「生きたかった 相模原障害者殺傷事件が問いかけるもの 大月書店」より
津久井やまゆり園事件の感想(1)
鈴木容子(仮名) 精神障害当事者
ニュースの第一報を聞いて,“大変なことが起こった”と感じたのと同時に,容疑者が措置入院から退院したばかりであることに強い違和感をもちました.このことを容疑者が発した言葉から私なりに考えてみました.
容疑者が発した言葉のひとつめ,「障害者なんていなくなればいい」に対して,非常に腹が立ちました.
私は,八十八歳になる母親と二人暮らしをしていますが,障害を持つ私がいなければ母な生活できません.母が目覚めてから就寝するまで一緒の生活です.精神疾患を抱える私は六〇歳になり,日々の生活とたたかっているようなものです.最近では,母親から「私,精神病じゃないよね!」と毎日何回も聞かれます.
そんな母親も,二年ほど前に私が精神病を再発し,自身の言動が静止(原文のママ)できなくなったときには一〇時間以上も入院先の病院探しと手続きに同行してくれて,すべて終了して帰宅できたのが明け方近くでした.入院先が遠かったため乗り継ぎ,数日後見舞いに来てくれたときも,閉鎖病棟の隔離室にいる私と十五分ほどの面会しかできませんでした.いま考えると,そのとき母親が同行してくれたおかげで医療保護入院でしたが,家族がいなかったら措置入院になっていたかもしれません.このように,お互い大変と思いながらも口には出さずに,母親と支えあって暮らしていることを全面的に否定されたように感じ,悲しくてつらくて非常に腹が立ちました.
次に,容疑者が衆議院議長への手紙のことで問い詰められて発した「じゃあ施設をやめます」で,警察が控えるなかで,この発言の後に措置入院になったと報道されています.これを見て「措置入院ってなんだろう」「なぜ措置入院があるのだろう」と思いました.他人を傷つけるおそれがあるという理由で,犯罪をふせぐための措置入院につながることには強い違和感を覚えます.それだけ根の深い問題であるからには,じっくりとした取り組みが必要でしょう.薬物の影響があったことが明白でありながら,退院が許可されたのはなぜなのか.また,個人の保護であるべき入院が犯罪抑止に利用されているとすれば恐ろしいことです.
私が入院していたあいだ,となりの病室には措置入院した方がいました.その方は退院に向けた教育プログラムに参加できなかったり,外出や散歩の許可が非常に厳しかったり,閉鎖病棟の中に隔離病室があり,この病室にいる方は病室からいっさい出られない状態であったことを覚えています.このように厳しい措置入院のなか,容疑者が二週間で退院したことは本当に不思議なことです.そして退院後の報道もたくさん出ていますが,支援が整っていなかったことや,収入の保障がなく生活保護受給もあったと書かれています.このことからも,単純に薬物のためとか異常性とかでは片付けられないことだと思います.今回の事件をきっかけとして,措置入院のあり方や,表面化されない警察の措置入院利用と精神医療の実情を明らかにすることが大切であると思います.
(以下続く 予定)