「100%信頼しています!」「いくらでも戦うからね!まかせて!」「ふっと,娘たちのために頑張らなくっちゃ,あの時お母さんも頑張ったから,私たちもきっと最後まで頑張りきれるって,娘たちが思えるような.そういう対応を自分がしとかなきゃと思ったんですよね.そう思った途端に,絶対これで崩れることはない.最後まで.自分はちゃんと頑張れるって自信持ったんですね」 わたしはやっていない 村木厚子 無罪までの454日 (1) NHKBSプレミアム

「無罪」「無罪」

「無罪です.無罪が言い渡されました.無罪です.無罪の判決が言い渡されました.村木元局長に無罪が言い渡されました」

 

誰もが奇跡だと思った“無罪判決”.

 

村木さん「こういう結果が出るっていうことを信じてやって来ましたけれど,その通りの判決が出て,本当にうれしいです」

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https://www.nhk.jp/p/anotherstories/ts/VWRZ1WWNYP/episode/te/72QJPQ7QV7/

 

 

村木厚子.かの女がこの奇跡を勝ち取るまでには,長く苦しい闘いがあった.

相手は泣く子も黙る「鬼の特捜部」.

そして,世間の激しいバッシング.霞ヶ関のキャリアウーマンを襲った突然の逮捕と長期の拘留.

村木厚子裁判の真相に迫る.

 

「わたしはやっていない 村木厚子 無罪までの454日(1)

 

アナザーストーリーズ  運命の分岐点

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https://www.nhk.jp/p/anotherstories/ts/VWRZ1WWNYP/episode/te/72QJPQ7QV7/

BSプレミアム 2020年8月8日 火曜 午後9時

ナビゲーター 松嶋菜々子  語り 濱田岳

 

ある日突然,身に覚えのない罪で逮捕され,家に帰れず,家族とも会えなくなってしまう.まるで,映画やドラマのような出来事が現実に起きました.今から十年ほど前,村木厚子さん(当時 厚生労働省局長)の身の上に降りかかった不条理です.

一度検察が起訴すれば,日本の裁判で有罪とされる確率は99%.

村木さんは,その僅か1%の可能性から,無罪を勝ち取りました.

あの絶望的な状況下で,なぜ,巨大組織検察に立ち向かうことができたのでしょうか?

 

村木厚子は,厚生労働省で4人目の女性局長(当時 雇用均等・児童家庭局長).男性官僚が多い霞ヶ関でキャリアウーマンの星として,注目の存在だった.

その村木が突然逮捕されたのは,2009年6月14日.

全く身に覚えのない容疑だった.

 

村木さん「その日のうちに逮捕みたいな」「Noって否認をしたら,『あなたを逮捕します』って言われたっていう感じでした」

 

関与が疑われたのは,障害者郵便制度悪用事件.

ある団体が,障害者団体の郵便料金が安くなる制度を悪用し,不正に利益を得た事件だ.

国会議員の口利きで,村木が偽の証明書の発行に関わったと容疑がかけられたのだ.

逮捕したのは,大阪地方検察庁特別捜査部.いわゆる特捜部だった.

特捜部は,政治家の汚職や経済事件など,大規模な事件を独自に扱う.現職の国会議員やエリート官僚も捜査対象となり,ロッキード事件では田中角栄元首相を逮捕(1976年).

絶大な力と実績があった.

村木を逮捕したこの事件も,最後は国会議員までをも巻き込む大形犯罪と見立てていた.

だからこそ--

 

元検事「なんとかして有罪判決を出そうとする.特に特捜部の事件はそうなんですよ.組織のメンツがかかっている」

 

無実の罪を着せられた村木厚子と,何が何でも罪を認めさせたい大坂地検特捜部.

その闘いは,1年3ヶ月に及ぶことになる.

村木は,圧倒的に不利な中でも,最後まで屈しなかった.

何が彼女を支えたのだろうか?

 

運命の分岐点は2010年9月10日.

村木厚子さんが,晴れて無罪判決を手にした日です.

