ホウレンソウ1/ナデシコ目の植物たち4-1. ホウレンソウの語源と歴史:「ほうれん(菠薐)」は,唐宋音で,ネパールの地名.イラン(ペルシア地域)が起源地で,文献に記載のある中国への伝来は唐代;唐の太宗の647年にネパールから献じられました.日本には16世紀ころ,東洋種が中国から渡来.一方,欧州では,11世紀にスペインに入り.16世紀にはほぼ全域に広がり,アメリカへ入ったのは19世紀初頭.

ナデシコが好きなこともあり,そして,ナデシコ目には,観賞用になっている草花,食べられる草花が結構あるような気がしていました.

 

ツルムラサキを取り上げたところ,これもナデシコ目.

ということで,ツルムラサキのブログで,ナデシコ目の主な植物をまとめ,

http://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2018/09/16/000335

以降,

スベリヒユ http://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2018/09/17/002914

ハゼラン http://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2018/09/29/005025

を取り上げてきました.

 

そして,今日からは,ホウレンソウ.

 (ナデシコ目,ヒユ科,ホウレンソウ属)

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http://www.japan-soil.net/BOOKLET/TK25/TK25_A4.pdf

と思い,調べ始めたのですが,なかなか,うまくまとめられません.

明日からゆっくり,ということにして-----

今日はホウレンソウの語源と歴史.

 

ホウレンソウの語源.

漢字では,菠薐草.

難しい漢字ですね.

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説では

ホウレンソウとは - コトバンク

:漢の時代に中国に伝播し,ペルシア(菠薐(ほうれん)国)から入ったので,菠薐草の名がついたという.

 

(法蓮草とあてているのを見かけたことがあります.ウェブ上にもちらほら.少しでも名の通った国語辞典には,掲載がない漢字です.現在の所,非公式な当て字と考えるべきでしょう)

 

日本国語大辞典小学館)では

:「ほうれん(菠薐)」は,唐宋音で,ネパールの地名.

「菠薐」がペルシャを意味するのか,ネパールの地名を意味するのかははっきりしませんが----

日本大百科全書(ニッポニカ)でも,ペルシャとは断言せず,

「『唐の太宗の647年にネパールから献じられた』と記述され」,と続けています(ホウレンソウの歴史 参照).

日本国語大辞典の記載で正しいようですね.

いずれにしても,中国で「菠薐草」と記述され,日本では唐宋音が用いられて,呼称が「ほうれんそう」となったということでしょうか.

 

英語ではspinach[spínitʃ]

この語源は,「古フランス語espinache;おそらく,ペルシャ語aspānāḵ⇒アラビア語を経由したことばから」とのことですが---

Middle English: probably from Old French espinache, via Arabic from Persian aspānāḵ.

https://en.oxforddictionaries.com/definition/spinach

この説明にも疑問点があるようです.

spinach | Origin and meaning of spinach by Online Etymology Dictionary

 

 

ホウレンソウの歴史

英語版/日本語版ウィキペディアにも歴史の記述がありましたが,より詳しく,文献もきちんと提示しているニッポニカよりホウレンソウとは - コトバンク

ほぼそのまま引用させて頂きます.なお,文章は,です/ますに書き換えました.

 

ホウレンソウの野生祖先種は,カフカスからイランの北西部にわたる地域に自生します.イラン(ペルシア地域)が起源地で,その後,イスラム教徒によって東西に伝播(でんぱ)しました.

西へは,11世紀までにスペインに,14世紀にイギリス,16世紀にはフランスほか全域に,そして,アメリカには1806年以後にヨーロッパから入りました.

東へは,シルク・ロードを経て漢の時代に中国に伝播し,ペルシア(菠薐(ほうれん)国)から入ったので,菠薐草の名がついたと言われます.しかし,10世紀ころの『唐会要』には,唐の太宗の647年にネパールから献じられたことが記述されており,実際には7世紀ころ唐の時代に渡来したものと思われます.

日本には『多識篇(たしきへん)』(1612)に「唐菜(からな)」の名で載るのが最初で,それによると,16世紀ころ東洋種が中国から渡来したことになります.

一方,西洋種は文久(ぶんきゅう)年間(1861~64)にフランスから導入されたのが最初で,その後,アメリカから明治初年に再導入されました.しかし,西洋種は日本人の嗜好(しこう)にあわず,その当時は普及しませんでした.[田中正武]

 

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