オホクニヌシ(オホナムヂ)の国づくりを助けたスクナビコナ.
長さ10センチのガガイモの実でできた船(アメノカガミ船)に乗り,
“ヒムシの皮をそっくり剥いで,その剥いだ皮を衣に着て依り来た”「小さい大地の神」.小人神でした.
この挿話では,スクナビコナ以外のも異形の神が登場します.タニグクとクエビコ.
この神の名前を誰も知りませんでしたが---
「クエビコがかならずや知っておりましょう」と進言したのが,タニグク.
タニグクは,ヒキガエルのこと.地の果てを支配する神と考えられています.
ガガイモ(かがみ)3 “植物をたどって古事記を読む”
召し出されたクエビコが答えます.
「この方はカムムスヒの御子スクナビコナ様にちがいありません」
カムムスヒは,高天の原に最初に成り出た三柱の神の1人.「いつのまにやら身を隠してしまわれた神」ですが---
カムムスヒが “手の指の間から落としてしまった” わが子と証言します.
クエビコの答えは間違っていませんでした.
そして,この挿話の最後に,クエビコの正体が明かされます.
「足を歩ませることはできぬが,何から何までこの世のことをお見通しの神である“山田のソホド”」
であると.
三浦祐介氏の脚注によれば,
山田のソホド “田に立つカカシ.ソホドのソホは,濡れそぼつなどのソボと同じ.”
ソオド/ソホド
▽精選版 日本国語大辞典の解説
山田の案山子(読み)やまだのそおど
やまだ【山田】 の=案山子(そおど・そおず)[=僧都(そうず)]
山田にあるかかし.
※古事記(712)上「謂はゆる久延毘古(くえびこ)は,今者(いま)に山田之曾富騰(やまだのソホド)といふぞ.此の神は,足は行かねども,尽に天の下の事を知れる神なり」
▽広辞苑 第七版
そおど 【案山子】 ソホド
(ソホヅの古形)かかし.古事記(上)「くえびこは今に山田の―といふぞ」
カカシだったんですね.
カカシは,民俗学的見地から,多くの研究が行われています.
http://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2017/10/29/171413
2017-10-30
かかしは,民俗学の重要な研究対象!かかしという言葉の由来である「かがし(嗅がし)」は,いまでも方言として残っている.そして,“ 始めて鳥獣の縅し(おどし)のこの人形を立てた人の心持は,これが自分達の姿のように見えて,相手を誤解させようというのではなかった. 形はどうあろうともこれが霊であって,むしろ人間以上の力で夜昼の守護をするものと信じられていた”(柳田国男)
この “かがし(嗅がし)であり守護霊である民間の案山子” と,古事記の “神である山田のソホド”.
どのようなつながりがあるのでしょう?
きっと,どなたかが解明しておられると思いますが
---残念ながら,調べきれませんでした.
なお,古事記に登場するソホドは,案山子を意味していますが,
日本国語大辞典,広辞苑によれば,“ソホドはソホヅ僧都の古形”とあります.
案山子を僧都と呼んでいた時期があった!
まとめれば,
日本国語大辞典には,13世紀の使用例が示されています.
僧都②=そおず(案山子) 発心集(1216頃か)—「山田もる僧都(ソウズ)の身こそ哀れなれ秋はてぬれば,問ふ人もなし」
古事記 神代編 其の四
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オホクニヌシが,出雲の美保の岬にいました時じゃが,波の穂の上を,アメノカガミ船に乗っての,ヒムシの皮をそっくり剥いで,その剥いだ皮を衣に着て依り来る神があったのじゃ.オホクニヌシがその名を問うたのじゃが何も答えず,また,お伴の神たちに尋ねてみても,みな,「知りません」と申し上げるばかりじゃった.
それで困っておると,タニググが進み出て,
「この方のことは,クエビコがかならずや知っておりましょう」と,そう言うたので,すぐさまクエビコを召し出しての,お尋ねになると,クエビコは
「この方は,カムムスヒの御子,スクナビコナ様に違いありません」と答えたのじゃ.
そこで,母神であるカムムスヒに申し上げると,お答えになることには,
「この子は,まことにわが子です.子供たちの中で,私が手の指の間から落としてしまった子なのです.どうかアシハラノヨコヲと兄弟となって,あなたの治める国を作り固めなさい」ということじゃった.
そこでの,それからは,オホナムジとスクナビコナと二柱の神はともに並んで力をあわせ,この国を作り固めなさったのじゃが,あるとき,スクナビコナは,ふっと常世の国に渡ってしまわれたのじゃ.
それで,そのスクナビコナの名と筋とを明らめ申した,あのクエビコは,今でも山田のソホドというのじゃ.この神は足を歩ませることはできぬが,何から何までこの世のことをお見通しなのじゃ.