 

第一の視点は,ある日,突然,事件に巻き込まれた被疑者.村木厚子

罪を着せられ,世間から激しいバッシングにさらされながら,1人証言台に立った彼女.

日本中が注目する中,意外な真実が明らかにされたのです.

この場に到るまでに.一体,何があったのか.164日の拘留に耐えぬいた,本人にしか語れないアナザーストーリーです.

 

2009年4月,大阪地検特捜部は,事件関係者の逮捕に乗り出す.

まず,不当に利益を上げた団体の元会長を逮捕.

そして,厚労省で虚偽の証明書を作成した元係長を逮捕.

次のターゲットは,その係長に指示を出したとされる村木だった.

キャリアウーマンの星だった村木が,不正に関与していたかもしれない.マスコミは色めき立ち,「疑惑の女性官僚」と報じた.

 

村木さん「ものすごかったですよ.ほんとに.当然,犯人扱いですし,大勢で常に追いかけ回される状況で,家にも常に玄関前にいてピンポン押される状況でしたし,役所もずっとマスコミの人が取材に来て,執務室にはいられない状況で,ほんとに,私から見ると,非常に暴力的な取材だったなっていう気がします」

 

そんな中,大阪地検から呼び出しがあった.

村木は,むしろ,弁明のチャンスが来たと考え,自ら大阪に出向いて取り調べに応じた.

ところが,

 

村木さん「『障害者団体から,証明書発行をするように頼まれたか?』とか,『国会議員からそういう依頼があったか?』とか,『上司から命令されたか?』『部下に指示をしたか?』『部下が作った証明書を渡したか?』とか.大体そういうことを聞かれた.

『NO』って否認をしたら,『あなたを逮捕します』と言われたって感じ」

 

村木は,そのまま大坂拘置所に移送された.部屋は,畳二畳に,仕切りのないトイレと洗面台だけ.

164日に及ぶ交流生活がいきなり始まった.

 

村木は逮捕が告げられた直後,一瞬の隙を見て,夫に短いメールを送った.

「たいほ」

漢字に変換する余裕はなかった.

 

夫・村木太郎さん「いきなり『たいほ』という,ひらがな3文字のメールが来て,何のことだか,ちょっとよく分からなくて,しばらくして,ギクッとなって,すぐ子供たちにも電話をして,こういう状態になったよっていうことを知らせた」

 

村木には,東京に残してきた2人の娘がいた.当時,長女は既に社会人になっていたが,次女は高校生.大学受験を控えて勉強中だった.

 

村木さん「自分のことも心配しなきゃいけないですけど,家族のことも心配ですよね.外は大騒ぎになって,あそこのお母ちゃん,逮捕されちゃったってなってるわけですから,家族がどんな思いでいるか,とか,職場や学校で変なこと言われてないかとか,色々心配は募るじゃないですか」

 

しかし,最初の20日間は,家族との接見は許されず,村木はたった1人,孤立無援の闘いを強いられた.

一日も休まぬ取り調べで,検事は罪を認めさせようと迫る.

 

村木さん「『ずっと否認していると,罪が重くなるから,あなたのことを心配しているから言うんですよ』とか,『他の人は実はみんなこう言っていますよ.どうしてあなただけ記憶が違うんですか』とか,いっぱい投げかけられて,どんどん不安になっていくんですね.

外にいたら,他の人と話をすれば,常識的な判断って戻ってくるんですけど,閉じ込められて,検事と2人だけで,どんどん自分が間違ってるんじゃないかとか,自分の記憶がおかしいんじゃないか,判断がゆがんでいくというか,ずれていっちゃうというか,正常な判断がどんどんできなくなる.そういう怖さを感じました」

 

供述を元に,検事が書いた調書.確認のサインを求められた村木は,仰天した.

 

村木さん「1人の検事さんが10日間取り調べをして,供述調書は数通しか作らない,

そうすると,私が100位しゃべった中で,検事さんは取りたい調書だけ取る.

私がシロに近いような説明は,調書にはなっていかない.私がやったっていう事に近いものだけが,拾って文字になっていく」

 

村木が頼ったのは,弁護士の弘中惇一郞.ロス疑惑など,数々の裁判で無罪を勝ち取ってきた“無罪請負人”として知られていた.

