#あちこちのすずさん~教えてください あなたの戦争~ (1)
【キャスター】千原ジュニア,【リポーター】八乙女光,伊野尾慧,【出演】広瀬すず,片渕須直,【アナウンサー】近江友里恵,【語り】松嶋菜々子
「こんばんわっふぉい!」
「さあ,ねえ,この『こんばんわっふぉい』っていうのは,いつもラジオで何か言うてるあいさつなんでしょ?」
「そうなんですよ.ラジオでやってる挨拶でございます」
「そういうの,よそでやるの,すっごく恥ずかしいよね」
「すっごい恥ずかしい!まさか『NHKスペシャル』で言わせてもらえると,思ってなかったんで.ちょっと,後悔してますよ」(笑い)
「だって,自分が考えたんやろ?」
「いやいやいや.だって,ラジオの中ですから.『NHKスペシャル』で言うと思ってないですから」
「今日のNHKスペシャルは,ラジラーとのコラボ企画生放送.お便りも募集しております」
「テーマは『戦争』.戦争の話って,なんだか難しいなと思うかもしれないけれど,今日はちょっと違うんですよね」
「そうなんですよ.今年ですね.NHKは,こんな新しい取り組みを始めました.すずちゃん,お願いします」
「はい,『#あちこちのすずさん』.まずはこちらをご覧ください」
(映像 この世界の片隅に)「ありがとう.この世界の片隅に,うちを見つけてくれて」
映画「この世界の片隅に」.これまでとは違う戦争の伝え方が大きな共感を呼びました.
太平洋戦争のさなか,主人公のすずが経験する恋や失敗.笑い.普通の暮らしを丁寧に見つめ,それを奪う戦争の残酷さを描いています.
(映像 この世界の片隅に)「しみじみ,にやにやしとるんじゃ」
私たちは,すずさんのような戦争中の普通の暮らしのエピソードを募集.
「#あちこちのすずさん」と名づけたところ,1000件を超えるお便りやメールが寄せられたんです.
投稿者 松本喜代美さん「どうしてもおしゃれしたくて,防空ずきんの内側にリボンを縫い付けた.友達に見せたら,みんながマネをした」
投稿者 とり=かいさん「知人のおばあさまは,軍需工場で働いていたときに機械油を持ち帰り,ホットケーキを焼いたらしい.#あちこちのすずさんは,ここにも」
さらに,ネット上でも,20代,30代が発信.身近な家族に聞いた戦争の話を発信しなじめています.
12月の新作映画で主人公すずの声を演じるノンさん.
ネットに広がる#あちこちのすずさんのエピソードに心引かれています.
News about #あちこちのすずさん on Twitter
ノンさん「知らない・どこかにいる“すずさん”なんだけど,自分が直接,話を聞いてきたかのように思える.
『こういうことあったんだって』と伝えたくなる」
集まったエピソードを,片渕監督引きいる「この世界の片隅に」制作チームとともにアニメ化.#あちこちのすずさんたちの青春をよみがえらせようとしています.
片渕監督「ああなんだ.普通なんだ.僕らと変わらないんだと思ったとたんにね,その70数年という時間が跳び越えられてしまうような感じがして.
そうやって何かを理解したところから,『戦争』ってものががもっと見えてくるって気がするんですね」
今日は生放送.戦争中の暮らしのエピソードや番組へのメッセージを-----
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(歌)
お洒落禁物 お洒落は敵だ
皆様がたよ お互い注意しましょう
【ぜいたくは(素)敵だ!?】ディック・ミネ「お洒落禁物」がオシャレすぎる件【1940年の懐メロ】 - YouTube
「あれ?この曲は何なんですか?」
「初めて聞きます?お洒落禁物(1940年)という曲.作られたのは1940年.太平洋戦争が始まる1年前の曲なんですね」
「へ〜そうなんや.まさに,そういうお達しが,ということですか?」
「はい,『お洒落禁物』というタイトルにも表れていますけれども,このころのお洒落といえば,こちらです.パーマです」
「え〜」「すごいな」
http://shampootea.blog89.fc2.com/blog-entry-381.html?sp
「どうです.すごいですよね.これ,あの電気を使っていたので,電髪っていうふうにいわれていたそうなんです」「はい」
「ただ,こういったおしゃれも,戦時中には,不謹慎だというふうに言われていたんですね.そこで,こんな張り紙もあったんです.
パーマネントのお方は,町の通行をご遠慮下さい」
「えっ,歩くなっていうこと?」
「歩くなという張り紙まで町に出現してしまった」「え〜そうなんや.でも天然の人もいますからね.それはどうチェックするんだろう」
「どうしようもないですよね」「そうなんや.それぐらいそんなことに心持ってかれてる場合じゃないでしょうっていうお達しが上からあったってこと?」
「張り紙からも,そういったことが,うかがえますけど----
パーマについて,意外な戦争中のエピソードが寄せられたんです.ご紹介します」
埼玉県 飯能(はんのう)市.
「美しいでしょ?つやもいいし」
埼玉県で美容院を営む大塚良江さん.84歳.今も現役です.
美容師になったきっかけは戦争中.小学生の頃,母が開いたパーマの店での体験でした.
「戦争中でもパーマをかけるんですか?」「かけるんです.かけるんですよ.忙しかったですよ」
(再現画像)「関東地区,警戒警報発令」
戦争中といってもパーマをかけたがるお客さんは,いっぱいいました.
空襲がくる!と山に避難して,警戒が解けて戻ると,もうお客さんが列になっているんです.
パーマといっても電気は使えません.だから,木炭パーマでした.
まず,木炭の火にトタン板をかけて,そこに金属のクリップを載せて熱くして,巻いた髪の毛にかぶせるのです.
たいていの人は,頭にシラミがいて,パラパラと落ちてくるので,母は困っていました.
木炭は,お客さんが持って来る決まりでした.当時は,炊事用に家庭に配給される貴重なもの.それなのに,ご飯は枯れススキなんかで炊いて,木炭はパーマに回していたんです.
お国の貴重な資源を,自分のおしゃれに使っちゃうんですから,非国民ですよね.
パーマをかける1時間半.お客さんはいろんな思いを吐き出します.
空襲で,あした死んでもいいように,きれいな髪型でいたい.
息子が戦死したの.気持ちを張らなければ家事もできないわ.
母は,時に涙を浮かべながらうなずいていました.
女性たちは,皆,すまし顔でしたが,よくみると,おしろいの代わりなのか,水でといた小麦粉みたいなのを顔に塗ってムラができている.
おしゃれへの執念ってすごいと感じました.
「パーマネントはやめましょう」
しょっちゅう,男の子たちにからかわれましたが,私は平気でした.
女の人は,いつだっておしゃれをしたいんですから.
そう,母もお客さんも,かっこいいと思っていました.
「女性は美しくなると,ほんとうに喜びを満面に.
わたしもそれを見たときに,絶対,学校を卒業したら美容師になろうって」
良江さんは,この戦争中の思い出を家族に何度も話し,大切にしてきました.
その思いが伝わったのか,今では,妹や子供たちなど,6人が美容の仕事をしています.
美しさを求める心は,生きる力を生む.
あの時代から受け継いできた信念です.
「苦しみがあるからこそ,いらっしゃる.お薬飲むより,美しくなった方が,スーッとね,心もおちつく」
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