安典さん.日高安典さん 私来ました.とうとうここへ来ました.とうとう今日,あなたの絵に会いにこの美術館にやってきたんです. 私もうこんなおばあちゃんになってしまったんですよ.だってもう50年も昔のことなんですもの. 安典さんに絵を描いてもらったのは,あれはまだ戦争が激しくなっていなかった頃でした. 安典さん.私,こんなおばあちゃんになるまで,とうとう結婚もしなかったんですよ. 一人で,一生懸命生きてきたんですよ.日曜美術館「無言館の扉 語り続ける戦没画学生」

 

長野県上田市

坂道を上ると小さな美術館があります.

 

700点を超える戦没画学生の遺作を所蔵する『無言館』.

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日曜美術館無言館の扉 語り続ける戦没画学生 

NHK Eテレ 8/15(日) 午前9:00-午前9:45 放送

「無言館の扉 語り続ける戦没画学生」 - 日曜美術館 - NHK

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入口を入って左と右.

 

霜子(中村萬平)

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と向き合うようなもう一枚の裸婦像.

モデルの横顔は真剣そのもので,描き手もモデルも緊張で固くなっているようです.

 

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描いたのは万平より1年下で学んだ日高安典.

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鹿児島県種子島の出身.

家族の期待を背負い上野の学校に通っていました.

卒業の翌年に召集令状が届き,満州へ出征しました.

上官に認められ軍務傍ら特別に絵を描くことを許されていました.

1945年4月.安典は27歳で戦死しました.

  

無言館が開館して2年後の夏.

無言館には来館者が自由に感想を記すノートが置かれています.

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その中に,安典の裸婦像をめぐる思わぬ言葉が書かれていました.

 

「感想文ノートっていうノートがある.そこに安典さん.あなたとあなたの絵に会いにきましたという一行から始まる文章が載っていたのです.

モデルを務めたこの女性のテンションを,いくらか手を入れてご本人に迷惑がかからない程度に文章にいたしました」

 

 

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安典さん.日高安典さん

私来ました.

とうとうここへ来ました.

とうとう今日,あなたの絵に会いにこの美術館にやってきたんです.

私もうこんなおばあちゃんになってしまったんですよ.だってもう50年も昔のことなんですもの.

安典さんに絵を描いてもらったのは,あれはまだ戦争が激しくなっていなかった頃でした.安典さんは東京美術学校の詰め襟の服を着て,私の代沢のアパートによく訪ねてきてくれましたね.

私は洋裁学校の事務をしていましたが,知人に紹介されて美術学校のモデルのアルバイトに行っていたのでした.

あの頃はまだ,遠い外国で日本の兵隊さんがたくさん戦死しているだなんていう意識がまるでなくて,毎日毎日,私たちは楽しい青春の中におりました.

安典さん.あの小雨の降る下北沢の駅で,勤めから帰る私を,傘を持って迎えに来てくれたあなたの姿を,今でも忘れていませんよ.

 

やすのりさん,私覚えているんです.これを描いてくださった日のことを.

初めて裸のモデルを務めた私が,緊張にブルブルと震えて,とうとうしゃがみこんでしまうと,僕が一人前に絵描きになるためには,一人前のモデルがいないとダメなんだと,私の肩の絵の具だらけの手で,抱いてくれましたね.なんだか私,涙が出て,涙が出て.

けれど,安典さんの真剣な目を見て,また気を取り直してポーズを取りました.

あの頃すでに,安典さんはどこかで自分の運命を感じているようでした.今しか自分には時間が与えられていない.今しかあなたを描く時間が与えられていないと,それはそれは真剣な目で絵筆を動かしていましたもの.

それが,それがこの二十歳の私を書いた安典さんの絵でした.

 

そして安典さんは,昭和19年夏,出陣学徒として満州に出征して行きました.できることなら,できることなら,生きて帰って君を描きたいと言いながら.

 

それから50年.それはそれは本当にあっという間の歳月でした.世の中もすっかり変わっちゃって.戦争もずいぶん昔のことになりました.

安典さん.私,こんなおばあちゃんになるまで,とうとう結婚もしなかったんですよ.

一人で,一生懸命生きてきたんですよ.

 

安典さん.日高安森さん.あなたが私を描いてくれたあの夏.

あの夏は,私の心の中で,今もあの夏のままなんです.