ワカメ
昨日の古事記に続いて,奈良時代のワカメをざっとまとめようと思いましたが,とても退屈な話に終始しそう.
冒頭にワカメの語源を置いて,少し変化をつけてみましたが,退屈なことには変わりない?
ワカメの漢字と語源.
海苔,昆布とともに,食用海藻の代表選手ワカメ.
海苔.昆布と違って,なぜかあまり漢字で記されることが少ないワカメ.
若布/和布/稚和布などの漢字があてられるようですが,現代人にしっくりくる漢字がない?
また,なぜこの漢字が用いられるようになったかも不明のようです.「和布」は中世頃より広く使われ,その訓がワカメだったとのこと(後述,日本国語大辞典)
万葉集で,すでに和可布(わかめ)などと記されているものの.日本国語大辞典によれば,ワカメという言葉が広く使われるようになったのは中世以降.古くは特定の海藻を表す言葉ではなかった可能性もあるとか.
わかめ
別称:めのは,にきめ,めき.
語誌:海藻の総称である「メ」に,新生であることをあらわす「ワカ」という美称を冠したもので,古くは特定の海藻を指す名称でなかった可能性もある.
中世になって,現在のように特定の名称として,辞書に載せられるに至ったと考えられる.節用集諸本や「温故知新書」等に「和布」の訓として,また「日葡辞書」にも「Vacameワカメ」とある.
昨日記したとおり,
http://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2019/11/24/235656
古事記に登場するワカメは,オホクニヌシが国譲りを決心し,天つ神からの使者(タカミカヅチ)を迎える館を建て,ご馳走を作り供えてもてなそうとする場面に記されています.
ただし,食べ物としてのワカメではありません.
「海布(め)の柄(から)を鎌(か)りて、燧臼(ひきりうす)に作り」
「海に生えるワカメの茎を刈り取ってきての,それを燧(ひきり)の臼に作り」
神への供え物を調理するためには,新たにおこした火が用いられます.その時,発火する装置が,「燧臼・燧杵―ひきりうす・ひきりぎね―」というもので,その中の燧臼(ひきりうす)がわかめの茎で作られた!
現代に伝わる燧臼は檜(ひのき)の板ですから,
http://www.kumanotaisha.or.jp/saiten/sanka/hikiri.htm https://www.hotel-nagata.co.jp/2014/04/24/13842
古事記の記述通りに火をおこしたとは考えにくいのですが,奈良時代以前から,ワカメが日本人の生活や考え方に深く入り込んでいたことは間違いありません,
古事記と同時代の万葉集には,「藻」が詠み込まれた歌が六十九首もあり(松田修 万葉の植物 保育社),これとは別にワカメが詠み込まれた歌が二首.
古事記同様,食べ物としてのワカメは描かれず,万葉集の場合には「磯の和布(わかめ)」「瀬戸の若海藻(わかめ)」と自然界のワカメが詠み込まれています.
比多我多(潟)の 磯の和可布(わかめ)の 立ち乱え 吾をか待つなも 昨夜(きそ)も今宵(今夜 こよい)も
東歌 巻14-3563
角島の瀬戸の若海藻(わかめ)は人のむた荒(あら)かりしかど我れとは和海藻(にぎめ)
作者不詳 巻16-3871
縄文〜古代に食べられていたワカメ
古事記や万葉集には,食用としてのワカメは記載されていません.
では食べられていなかったのか?というと,もちろんそんなことはありません.
日本人は,縄文の頃からわかめを食べていたと推定でき,奈良時代には租税としても納められていました.
縄文遺跡(亀ヶ岡石器時代遺跡)からは,海藻が付着した土器が発見されています.縄文晩期(紀元前1000年〜紀元前300年)のものとのこと.
海藻の遺物は,その他の縄文遺跡からも発見され(例えば,猪目洞窟遺跡
奈良時代になると,諸国からの貢納品を定めた大宝律令(701)中にすでに名が出てきていたとのこと(日本大百科全書 ワカメとは - コトバンク ただし,大宝律令の原文は失われているせいか,ネット上ではその原文の確認ができませんでした).
奈良時代の木簡には,多くの海藻名があり,その中に,ワカメをあらわす「尓支米(ニギメ)」の文字も.日本各地から,租税として集められていたことが分かります.http://sourui.org/publications/sorui/list/Sourui_PDF/Sourui-59-03-145.pdf CiNii 論文 - 日本古代の木簡を用いた官営工房運営の源流 : 長登銅山出土木簡と韓国羅州伏岩里出土木簡の比較検討