相模原のような悲劇 繰り返さぬために--- 義姉「優生思想 考えるきっかけに」 / 旧優生保護法で初弁論、仙台地裁 東京新聞(夕刊)2018年(平成30年)3月28日.  妹が手術された年齢に驚いた.当時の法律でも結婚ができない15歳だった.「ひどい……」.言葉が続かないほど怒りに震えた.厚労省に実態調査を求めた.しかし,応対した担当者は「当手術は適法に行われた」と繰り返すばかりだった.そのかたくなな態度は,現在に続く障害者差別の「元凶」のように思えた.「もう,提訴しかない」/ 強制不妊手術

不妊手術、国は争う姿勢 旧優生保護法で初弁論、仙台地裁

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東京新聞(夕刊)2018年(平成30年)3月28日(水曜日)

仙台地裁 全国初訴訟弁論 不妊強制「救済怠った」

優生保護法 国は争う姿勢

 

優生保護法(1948〜96年)下で知的障害を理由に不妊手術を施された宮城県の六十代女性が「重大な人権侵害なのに,立法による救済を怠った」として,国に千百万円の損害賠償を求めた全国で初めての訴訟の第一回口頭弁論が二十八日,仙台地裁(高取真理子裁判長)で開かれ,国は請求棄却を求めた.

 

女性の弁護団長の新里宏二弁護士は意見陳述で「子どもを産み育てるという自己決定権を奪い取る手術で,憲法で保障された基本的人権を踏みにじるものだ.結婚の機会も奪われるなど,肉体的,精神的苦痛は計り知れない」と旧法の違憲性を指摘.多くの被害者が高齢化しているとして,早期救済を求めた.

 

国は「当時は合法だった」との立場だが,国会で超党派議員連盟が発足,厚生労働省が被害の実態把握のための全国調査を決めるなど政治救済の動きも出ている.

 

訴訟などによると,女性は十五歳だった七二年,病院で「遺伝性精神衰弱」と診断され,県の審査会を経て不妊手術を強制された.その後,日常的に腹痛を訴えるなど体調が悪化.不妊手術が理由で縁談も破談になるなど,精神的苦痛を受けた.

 

弁護後の支援者集会で,女性の義理の姉は「障害者やその家族は,これまで暗い闇の中,嵐の中で生きてきた.裁判によって,すっきりとした良い社会になってほしい」と話した.

厚生省によると,旧法下で不妊手術を受けた障害者らは約二万五千人で,うち約一万六千五百人は本人の同意なく施術された.北海道や東京の被害者も提訴する意向を表明したり,検討したりしている.

 

相模原のような悲劇 繰り返さぬために---

義姉「優生思想 考えるきっかけに」

 

訴訟を起こした女性は知的障害があり,代わりに義理の姉が準備を進めてきた.「不良な子孫の出生防止という優生思想を考えるきっかけになってほしい」.障害者ら多くの支援者と「一緒に闘う」との思いを込めて手作りしたピンク色の腕飾りを身に着け,強い決意で裁判に臨んだ.

妹が手術を受けたことを知ったのは四十年前.一緒に入った温泉でへその下に伸びる十五センチほどの傷痕に気付いた.義理の母親が「子どもができないように手術した」と話しただけで,望んだ上での手術だったかどうかは分からないままだった.

昨年,宮城県に手術に関する資料を開示請求.そこには「遺伝性精神薄弱」と診断され,わずか十五歳で酢術を受けたとの記載があったが,別の記録には遺伝性でないとする矛盾した診断結果も残っていた.

妹は本当に手術する必要があったのか----.疑念が募り,説明を求めて出向いた厚生労働省では,担当者が「厳正な手続きに基づいて実施した」と繰り返すばかり.実態解明と救済を求め提訴に踏み切った.

優生保護法は旧法が改正された今も残る.二〇一六年には相模原市知的障害者施設で入所者十九人が刃物で刺され死亡する事件もあり,義姉は「旧法の問題が置き去りにされたままでは社会は変わらない」とみる.

優生保護法に今向き合わなくては相模原のような事件はまた起きる.障害者だから傷つけられてもいい社会なんて,絶対にない」と話した.

 

優生保護法 「不良な子孫の出生防止」を掲げ1948年に施行.ナチス・ドイツの「断種法」の考えを取り入れた国民優生法が前身で,知的障害や精神疾患,遺伝性疾患などを理由に本人の同意がなくても不妊手術を認めた.ハンセン病患者も同意に基づき手術された.53年の国の通知は,やむを得ない場合,身体拘束や麻酔薬の使用,だました上での手術も容認した.96年の「母性保護法」への改定までに,障害者らへの不妊手術は約2万5000人に行われた.

