相模原殺傷事件3年  ▽被害者家族 風化を懸念:「忘れられると,再び同じような事件が起きてしまうのではないか」 ▽笑顔の娘 誇りだった 母「心の傷」癒えず:心の傷は今も癒えず,事件のことを周囲に話そうとすると激しい動悸が襲う.それでも,心境を明かす決意をしたのは,娘のことを忘れないでほしいと願うから.▽植松被告「死にたくない」:差別的な主張を続ける一方,最近は「死にたくない」とも語り,裁判を気にするそぶりも見せている.読売新聞 7月26日 金曜日

被害者家族 風化を懸念 相模原殺傷事件3年

読売新聞 7月26日 金曜日 朝刊

f:id:yachikusakusaki:20190728004027j:plain

 神奈川県相模原市知的障害者福祉施設津久井やまゆり園」で入所者らが殺傷された相模原殺傷事件から,26日で3年となる.

障害者への差別や偏見を社会に問いかけた事件だが,読売新聞が遺族や入所者家族らに行ったアンケートでは,風化を感じている家族は多い.「忘れられると,再び同じような事件が起きてしまうのではないか」と懸念する声もある.

 

 アンケートは6~7月,連絡先が分かる入所者家族ら125人に対面や書面で行い,35人から回答を得た. 

 事件の記憶の風化を「感じる」と回答したのは20人.全国で悲惨な事件が相次いでいることや,報道される機会が減ったことなどを理由に挙げた. 

 殺人罪などで起訴された植松聖被告(29)は「不幸をつくる障害者はいらない」と主張した.

事件後,障害者への差別や偏見が解消されてきたかを聞くと,「変わらない」が21人に上った.息子が入所する70歳代の母親は「みんな『大変ね』と言うが,幼児向けの本を持って歩く息子を奇異な目で見る.結局,何も変わらない」と訴えた. 

 裁判で,希望によって被害者を匿名で審理することについては,17人が賛成した.ただ,「匿名では被害者を想像できない.名前の公表を検討している」という遺族もいた.

 

笑顔の娘 誇りだった 母「心の傷」癒えず

f:id:yachikusakusaki:20190728004623j:plain

 知的障害者19人の命が奪われた相模原殺傷事件から3年となるのを前に,娘を亡くした女性が初めて取材に応じ,「世界で一番,大事な子でした」と語った.

心の傷は今も癒えず,事件のことを周囲に話そうとすると激しい動悸が襲う.それでも,心境を明かす決意をしたのは,娘のことを忘れないでほしいと願うから.「もう一度でいい,あの子に会いたい」─

 

「伝えたい」

 事件2日前の2016年7月24日.女性は,神奈川県相模原市の「津久井やまゆり園」を訪ね,水遊びが大好きな娘に話しかけた.

「もうすぐプールがはじまるね」.

待ちわびていたのか,娘はこの日,ずっとニコニコしながら過ごしていたように思う.

一週間後の花火大会の日にも来るからねと伝え,帰宅するときには,お気に入りのCDを聞きながら,大きく手を振っていた.

 

 娘は3歳で自閉症と診断された.会話も,字を読むこともできなかったが,女性が公園や車などの写真を使ったカードを作ると,手に取り,指をさして行きたい場所を教えてくれた.大きくなると,行楽地のガイド本を持ってきて,遊びに行こうとせがんだ.

知的障害者との接し方には戸惑う人も多いでしょう.私もそうだった.でも,あの子が変えてくれたのです」

 

 人懐こくて,何でも一生懸命.中学生のときから,福祉施設で暮らすようになったが,みんなにかわいがられていた.

 

 だから,殺人罪などで起訴された園の元職員植松聖被告(29)が,障害者への差別的な主張を繰り返し,ネット上などで同調する声も上がったことに深く傷ついた.この事件では,報道機関の取材に応じた遺族は,ごくわずかだ.

 

 女性は事件後,体重が10キロ近く減り,現在も心療内科に通う.そんな日々の中でも,娘のためにできることは何かと考え,

「私の誇りだったあの子が,懸命に生きたのだということを伝えていきたい」と思った.

 

 今も,娘の写真を何度も見返しては涙があふれ,動画はまだ見ることができないという女性は,取材の中で,

「あの子の存在が,誰かの心に残ってくれたらうれしい」と繰り返した.

 

遺族ら 今も心身に不調 アンケート「親も被害者」

 殺傷事件の遺族や入所者家族らを対象にした本紙アンケートでは,事件から3年がたつ今も,心理的に不安定だったり,体調を崩したりするなど,入所者や家族に影響が色濃く残っていることが明らかになった.

 

 今も影響が「ある」「多少ある」と答えたのは,回答した35人のうち13人.

現在は別の施設に入所する男性(40歳代)は,一時的に実家に戻って寝ている時,「刺されて泣いているよ」「○○君が死んじゃった」などと叫ぶことがある.

施設での作業も以前のようにはできなくなり,母親(70歳代)は「口数も少なくなり,寂しい」と話す.

 

 入所者の女性(50歳代)は,外出する機会が減り,足腰が弱くなったという.

 

 影響は家族にも及び,入所男性(60歳代)の姉は,植松被告のことを考えただけで動悸がするなど,体調不良が続いている.別の入所男性の父親は,今も事件の夢をたびたび見る.

 -----

 

植松被告「死にたくない」

f:id:yachikusakusaki:20190728004740j:plain
 来年1月に裁判員裁判が始まる植松被告は,横浜拘置支所(横浜市)などで読売新聞の取材に応じてきた.

「意思疎通のできない障害者は必要ない」とゆがんだ差別的な主張を続ける一方,最近は「死にたくない」とも語り,裁判を気にするそぶりも見せている.

 

 植松被告との接見取材は14回,書面取材は15回に上る.殺傷事件を起こしたことは一貫して認め,昨年5月には

「死刑になっても,いつか『あいつの主義は正しかった』と思われればいい.裁判は一審で終わりにしたい」と語った.

しかし初公判の日程が決まった後の今年6月には

「死刑は避けたい.一審で判決が出ても確定ではない」と発言を変えた.

 

 これまでも,

「名前と住所が言えない人は『心失者((しんしつしゃ)』」と,重度の知的障害者を蔑視(べっし)してきたが,最近は,接見に訪れた福祉関係者らのことも「しゃべる心失者」と呼んでいる.

依然として被害者への明確な謝罪はない.