五輪は科学に基づいて=青野由利
毎日新聞 土記
2021年2月13日 東京朝刊
「オリンピック開催は科学に基づいて決めなくてはならない.開催できることを願っているが,まだわからない」.今週,米国のバイデン大統領が現地のスポーツ系ラジオで話していた.
「医療従事者や死亡リスクの高い人へのワクチンでさえ十分ではない.現実を直視しなくては」.先月,オリンピック選手への優先接種について聞かれ,そう答えたのは世界保健機関(WHO)のライアンさんだ.
どちらの発言も当然といえば当然.でも,日本で聞こえてくる声はどうも違う.菅義偉首相の「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証し」とか,森喜朗さんの「コロナがどうであろうと必ずやり抜く」とか.
こうした現実を軽視した既定路線へのこだわりは,実は今回の森さんの女性蔑視発言とも結びついていると感じる.
科学に目を向けず,とにかくやるんだという強引なトップダウン.それがおかしいと思っても,周囲の「わきまえた男たち」は異論を差し挟まなかったのでは?
でも,「わきまえない女たち」は,そんたくせずに異論や正論を述べる.当然,議論も長引くに違いない.それが目障りだったのではないだろうか.
そもそも,新型コロナが発生していなくても,オリンピックや博覧会,メッカ巡礼など,多くの人が一堂に会する「マスギャザリング」は,感染症対策・公衆衛生における重要なテーマだ.
海外から多くの人が訪れれば,当然,国内で流行していない感染症が持ち込まれる恐れがある.以前から専門家が注目してきたのは,結核,麻疹,髄膜炎菌感染症,デング熱やジカ熱など.
たとえば,アフリカには「髄膜炎ベルト」と呼ばれる流行地帯がある.こうした国々のホストタウンとなる地域の関係者にはワクチン接種が推奨されていた.
今はそこにコロナが加わり,さらに世界各地で変異株が出現している.水際対策に100%がない以上,日本にさまざまな変異株を集めてしまう恐れだってある.
日本での感染再拡大,海外の患者も加わった病床のさらなる逼迫(ひっぱく)も考えないわけにはいかない.
たとえ無観客にしても,アスリートと関係者が世界各地から集結すれば,日本にとってのリスクは高まるはず.きちんとしたリスク評価が必要なのに,異論を封じていてはそれもできないだろう.
森さんの辞任を個人の資質問題に終わらせず,異論も科学も尊重される社会を後押しする力にできるといい.
(専門編集委員)
毎日新聞 2021年2月13日 東京朝刊