 

 

毎日新聞2018年3月25日 22時04分(最終更新 3月25日 23時24分)

強制不妊手術

残っていた記録 人権侵害,明るみの一歩

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画像:60代女性に開示された手術記録の一部のコピー.手術理由に「遺伝性精薄(精神薄弱)」,手術方法に卵管を縛る「マドレーネル法」とある=宮城県内で2018年3月24日

 

 「あった.見つけた」.思わず声に出していた.

 

 2017年7月.仙台市の街並みが見渡せる宮城県庁7階,子育て支援課.相沢明子課長補佐は「優生手術台帳」と手書きされた厚さ2センチの古い冊子を手に,その名前を何度も確かめた.「記録のある人が現れたことで,(強制不妊手術という)事実の重みを感じた」瞬間だった.

 

 見つかったのは,旧優生保護法(1948~96年)下で強制された手術の記録の開示を求めた,宮城県内に住む知的障害のある60代女性の名前だった.この1冊の台帳に残されていた記録により,女性は今年1月末,仙台地裁への国家賠償請求訴訟に踏み切った.

 

 そして3月.事態は女性や代理人弁護士らの想像を超えた速さで動き出した.手術を受けた当事者たちの救済のあり方を探る超党派国会議員連盟が発足し,政府・与党も全国調査に乗り出す方針を決めた.調査や補償を拒み続けてきた国が重い腰を上げ,闇に閉ざされてきた人権侵害の実態に光が当たり始めた.

 

 旧厚生省の統計資料では,同法に基づき手術を強いられた障害者らは全国1万6475人.だが,名前のある記録は都道府県にしかなく,法律が存在した半世紀と改正後の計70年間に,8割の記録は捨てられたか所在不明となった.当事者たちは思うように意思を伝えられず,高齢化も進む.

 

 60代女性が自らの手術記録を手にしたのは奇跡的な出来事だった.

 

宮城の60代女性 消えぬ差別 「適法」連呼,訴訟決意

 

 宮城県の60代女性が,全国初の国家賠償請求訴訟を仙台地裁に起こすことにつながった同県の「優生手術台帳」は,女性が開示請求する4カ月前の2017年2月下旬,子育て支援課で発見されていた.きっかけは,厚生労働省からの調査要請だった.

 

 発見数日前の同22日,日本弁護士連合会が,旧優生保護法(1948~96年)下で強制不妊手術を受けたという宮城県内の70代女性の人権救済の申し立てを受け,被害者への謝罪や補償を求める意見書を厚労省に提出した.その記録の有無などを確認するため,同省担当者が宮城県に電話をしたのだ.

 

 指示を受けた子育て支援課の相沢明子課長補佐は,文書管理目録にある「優生手術台帳」を捜した.永年保存扱いとなっているのに,所在が不明だったからだ.相沢補佐ら課員数人は,古い資料が保管されている地下1階の倉庫に向かった.

 

 一日中捜したが見つからず,相沢補佐は7階の子育て支援課に戻ると「念のため」と自分の机のそばにある高さ約2メートルのキャビネットを開いた.現在の業務資料ばかりだが,上の棚の隅の古い冊子群が目に留まった.そのうちの1冊に手を伸ばした.「灯台もと暗し」だった.

 

 台帳には63~81年度に強制手術された859人分の記録があった.保存期間の終わった手術申請書などをわざわざ転記したものだった.こうした台帳は全国的に珍しく,相沢補佐は「当時の職員が保存の必要性を感じたのでは」と推測する.

 

 ただ,70代女性の記録はなく,台帳はキャビネットに戻された.そのときはまだ,この1冊が事態を変える役割を果たすとは誰も想像していなかった.

 

 

 「(手術記録を)開示することと決定した」.その4カ月後,宮城県に開示請求した60代女性の義理の姉は,県からの開示記録を何度も読み返した.70代女性が国に救済などを求める活動を知り,手術記録を手に入れる難しさを痛感していた.姉はほっとした直後,妹が手術された年齢に驚いた.当時の法律でも結婚ができない15歳だった.「ひどい……」.言葉が続かないほど怒りに震えた.

 

 ただ,女性や姉はいきなり提訴しようとしていたわけではなかった.当事者が初めて手術を証明できたことで,すべての被害者救済の突破口になると考え,厚労省に実態調査を求めた.しかし,応対した担当者は「当手術は適法に行われた」と繰り返すばかりだった.そのかたくなな態度は,現在に続く障害者差別の「元凶」のように思えた.

 

 「もう,提訴しかない」.女性は今年1月末,全国初の国賠請求訴訟に踏み切った.仙台地裁に提訴した後の記者会見で,意思をうまく言葉にできない女性に代わり,姉が訴えた.「障害者を排除する『優生思想』は今も残っている.だからここ(提訴)まできました」 【遠藤大志