うどんの起源④
『麺の文化史』をテキストとしたシリーズ四回目のブログですが,なかなかうどんの歴史の本論に行き着きません.
改めてまとめる方向で,努力したのですが---,
今日は,今までの繰り返しと日本大百科全書(ニッポニカ)の解説批判で終わってしまいました.
何をもってうどんのルーツと考えるか?
これには,二つ方向があるように思います.
一つは“うどん”という言葉から,もう一つは“うどん”の定義から
1. “うどん”という言葉のルーツから
:“うどん”は室町時代に,「うどん」「うんどん」「うとん」として現れ,11世紀の“饂飩”にまでさかのぼれるかもしれない.
このシリーズの①でも記したように
http://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2019/06/29/232351
『麺の文化史』では,言葉のルーツを室町時代からとしています.
“室町時代になると,餛飩,饂飩という文字で「うどん」「うんどん」「うとん」と読ませる例が現れるが,この頃になると,いまの麺類にあたる食品をさすことにまちがいがない”(『麺の文化史』)
“親元日記‐寛正六年(1465)一二月二五日「御供衆点心 うとん」”
これがどこまでさかのぼれるのでしょうか?
『麺の文化史』では,“うどんらしき言葉”として“饂飩”(温飩)をあげ,これが11世紀としています.
『江家次第』(11世紀はじめに書かれた宮中行事の記録)に “饂飩” “索餅(さくべい)”の記事」があり,この“饂飩”が,“うどん”らしい言葉の初出.饂は国字で「うん」と読ませる(饂飩 うんどん).(『麺の文化史』)
一方,日本大百科全書は
https://kotobank.jp/word/%E3%81%86%E3%81%A9%E3%82%93-34991
「奈良時代に中国から唐菓子として初めて渡来した“形が不定形なので混沌(こんとん)と呼ばれたもの”が“餛飩”になり,“温飩(うんどん)”となった」
としています.
しかし----
“混沌”と記述のある奈良時代の文献は示されていません.
奈良時代にこのような記述があれば,『麺の文化史』でも当然触れていたはずですが---記載なし.
『麺の文化史』では,上記のように,
・11世紀の『江家次第』にある“饂飩”が,“うどん”らしい言葉の初出,
・室町時代になると,餛飩,饂飩という文字で「うどん」「うんどん」「うとん」と読ませる例が現れる
としています.
「“混沌”を記載した文献はない」と思わざるを得ません.
あたかも,“混沌”と呼ばれる食品が,奈良時代にあったかのような印象を読者に与える日本大百科全書の書き方は問題あり!ですね.
なお,中国には餛飩という食べ物があり,これはワンタンの類で,唐菓子でもうどん類でもないとのことです.(『麺の文化史』)
2.「うどん」の定義から
:製造法・性状・食べ方とその変遷を踏まえてルーツをたどる必要ある.
うどんの定義:「小麦粉に少量の塩と水を加えてこね,薄く伸ばして細く切ったもの」「茹でて汁に付けたり,汁と共に煮たりして食べる」(日本国語大辞典)
からルーツをたどろうとした場合,定義の一部だけを恣意的に切り取ってしまうと間違えの元になるように思います.
例えば「小麦粉に少量の塩と水を加えてこねた食べ物」をうどんのルーツと見なして探索することは,ワンタン,餃子,パン,そうめんはもとより,煎餅,饅頭,パンなど,ほぼすべての小麦粉食品のルーツが一つで,そこからうどんの発祥を探ることにつながります.ルーツ探しの迷路に迷い込む可能性が大.
上記の日本大百科全書を始め,「うどんのルーツは唐菓子」とする説がネット上には沢山見つかります.
しかし,その「唐菓子からうどんに至るまで,変遷の経緯」にふれている記事はみつかりません.
「唐菓子ルーツ説」は,単にコムギ粉を使った食品(中国語の餅 ピン)の日本での初出を語っているだけのように思えてなりません.
せめて,
中国餅(ピン)の分類でいえば湯餅(タンピン),
もしくは,
日本語の湯餅-水引餅,
をうどんのルーツ探しの対象にしないと,うどんの歴史を語ったことにはならないのでは,と思います
ということで,明日,既に述べたそうめんに加えて切りめんについてもまとめ,このシリーズを終わることにします.
(苦戦中です)