うどんの起源⑤ “そうめん“ の前身 “索餅(さくべい)”は,奈良時代の文献にあらわれ,購入記録もあることから,奈良の都では市販されるほど生産されてました.索餅を切りめんとする説もありますが,状況証拠からは考えにくい. 文献的に明らかな“うどん”の起源は「室町時代」,確実なところでは15世紀.14世紀まで遡ることができるかもしれない」というところで落ち着きそうです.(追記⇒奥村彪生氏によれば,“うとむ”の初出が1351年,切り麦と思われる“むき”は1261年.鎌倉時代にまで遡れるとのこと)

うどんの起源⑤

『麺の文化史』をテキストとしたシリーズ5回目のブログです.

行きつ戻りつ繰り返しの多いシリーズになってしまいましたが,

最後に何とかまとめてみました.

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“うどん”という言葉のルーツをたどることから,次のことがわかっています.(前回:うどんの起源④ http://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2019/07/02/235124 )

 

 “うどん”という言葉は,室町時代に,「うどん」「うんどん」「うとん」として現れ,11世紀の“饂飩”にまでさかのぼれるかもしれない.

 この「うどん」「うんどん」「うとん」は,いまの麺類にあたる食品をさすことにまちがいがない. (『麺の文化史』)

  

では,このうどんのルーツはさらにどこまでさかのぼれるのでしょうか?

また,室町時代に,「うどん」「うんどん」「うとん」として現れたものは,今のうどんの定義,特に切りめんの条件を満たしているものなのでしょうか?

 

そうめんの前身 “ 索餅(さくべい)”

うどんの歴史②でもまとめたように,

『麺の文化史』を読む限り,“索餅(さくべい)”はうどんに近縁のそうめんの前身と結論づけて間違いないと思います.

主な論拠は以下の通り:

 

索餅は “むぎなわ(麦縄)”と呼ばれる食品と同じもので,麦は「小麦粉でつくった」,縄は「縄のように長い食品」を意味すると考えられます.

奈良時代の文献にあらわれ,購入記録もあることから,奈良の都では市販されるほど生産されてました.

中国の文献にも記録があるものの名称のみ.中国から伝わってきたことは確実ながら,どのようなものかは日本の文献から類推するしかない,ということで,種々の見解が出されてきました. 

大別すると

(1)菓子か? (2)そうめんの前身か?

石毛直道氏の考えは(2)のそうめんの前身で,論拠は説得力のあるものです.

(下記の他にも,微に入り細を穿つ説明があります)

 

▽菓子説では,「縄」とい字から太く作った菓子を連想したのでは?というものが多いが,「索」は縄の意味があることから,“むぎなわ”は索餅の直訳.

 索⇒縄,餅⇒麦.(順番は逆ですが)

また,索餅は乾燥して長期間保存可能な食品であることが文献から分かっていますから,太いはずがない.

平安時代の宮廷では節会(せちえ)のさいの宴会の料理の一つとして供していることから,菓子というより,料理食材で主食的性格を持つ食べ物.

 醤・未醤・酢が調味料として使われ,アズキが調理材料として使われていることから,ゆでてから,塩気のある調味料や酢で和えて食べたり,アズキ汁で食べたものらしい

延喜式(927年)にある索餅作りの材料・道具をつかった再現実験から,索麺はコムギ粉,米粉,塩を混ぜてつくった手延べ麺である可能性が高い,

 ただし,材料に油の記述はないため,現在の手延べそうめんとはかなり異なったもの.

▽中国の記述は,名前(後漢〜唐代)のみで,他に手がかりはない.しかし,後にそうめんにあたる“索麺”(『居家必用事類全集』宋末〜元初)が登場する.索餅が索麺の前身である可能性を窺わせる.

 そして,日本の文献では,15世紀,索餅と索麺が混在し用語の混乱がみられる時期がある.しかし,この二つが同一のものを指している事は間違いない.このことから,索餅は,明らかに索麺(⇒そうめん)と連続性を持った食品であることがわかった.

 

 

索餅が切りめんである可能性

「そうめん」と「うどん」を分けるポイント.それは,そうめんが延べ麺であるのに対し,うどんは切りめんであるという点.

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索餅が切りめんであれば,うどんの祖先ともなるのですが---.

 

ほうとうの作り方の説明文として “サクヘイ(索餅)ノヤウニ ホソクキリテ” という文章が,13世紀に書かれたとされる『厨事類記』にあるそうです.

しかし,“サクヘイ(索餅)ノヤウニ キリテ”=索餅と同じく切って作る か,“サクヘイ(索餅)ノヤウニホソク”=索餅と同じく細くなるように作る か分からないので,この文章だけからはなんとも言えない.

 

他の状況証拠から索餅は切りめんではないだろう. 

とのことでした.

 

切りめんはいつ頃現れたか?

確実な文献は15世紀.

切麺(康富記1451年 など),切麦(山科家礼記1480年),切冷麺(蔭凉軒目録1489年)など.この頃には,切りめんが広く普及していたと考えられます.

また,切りめんだったかどうかは別として,うどん,うとん等の言葉の初出は嘉元記(1352年)で,15世紀には頻出するとのこと.

 

以上より,

文献的に明らかなうどんの起源は「室町時代」,確実なところでは15世紀.14世紀まで遡ることができるかもしれない.

ということで落ち着きそうです.

うどんの普及が,手延べ麺であるそうめんに比べて遅れたのは,麺打ち台・麺棒の供給と関連がありそうです.

室町時代になると,手工業や商業が発達し,麺打ち用の道具の注文が可能になったであろうことも,切りめん(うどん)の普及を可能にしたのでしょう.

 

なお,切りめんは,普及が進み名前が文献に現れる室町時代以前,鎌倉時代もしくは南北朝時代に起源を持つと推定できるものの,明確な答えは出せないとのことでした.

 

追記

奥村彪生「増補版日本麺食文化の1300年」農文協 によれば,

▽“うとむ”の初出が1351年(嘉元記)

▽冷や麦の前身,切り麦と思われる“むき”は1261年(鎌倉遺文第十二巻).

そして,うどんは冷や麦から派生したものだろうと推測しています.

これについては機会があれば別項で.