事件をきっかけに,心の奥にあった感情に気づいたという元施設職員の國𠮷瞳さん:福祉の仕事は離れても障害のある人への思いを忘れずに生きていくつもりです. NHK総合「NEXT 未来のために」私は当事者だった〜障害者殺傷事件が問いかけたもの(2)  横塚晃一さん語録3「他の人 — 同じ人間の身体から出てきた者 — がそうであるように,それぞれの地域に住み,自分自身の生活を営むということが原則となるべきであると思う」

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www4.nhk.or.jp私は当事者だった〜障害者殺傷事件が問いかけたもの(2)

番組紹介「相模原の施設で、障害者19人が殺害された事件から4か月。花を手向けに訪れる人が絶えない。容疑者の「障害者はいなくなればいい」という言葉に憤り、苦悩する人々を追う

「障害者はいなくなればいい」-相模原の障害者施設で19人を殺害した容疑者が放った言葉は社会を揺さぶった。現場に花を手向けに訪れた人々の中には、追悼と憤りの言葉とともに、複雑な思いを吐露する人もいる。障害のある息子を愛せず、手にかけようとしたことがあるという母親。容疑者の言葉で、心の奥底の闇に気づいたという障害者施設で働く女性。事件と私たちは地続きなのではないか。苦悩し、乗り越えようとする人々を追う。

 

花を手向けた方々の言葉

「『障害を持った人がいなくなれば良い』って重かったですね 言葉がとても」

「利用者さんにはなんの罪もないのに,せっかく生まれてきた命なのに,無駄な命なんてないのに」

 

事件に憤り,犠牲者を悼む人々.そして,思いがけない言葉に出会いました.

障害者施設で長年働く女性(國𠮷さん)

「犯人が言うとったことが,必ずしも分からんわけでもないところが,自分が怖いなと,思った」

障害のある息子と訪れた母親.

「犯人の考え方を100%非難することができないんですよ,複雑な気持ちがあるんですよね」

 

一人一人の心に,容疑者の言葉がトゲのように突き刺さっていました.

車いすの女性(見形さん)

「何がいけなかったのかって,私たちみんなが''当事者''だと思うんですよね」

私は当事者だった〜障害者殺傷事件が問いかけたもの(1) - yachikusakusaki's blog

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事件現場で語られた思いがけない言葉.その真意を知ろうと人々を訪ねました.

 

容疑者の言葉について,「分からないわけではない」と語った國𠮷瞳さん.

(二人の子ども,そして,犬と,ベランダで遊ぶ国吉さんの映像)

事件の直後,車で5時間かけて現場を訪れたといいます.

「自分のなかでも受け止めたい,と思って行ったんですね」

「あの花手向けたときに,そういう人間を福祉の中から生み出しちゃってごめんなさいって言うのと,自分がやってしまったかぐらい重なってしまったというか」

國𠮷さんは18歳の時から知的障害者の施設で働き続けてきました.

(ぎっしり本が並んだ本棚の前で)

「障害者心理もあるし,福祉ですねほとんど」

(高校家庭科の教科書を取り出して)「そうこれが一番古いというか原点,高校三年生で出会って,全然苦じゃなくて読み物になって」

(V字サインの若き國𠮷さんの写真)

働き始めた頃の國𠮷さん.障害者と自然体で関われる仕事に喜びを感じてきました.

(古い予定表の一覧を指さして)「求人広告を見つけたとき''楽しいものみつけた.福祉ひとすじ''.障害者施設の仕事が一番楽しいものだったので,''楽しいものみつけた''って」

 

この仕事が天職だという國𠮷さんが,何故,容疑者の言葉について「分からないわけではない」と語ったのか.

「障害者と私っていう関係性だと楽しいんですよ,幸せだし.でも一瞬愛が消えるとき,理性をなくすことがあるというか」

 

國𠮷さんを苦しめたのは,重度の障害者から時に(聞き取れず)を上げられることでした.

「お散歩行きましょうってなったときに『外行きたくない』『今寝たい』っていったらもう引っかかれたり.1日に何回も爪立てられて.なんでこんなにやられても尊厳というか人権というか,こっちは守られてないけど,相手は守らなければいけないんだろうっていうのは,たまに思いましたね」

 

容疑者の言葉を耳にしたとき,心の奥に封じ込めてきた感情と向き合うことになったのです.

「障害者=危ないと思われたくないので,人には言わずに生きてきたけれども,容疑者が重度障害者のことを語ってしまったというか,現状をいっぺんに全国民に伝えちゃったので,大きいことですよね,ある意味」

 

事件をきっかけに,心の奥にあった感情に気づいたという施設職員の國𠮷瞳さんです.

 

この日以前勤めていたという施設を久しぶりに訪ねました.

手を振って國𠮷さん「あーはおーほ」

鈴木耕さん「國𠮷さん久しぶりじゃん.待ってたよ」

國𠮷さん「あははは」

出迎えてくれたのは入所者の男性(鈴木耕さん).三年間生活支援をしていました.

