権力者の「扇動ゲーム」
時代を読む 内山 節
東京新聞12月22日朝刊
何かを判断しなければいけないとき,私はよく,自然はこの問題をどう思っているのだろうかと考える.
自然は原発を推進して欲しいと考えているのか.温暖化や,今の世界のあり方を,自然はどうとらえているのか.
日本の伝統的な考え方では,社会とは自然と人間によってつくられているものだった.人間の論理だけで,勝手に社会をつくってはいけないと人々は考え,たえず自然という他者に思いを寄せていた.
だが現代は,そういう思いがなくなって,人間の論理だけで社会づくりがすすめられる時代に変わった.
この一年を振り返ってみると,私には今年を象徴するのは,桜を見る会をめぐる一連の出来事だという気がしてくる.
なぜならそれは,権力が腐敗するということを立証する出来事だったからである.
二十世紀を代表する社会学者であるマックス・ウェーバーは,「職業としての政治」のなかで,国家は暴力の独占によってつくられた強い権力機関であると述べていた.だからこの権力にたずさわるものは,腐敗,堕落しやすい,と.
そうならない方策として,彼は政治にかかわる者たちに高い倫理観,道徳観を求めた.
だが,今日の世界をおおっている状況は,そんなことでは解決がつかない事態である.
倫理観などは持ち合わせていないとしか言いようのない政治家たちが,世界中で跋扈(ばっこ)している.権力の維持と取引しか念頭にない人たちが,多くの国で大統領や首相の座についている.
その一つの表れが,桜を見る会の出来事だった.
税金や権力を私物化しても平気な人々が,日本の政治を握っている.その人たちに高い倫理観を求めても,そもそも倫理観など持ち合わせていないのだろう.
今日の政治とは,権力を掌握するための扇動ゲームになってしまっているのである.
アベノミクスという何年やっても何の成果も上がらない経済政策で国民を扇動し,外国の脅威で扇動する.野党批判で扇動し,女性活躍,働き方改革などの扇動スローガンを次々に打ち出し,格差社会の現実や,加計学園の獣医学部開設などであらわになった権力の私物化から,人々の目をそらそうとする.
このような扇動型の腐敗政治の象徴が,桜を見る会をめぐる一連の出来事のなかにも表れていた.
扇動政治とは,人々を扇動によって誘導し,自分たちの道具として使う政治のことでもある.
アメリカのトランプ大統領にとっては,支持者は自分の権力を維持するための道具にすぎない.だから,その「道具」を維持するためにさまざまなキャンペーンが繰り広げられる.
このかたちは日本でも変わらないが,共通しているのは,自分と対等の他者がいることを認めていないことである.自分に忠誠心を見せる人だけで権力を固め,権力維持のための道具として国民を扇動する.
この構造のなかでは,自分と対等の他者は存在しない.
そういう政治が世界中に広がっているのを見ていると,私には他者を認められなくなった時代が感じられてくる.
一緒に社会をつくっているメンバーとして自然という他者を見ることがなくなった時代は,他の人々という対等の他者も見失わせたのである.
現在私たちに求められているものは,そういう時代と対決する視線を持ち続けることなのだろう.
(哲学者)
2019・12・22