相模原事件1年後の視座(1)
作家 辺見 庸
2017年8月5日〜
山梨日日新聞 共同体の見えない“異界”
一年間とくとかんがえさせられた.いくつかの原稿を書き,本を読み返し,対話し,長いインタビューも受けた.
おぼろげながらわかってきたこと,まだ得心がいかないこと,いまさらにたまげたこと---が多々ある.
だれもが内心うろたえていた.どうじに,狼狽(ろうばい)をとりつくろおうとしていた.
事件の血しぶきにかすむ深奥の風景を,ほんとうのところは,だれしも見たがってはいないように思われた.
血しぶきのむこうに,ひょっとしたら,じぶんが,おのれに親しいものがたたずんでいるとでもいうように,正視をさけてきたふしもある.
事件と「楢山節考」
あのできごとでみながあわてたのは,流された血の多さからだけではない.
いわば,「われわれが『人間性』と呼んでゐるところの一種の合意と約束を踏みにじられ」たからなのである.
三島由紀夫のこのことば(1970年)は,むろん,重度障がい者事件についてかたられたのではない.
深沢七郎の名作「楢山節考(ならやまぶしこう)」(1956年)をはじめて読んだときの衝撃をつづったものであった.
しかし,不思議にも,このことばほど1年前の惨劇とそれをひきおこした青年へのおどろきをよくかたっているものはない.
つねひごろ,さほどの注意もはらわずに「人間性」とよんでいる暗黙の「合意と約束」は,このたびの事件ではげしく揺らいでよいはずのものであった.
だが,「人間性」という,うらづけのない「合意と約束」の内実が,事件後マスメディアなどできびしく掘りさげられたようにはみえない.
言うなれば,あってはならないこと,一般にはおきるはずのないことが,たまたまおきてしまった—と安易に処理されてしまった観がいなめないのだ.
つまりは,重度障がい者のみを選別的に抹殺しようとした,世界史的に特筆大書され,解析されなければならない事件が,マスコミ的日常の浅瀬に回収されてしまっただけではないのか.
(続く 予定)