鈴木さん「元気だよ」國𠮷さん「耕さん今何歳になった?」「51歳.覚えとった?」「ごはん,よう作ったもんね」「作ったね,また作ろうね」「分かったよ.また作ろうね」

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実はこの時,國𠮷さんは福祉の仕事を止めていました.子どもの持病が悪化したためでした.

今日ここを訪れたのは,お世話になったかつての先輩(施設責任者野田真紀子さん)に,そのことを報告するためです.

(名刺:ワンピース専門店,を渡しながら)「私,福祉離れて初めて違うことを」

病気の子どもの側にいるため,自宅で洋服を販売する仕事を始めることにした國𠮷さん.どうしても気にかかっていることがありました.

國𠮷さん「もし,野田さんに会えたら聞きたかったのは,これって逃げたことになりますか?福祉から」

野田さん「私は,中から彼らを支える人たちもいると思うんだけれど,外で支えられるものもいっぱいあると思っていて,(支援)しないはダメ,外でできることをすれば,別に問題はないんじゃないかな」

 

國𠮷さんには目標にしていることがあります.

國𠮷さん「もし増えてきたら仕事というか受注が,梱包を障害者の人を雇ってあげようかなと思っていて,普通の愛知県の最低賃金以上で」

野田さん「夢おっきいね」

野田さん「彼らが横にいて,普通に地域で暮らしていることを,それを周りの知らない人にいっぱい伝えてあげて欲しい」

福祉の仕事は離れても障害のある人への思いを忘れずに生きていくつもりです.

 

 

横塚晃一さん語録3

 ''横塚晃一 施設のあり方について(「母よ殺すな」 生活書房)''より

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かつてユダヤ人を大量虐殺したナチスドイツは,同時に同民族の中の身体障害者,精神薄弱者を民族強化という名において虐殺した.このよう者達を生かしておき,その子孫を残すことは誇り高きゲルマン民族の恥であり国家の損失であるというのである.

その数は30万人に達し,人骨や髪の毛が何かの役に立つとか,人体から油をしぼってガソリンの代用になるかなど種々の実験をしたという.

そのキッカケは重症児を持つ一母親の政府機関に当てた「私の子どもは足も立たず両手とも利かず,長年寝たきりの生活です.この子にとって生きていることが何になるでしょう.死んだ方がよほど幸せです,この子のために私たちの将来はまっくらです」という意味の一通の手紙であったという.

この言葉が,横浜の重症児殺しについて加害者である母親の安易な減刑嘆願は障害者の生存権を危うくするものであるという我々の主張に反発する形で,新聞社に寄せられた多数の内容と余りにも類似していることに,我々は背筋が寒くなる思いがするのである.

現在我が国でもこのような「親達」の訴えに答える形で巨大施設が行政権力の手によりあちこちに作られている.この社会から隔離された施設の中で何が行われているか,府中療育センターの例などをここにあげるまでもあるまい.このような巨大施設ができることによって障害者は施設へという一般社会通念がますます強められよう.

府中療育センター問題について「社会で働いている自分と比べて,施設の中で収容者達がその待遇についてとやかく文句を言うのはぜいたくだ」という意見を持っている青い芝の会員もいるらしいが,私はこの意見に同調できない.

それは自分が職場や社会において不当な差別,抑圧を受けていることを自分より重度の者,施設にいる者をみじめな存在に突き落とすことによって補おうとしていることであり,と同時にこの考え方はファシズムの根源に通ずるものだからである.

 

以上述べたごとき意味から,青い芝として施設問題に取り組むのは当然であるし,府中センターの責任者或いは担当の行政機関と交渉し,なりゆきによってはわたりあうことも止むを得まい.

しかし,これだけで良いのだろうか.

日本的思考の中に''福祉とは全てお上がやることだ''という考え方がある.つまり自分の家から一歩出れば全ては他人事であり,道路の真ん中にバケツが転がっていても,それを誰一人として道ばたへ片づけようととはしないのである.この全て国家がやるべきだとして行政機関に責任をかぶせるような事を言うのは,マルクス主義を口にする人々の中にまま見受けられるようだが,しかし行政権力によって作られたものはアウシュビッツであり府中センターに他ならないのではあるまいか.

権力による隔離政策を許す限り障害者福祉はあり得ない.人間社会のあり方としても望ましいとは思われない.

では我々脳性マヒ者,精薄者の生活形態は一体どうすれよいのだろうかそれはやはり他の人  — 同じ人間の身体から出てきた者 —  がそうであるように,それぞれの地域に住み,自分自身の生活を営むということが原則となるべきであると思う.

もちろんそれには種々の困難がある.風呂場・トイレの改造などは大したことではあるまい.より基本的には障害者を取り囲む社会の一人一人が障害者の問題を我がこととして考え,その地域にいる障害者を仲間として隣人として受け入れ,折々は言葉をかけ,暇があれば下着の一枚でも洗ってやるような精神風土がなければならない.いや,そうではなく,そういった精神風土を我々の力で作っていかなくてはなるまい.

(以下略)

 

 乃東生(なつかれくさしょうず)夏枯草が芽をだす頃.夏至の「乃東枯」に対応し,うつぼ草を表しています.