昨日,散歩は,「やや遠出コース」の安国論寺まででしたが,そのお隣の妙法寺にも立ち寄りました.
妙法寺は,何と言っても苔階段.
ただ,苔階段の上方を覆う楓は,あまり紅葉しないタイプで,紅葉は見られず.
少し残念でしたが,相変わらずの雰囲気は満喫できました.
上から見下ろした苔階段.上1/3ほどは,楓ではなく,銀杏で覆われていました.
境内の花は,山茶花と椿.
サネカズラは,まだ赤い実を沢山つけています.
このところ,ブログの後半に短歌を載せてきましたが---
今日は,画像とは関係なく,たまたま視聴したNHKBSP「ガイロク(街録)」から,「母の手紙」を掲載しておきます.多くの方がどこかで似たような経験をしているとは思いますが,なかなかいい話です.
「街録」番組紹介:https://www.nhk.jp/p/ts/6P14VQRKP9/
街頭録音、略して「街録」。 街ゆく人々の“リアル”な声から、人生を学ぶ! 人生のピンチやハプニングとどう向き合い、乗り越えてきたのか? その経験から得たものとは…。 山あり谷ありの人生に生きる勇気が湧いてくる!
「母の手紙」
NHKBSP 11月27日/12月2日 ガイロク(街録)
東京・笹塚,商店街.都内在住56才の女性.
「こちらの商店街にはどういったご用件で?」「母の命日が近いのでお花を買ったりとか」
「こういったテーマでお話を伺っているんですけど『人生のピンチを教えて下さい』」「ほー.私が二十のときに,母が突然他界しまして---」
36年前東京で美術大学に通っていた彼女は、連休を利用して実家のある千葉に帰省しました.父と母に姉も加わって,四人家族が久しぶりに揃いました.
「もうそれは,食べられないぐらいお料理をつくって待っててくれたり,近くのコスモスが沢山咲いているところに一緒に見に行ったりとか.母は本当に楽しそうで,小さい車に家族四人ぎゅうぎゅう詰めに乗って.そんな休日だったんですね」
しかし,翌日,東京に戻っていた彼女に親戚から電話がありました.
「突然電話があって,危篤で,意識がない状態で病院に運ばれたので,急いで帰ってきなさいって」
母は、その日の朝,ぜんそくの発作に襲われ,意識不明になり,病院に運ばれていました.実家に向かう電車の中で,考えるのは母の事ばかりでした.
「もともと母は,凄く体が弱くて,杯が片方無い状態で,姉を産み,私を産んでくれたんdすね.運動会はもちろん,一緒には走ってくれない.そのかわりすごい豪華なお弁当を作ってくれたりとか,はちまきに刺繍をしてくれたりとか,ほんとうに体は不自由でお母さんと一緒にするようなことはできなかったんですけど,自分ができることは,精一杯注いでくれて,本当に最高のお母さんだった]
二時間後,病院へ到着.
「集中治療室のほうで,『こっちです』と呼ばれて,『よかった.間に合ったのかな』と思ったら,もう冷たくって」
母は49才で旅立ちました.
「美大生なので,母が家に帰ってきたとき,顔をデッサンしたんですけど,昼寝しているみたいな,すごいきれいで.いつも,実家に帰ってお茶を飲んだあとなんかに,まどろんで寝ていたんですけど,そのときのまんまみたいで,素敵な母のままでした」
母がいなくなってしまったことを,彼女は,なかなか受け止めきれませんでした.
「母が亡くなって,『もう大学行きたくない』とか.長い間お休みしたりしちゃったんですけど.本当になにもやる気が起こらないというか.何見ても『うーん.うーん』というような毎日で.自分が知ってる世界だけど,いつもと違うな.人がいないなっていう,違和感がある日常の中にあったっていうか,それが,母がいないからだと結びつけると,あまりにも悲しすぎたりするので,」
半年後,彼女は大学に入学したときに母がくれた手紙を一つ一つ読み返しました.
手紙には,こんな言葉が綴られていました.
「私という人は,世界にたった一人しかいなくて,唯一無二の存在なんだから,私らしく生きていく,あるべき姿は,絶対あるから,それを信じて自信を持って生きてください.『世界にあなたはたった一人ですよ』っていう,手紙をくれてたんです.
その手紙を読む度に,あ,そうだ.私は母が死ぬ気で産んで育ててくれた.育ててくれてるんだから,こんなだらだらしてたら時間がもったいない.とか思って」
母が大好きだった草花が芽吹きはじめた春.大学に復帰します.彼女はその後の人生を,母の言葉を支えに生きてきました.
「いまだに,その手紙を,挫折しそうになると読んで,大事にしてます」
今思うこと.
「体も弱かったので,いつ終わりになるかしれないという限られた時間の中を駆け抜けた,そう言う母の姿と自分を考えると,もっと時間を濃密に生きないといけないなーって思うし,それを教えてくれたのも,そのピンチだったかなと思います」
ゲスト副島淳の〈忘れられない母の言葉〉:
「おまえはラッキーだぞ.おまえは立っているだけで目立つんだから」(容姿でいじめられて母に食ってかかったときに言われた言葉)