件として終わらせてはいけない.

(横浜支局・宮畑讓)

 

 

東京新聞 2017年4月5日 

入所者,横浜へ転居 

やまゆり園取り壊し準備

先年7月,19人が刺殺され,27人が負傷する事件が起きた知的障害者施設「津久井やまゆり園」(相模原市緑区)の取り壊し準備が始まるに合わせ,入所者らの転居が5日午前,始まった.約110人が月内に横浜市港北区の施設に移り,やまゆり園にとどまる人はいなくなる.一方,現場の建物がなくなることに事件の風化を懸念する声もある.

神奈川県によると,転居するのは現在やまゆり園に残っていた約60人と,事件後に別の施設に移っていた約50人.5日に移るのは,このうちの約60人.他の入所者らも今月中に数回に分かれて移る.

転居先は,3月まで県立知的障害児施設として使われた横浜市港南区の「ひばりヶ丘学園」跡地.1億1千万円かけて居室や浴室,トイレなどを改修しており,「津久井やまゆり園芹が谷園舎」として今後4年間をめどに使用する.

園を巡っては,大量殺傷の事件があった施設では,職員も入所者も心理的負担などが大きく,生活し続けられないとして,県は建物を取り壊す方針を決め,本年度中に取り壊しのための調査を行い,来年度に解体に入る.

当初,県は定員百人以上の規模を維持して建替えを行う方針だったが,障害者団体などから「大規模施設は時代錯誤」との声が浮上.県の審議会の専門部会で建替の規模などを議論し,夏ごろまでに方針を決める予定だ.

36年間,やまゆり園に勤めた元職員で地元在住の太田顕さん(73)はこの日,バスで転居先へ向かう入所者らを園の前で見送った.「またここに戻ってきてほしい」と思いを述べつつ,痛ましい事件が風化しないよう「献花台を引き続き設け,追悼碑や,共生社会について学ぶことができる研修施設などもこの場所に設けるよう県に提案していきたい」と話した.

井上靖史,原昌志)