蜜柑を詠んだ歌  我が友は蜜柑むきつつしみじみとはや抱きねといひにけらずや 斎藤茂吉  たそがれの,蜜柑をむきし爪(つま)さきの/黄なるかをりに,母をおもへり 土岐善麿  人声を探して行けば密柑山ひともとの木に群れて摘み居し 若山牧水   少年の手に落としたるみかん一つ河原の石に輝きはずむ 馬場あき子

ミカン(温州ミカン)は,クネンボと紀州ミカンの交雑で生まれたことが明らかになっています.

実は“謎だらけ”だった温州みかん page.2 - 日経ビジネス電子版 Special

https://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2022/11/01/235536

温州ミカンがいつ頃生まれたと考えられているかは調べきれませんでしたが---

「蜜柑」という言葉は室町時代の書物『尺素往来(せきそおうらい)』(15世紀後半)に例がみえるとのこと.ただし,温州ミカンではなくコミカン(キシュウミカン)の類と考えられています(ニッポニカ)

 

蜜柑と柑子

日本国語大辞典の“蜜柑 みかん[語誌]”には「当時はミッカンと音読することが多かったが、次第にミカンの形の方が一般化する」とあります.

蜜柑は蜜のように甘い柑子という意味で,それ以前には「柑子かうじ⇐かむし」がミカンの名前として用いられていました.

続日本紀には「8世紀に播磨弟兄(はりまのおとえ)が柑子を唐から持ち帰り、佐味虫麻呂(さみのむしまろ)がその種子を植えて結実させた」との記載があります.(ニッポニカ)

一方,『日本書紀』や『古事記』に載る田道間守(たじまもり)が求めた非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)もコミカンをさしているとする説もあります.

 

蜜柑と橘

橘という植物がミカン属にありますが,この種は柑橘類の原種の一つとされています.

Genomics of the origin and evolution of Citrus | Nature 2018

一方,橘は,蜜柑の古名とされます(日本国語大辞典)が,この「蜜柑の古名としての橘」と「現存する橘」は別のものをさしていると考えられています.ところが,以下に羅列するように「蜜柑の古名としての橘」の実態はかなりあやふやにおもえます.

・上述の古事記日本書紀の非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)は橘とするのが一般的なようですが,この橘は現在の橘ではなく,コミカンもしくはダイダイをさしているとする説が有力なようです(ニッポニカ).

・橘が有名なのはなんといっても御所の紫宸殿(ししんでん)の南階下の西側にある「右近(うこん)の橘(たちばな)」.しかし,御所の植物のせいか,この「右近の橘」についての詳細はネット上には見当たりません.

万葉集には68の橘を詠んだ歌がありますが,いずれも花や香りを詠ったもので,食用になるのかどうかは不明.また,枕草子でも木の花としての橘の風情を伝えていますが,食べものとしての橘には触れていません.

 
 
ミカンを詠んだ歌
古今短歌歳時記(鳥居正博 教育社)より抜粋
 

病みて臥す窓の橘花咲きて散りて実になりて猶病みて臥す  正岡子規 竹の里歌

 

 

我が友は蜜柑むきつつしみじみとはや抱きねといひにけらずや  斎藤茂吉 赤光

 

 

たそがれの,蜜柑をむきし爪(つま)さきの/黄なるかをりに,母をおもへり  土岐善麿 黄昏に

 

 

人声を探して行けば密柑山ひともとの木に群れて摘み居し  若山牧水 朝の歌

 

 

青蜜柑かたく緊(しま)りてわが庭に秋の日数のすぎゆかむとす  土田耕平 班雪

 

 

一輌の人みなねむりわが剥きし青き蜜柑の高き香は満つ  葛原妙子 飛行

 

 

少年の手に落としたるみかん一つ河原の石に輝きはずむ  馬場あき子 早笛