アプロディーテー(ウェヌス / ヴィーナス) 4 女神は,忠告すればなにか役にたつこともあろうかとおもって,アドニスよ,おまえにもこれらの動物をおそれるように言ってきかせた.『わたしは,こういう動物がいちばんきらいです』『じゃ,話してあげましょう.この古い罪の物語のふしぎさに,あなたもおどろくことでしょう.-----』とこどき接吻のために話をとぎらせながら,つぎのような話を始めた.オウィディウス 転身物語 巻一〇 アドニスの誕生〜アドニスの転身 ダイジェスト2

オウィディウス 転身物語

田中秀央・前田敬作訳  人文書院

巻一〇 アドニスの誕生〜アドニスの転身

ダイジェスト2

 

1.

https://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2021/06/28/235724

「こうして,女神は,若者の美しさにまよい,

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天上に昇ることさえわすれてしまった.天上にもまして,この若者アドニスを愛したからである.片時もかれからはなれず,かれの行くところなら,どこへでもついていった.

 

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ファイル:Venus and Adonis by Nicolas Mignard.jpg - Wikipedia

 

これまでは,樹陰のしずかな休らいなどをこのみ,色々な化粧でその美しさをいやが上にも高めていた女神なのに,いまは山の峯をこえ,森をよぎり,灌木の多い絶壁をわたって,まるでディアナ(狩猟の女神 ギリシャ神話のアルテミスと同一視)のように衣を膝までまくりあげて,あちこち跋渉した.

そして,犬どもをけしかけ,頭を下げて逃げていく兎や,大きな角をはやした鹿や野呂鹿のような,危険なしに狩れる獣どもを追いかけた.そのかわり,凶暴な猪には近づかず,貪欲な狼,するどい爪を持った熊,牛の血をすする獅子などはさけた.

女神は,忠告すればなにか役にたつこともあろうかとおもって,アドニスよ,おまえにもこれらの動物をおそれるように言ってきかせた.

『こちらの姿を見て逃げていくものにたいしては,勇敢にふるまってもよいでしょう.けれども,向こうみずな相手にたいして向こうみずは真似をするのは,あぶないことです.おお,若者よ,わたしを悲しませるような無鉄砲な振舞いはしないでおくれ.自然が武器をあたえた動物にたいしては,手向かいをしてはいけません.-----

わたしは,こういう動物がいちばんきらいです』

アドニスがそのわけをたずねたので,女神は答えて

『じゃ,話してあげましょう.この古い罪の物語のふしぎさに,あなたもおどろくことでしょう.-----』

そういうと,女神は,腰をおろして,草の上に身をのばし,若者の胸を枕にして仰向きになったまま,とこどき接吻のために話をとぎらせながら,つぎのような話を始めた.

 

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Venus and Adonis | Smithsonian American Art Museum

 

『むかし,脚のはやい男たちと競争して,みごとにかれらをうち負かした乙女がいたことは,たぶんあなたも聞いているでしょう.この話は,けっして作りごとではありません.彼女は,ほんとに男たちを負かしたのです.けれども,彼女の脚の速さと容姿の美しさのどちらがまさっていたかは,きめかねたほどでした.

ある日,彼女が良人を持つべきかどうかを神さまにたずねたところ,神さまはこう答えたの.

「いや,アタランタよ,おまえに良人は必要でない.結婚はさけるがよい.しかしおまえは,それをさけきれなくなって,生きながらおまえ自身を失うことになろう」

アタランタは,このお告げにおどろいて,独身のまま子暗い森のなかで日を送るようになり,それでもおしよせてくる求婚者たちを無茶な条件をもちだして追いはらったの.その条件というのは,こういうのです.

「わたしは,まず競争をして負けてからでなくては,だれの妻にもなりません.わたしと駆けっこをなさい.わたしより早い人がいたら,褒美にこの身を妻としてさしあげましょう.もしわたしに負けたら,死がその褒美です.これが,競争の条件です」

ずいぶん残忍な条件であったけれど,アタランタの美しさはたいへんなもので,向こうみずな求婚者たちは,つぎつぎこの条件をうけいれたの

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File:Atalanta Lepautre Louvre MR1804.jpg - Wikimedia Commons

 

 ヒッポメネスは,----若者たちの無分別な恋をあざけっていたの.ところが,アタランタの顔やむきだしの肌を見ると,----たちまちこころをうばわれて,---.

若者たちのこうした悲運を見ても尻込みしないで,競走場の中央に歩みでて,乙女の方をじっと見つめて,こういいました.

「あなたは,なぜこんな他愛もない連中をやっつけてつまらぬ名声を得ているのだ.わたしと勝負すべきだ.だが,運命がわたしに幸いしても,あなたは,わたしのような男に敗れたことをすこしも恥じるにおよばぬ.わたしの父メガレウスは,オンケストゥスの生まれで,ネプトゥヌスを祖父にしている----」 

かれが,こう語っているあいだ,スコエネウスの娘(アタランタ)は,やさしい眼ざしをじっとかれにそそぎかけて,この相手に勝利を敗北のどちらをあたえようかと思案していた.

「このような若者の美しさを憎むあまり,かれをほろぼそうとし,大事な命をかけてまでわたしとの結婚をもとめざるをえない気持ちにさせる神さまは,いったい,どんな神さまなのかしら.----

それにしても,すでにあれほど多くの若者たちが死んでいってわかっているはずなのに,わたしとしたことが,あなたのことをなぜこんなに心配しなくてはならないのでしょう.いっそのこと,思い知るがいいわ.あれほど多くの求愛者たちの死も,ついにかれにはなんの教訓にもならなかったのだし,生きている有り難さが少しも分かっていないのであれば,勝手に自滅するがよい」

----』」

 

続く

 

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ファイル:Venus y Adonis (Veronese).jpg - Wikipedia