障害があると、学校も住む場所も隔離されがちです。さらに「特別なサービスが受けられ、隔離は良いこと」と信じる人もいます。本当は誰だって、隔離されることはいやなのに。相模原市の知的障害者施設「やまゆり園」の事件は、容疑者の「障害があると大変」「障害はない方がいいに決まっている」という思い込みが引き起こしました。でも皆さんが障害者と関わる機会もなく、無意識に持っている障害への偏見が、事件につながったともいえるのではないでしょうか。
文部科学大臣は事件を受け、特別支援学校へのメッセージとして、障害のある子とない子がお互いを正しく理解するため、交流及び共学学習を進めていくーと述べました。しかし学校を分けてしまうこと、そのものが間違っていると私は考えます。障害者は「理解しよう」とする存在ではなく、「当たり前に隣にいる人」で「自分もなり得る存在」なのです。
中略
いま、考え方を変えていくときなのです。まずはお膳立てされた交流会ではなく、一日でも障害者と一緒に遊び、ご飯を食べ、障害のある生活は楽しくもあり、時には不便なこともあると気づいて欲しいのです。
伊是名夏子 障害者は四つ葉のクローバー 東京新聞 2016年8月30日(火)
natirousmile:東京新聞「やまゆり園」に思う - livedoor Blog(ブログ)
一週間以上前の記事です。書き写してブログの「下書き」に分類し、毎日表題を眺めていました。「分けない、分けられない。」はSの強い信念でした。彼女を強く思い出させる記事です。
なお,全文は上記筆者ご本人のブログで読むことができます.
新聞より「『障害者』という記号ではなく、一人ひとりの大切な人間。」(相模原殺傷事件を受けて 全国手をつなぐ育成会連合会) - yachikusakusaki's blog