 

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https://www.nhk.jp/p/anotherstories/ts/VWRZ1WWNYP/episode/te/72QJPQ7QV7/

弘中弁護士「取り調べというのは,普通の感覚ではいられない.しかも,取調官はストーリーを持って供述を押しつけようとするわけですから.相手と話がかみ合わないってつらいわけですから,どうしても相手に合わせちゃうところがある.それがいかに危険であり,検察官が何を考えて質問しているのか,と,取り調べの基本みたなことをアドバイスした」

 

そして,一冊のノートを村木に渡した.(“被疑者ノート 取り調べの記録----日本弁護士連合会”)

取り調べの内容を,その日のうちに記録するためのものだ.ビデオによる録画も行われていなかった時代.これが被疑者側の重要な記録となった.

村木の肉筆でこんなことが書かれている.

「調書は本人の思いであり客観事実ではないので,これでいいと主張された.わなにはめられているようで不安」

「何を認めろというのか.やっていないものを認める気はないと答える」

「そのようなことは言っていないので,全て削除してもらった」

 

この20日間の取り調べの中で,村木が最も衝撃を受けた検事の一言があった.

 

村木さん「『執行猶予がつけば,対した罪ではないじゃないですか?』と言われたんですよね.

すごい驚きで,私にとって大事なことは,自分がシロだって言ってもらえるのか,自分はクロだって言われちゃうのか,そこが一番大事なことだと思っていたので,『信じられない』って言って泣いて食ってかかって,『検事さんたちの感覚って狂っている』って」

 

村木は,検察に決定的な不信感を抱いた.

 

村木さん「やっと一日終わった.やっと二日終わった.三日だ.1週間たった.やっと半分来たっていう,壁のカレンダーを毎日ずっと眺めていて,壁に穴が開くんじゃないかって本気で,私,自分で心配するぐらい,壁カレンダーを眺めて暮らした.本当に長かったですね」

 

この絶望的な状況の中,村木を力づけたものがある.

家族が弘中弁護士に託した手紙だった.

「100%信頼しています!」

「いくらでも戦うからね!まかせて!」

 

やがて,家族の接見が許されると,下の娘が驚くべき行動をとる.

夏休みの間,わざわざ大坂の予備校に入り,1人暮らしをしながら,毎日,母親に会いに来たのだ.

 

取材者「驚きました?」

村木さん「『えっ.1人でこっち来て,やれるの?』って,それはびっくりしましたね」

取材者「でも,うれしいですよね」

村木さん「そうですね.なんか,普通の会話ができるって言うか.そもそも,誰とも話さないですからね.一日中.

その中で,家族と会って話ができるというのは,本当にほっとしますよね.娘は受験生だったので,『勉強やってんの?』とかですね.『その服どこで買ったの?』とかですね」

 

東京で,仕事を持つ夫とのコミュニケーションには,こんな方法がとられた.

 

村木さん「ほんとに結婚生活,もう長いんですけど,あの間だけですね,夫と文通しました.

こんな出来事があって,これが面白かったとか,この本はなかなか良かったとか,そういう話を.まあ,これ差し入れてねとかいう話も書きますけど.結構普通に文通してましたね」

 

そんな中,特捜部は,村木の起訴に踏み切った.(2007年7月4日.虚偽有印公文書作成・行使の罪)

しかも,否認を続けているという理由で,保釈は認められず,村木は拘留を延長された.

冷暖房のない終わりの見えない拘留.

心身ともに限界に達しようとしていたとき,

 

村木さん「あの---,ふっと,娘たちのために頑張らなくっちゃ,あの時お母さんも頑張ったから,私たちもきっと最後まで頑張りきれるって,やっぱり,娘たちが思えるような,そういう対応を,今回,自分がしとかなきゃと思ったんですよね.そう思った途端に,絶対自分大丈夫.絶対これで崩れることはない.最後まで---.結果は別として,自分はちゃんと頑張れるっていうふうに,自信持ったんですね」

 

村木は,弘中弁護士と共に,裁判への準備を開始した.