ナビゲーター 沢尻エリカ
「もしある日,日本から石油がなくなったら,一体どうなるのか?その不安が現実になりかけた瞬間がありました.
1973年の『オイルショック』です.石油がなくなれば,車が止まる.待ちを照らす電気も---,消えます.そして,生活を支える品々が作れなくなり,産業も大打撃を受けます.
暮らしが立ちゆかなくなる.その不安が日本中をパニックに陥らせたのです」
http://www4.nhk.or.jp/anotherstories/#schedule-onair
語り 濱田岳
それは遠い外国の出来事の筈だった.
アラブ諸国とイスラエルの間で勃発した第4次中東戦争(1973年10月6日).このとき,アラブ諸国はある宣言を発した.
サウジアラビア王ファイサル
「アメリカがアラブに敵対し,イスラエルに武器を供与するならば,我々は石油を供給し続けることはできない」
「それまで安値で簡単に手に入った石油.だが今後は敵対する国には輸出しないという宣言だった.そして産油国の連合体であるOPEC(石油輸出国機構)は原油価格を一方的に70%も引き上げた.日本はアメリカの同盟国.だとするとこの先石油が入ってこなくなるかも」
するとまもなく主婦たちは奇妙な行動にとりつかれ始めた.トイレットペーパーを買い占め,更には,砂糖に塩,洗剤.果ては欲しいものがなくても行列に並ぶ始末」
映像 店の前に並ぶ主婦たち.
テレビアナウンサー「何買ったんですか?」
主婦1(腕に大きな紙袋を抱えながら)「なんか押されちゃって,---欲しいものはないんです」
主婦2「もう疲れますから止めようと思います」
このパニック.一体どこから広まったのか?
「運命の分岐点は1973年10月31日.この日,大阪のとあるスーパーマーケットに,トイレットペーパーを求める大行列が,突然現れました.そして,その現象は,あっという間に,全国に広がりました.OPECの発表から2週間.なぜ突然,この行列はできたのでしょうか」
NHKBSプレミアム 7月18日(火) 午後9時00分 アナザーストーリーズ 運命の分岐点
「オイルショック! 列島が翻弄された71日」
トイレットペーパー騒動に巻き込まれたスーパーの店員が第一の視点.
清水暉人(てるひと).
日用品販売を担当していました.突然殺到した客.
群衆の恐ろしさを目の当たりにした男のアナザストーリー
トイレットペーパー騒動の始まりとされる場所がある.大阪北部の千里ニュータウンだ.当時はやり始めた巨大団地の先駆け的存在.オイルショックの時,住民の数は13万人に膨れあがっていた.
町の中心,千里中央駅.改札を出て2階部分の通路を抜ける.そこから続く陸橋の向こうのスーパーマーケットこそ,あの騒動の現場だ(当時:大丸ピーコック).
ある日(1973年10月31日),開店前から突然,この大行列.
拡声器を片手に,その整理に当たったのが,清水暉人(スパーマーケット店員)だ.
清水さん「店に出勤したら,並んでおられて、みるみるうちに,開店前にもう100人が150人,200人と並ばれたんで,まあそこでもうビックリしたわけですね」
http://www4.nhk.or.jp/anotherstories/x/2017-07-18/10/18014/1453065/
押し寄せた客のただならぬ気配に,清水は圧倒された.
清水さん「(トイレットペーパーが)店頭から消えたら,陰で引っ張られて『明日の分は何時に入ってくるの?』とか,『うちの娘が怖いから,今日の一つだけは何とかしてよ』とか,いろんな方おられましたよ」
視点1 スーパーマーケットの店員 トイレットペーパー騒動の真実
突然,パニックの渦中に立たされた男が見た,あの騒動とは?
実は清水には,一つの記憶がある.
あの騒動の1週間ほど前,仲間のうわさ話に首をかしげたのだ.
清水さん「『トイレットペーパーが,売り切れている店があるよ』と.そういううわさは従業員やパートさんの情報で,我々の耳には入っていたんです.確かに我々も仕入担当でして,従来通りの発注をしても,その商品がなくて,潤沢に仕入れができていない状況にはありました.はい.それは確かに『何でかな?』っていう思いはあったんですけど---」
特段,事情もないのに,なぜかトイレットペーパーが売り切れているといううわさ.一体何が起きていたのか?
団地のサロン(ひがしまち街角広場)を訪ねると,当時からここに住んでいる主婦たちを見つけることができた.
実際に買いに言った方は?(5/5 女性4男性1))
「並んで買いに行きました」「みんな行ってますでしょ」「2個買って1個買って,3つ買った」
「他府県まで行ったもん」
他府県まで!?(笑い)
「会社の慰安旅行で,バスやで.バスでバーッと走って行くやんか.行った先でトイレットペーパーが売ってるところあるやんか.『あーっ,あそこの店で売ってるよ』言うて,買いよった.『この人,なんでそんな買うんやろ』って思われたと思うよ」
「トイレットペーパー買うのに,すごい並んではるよって言うから,それを野次馬根性でその行列を走って見に行きました」
そもそも何が始まりだった?
「あの大丸に並ぶ前からでしょ?」「あれは後から」
「北町が一番---」「北町の八百屋さんの話からね」
(映像 「広報とよなか」より北町市場)
主婦たちが夕飯の買い物をしていた北町の八百屋で,あるうわさが流れたという.
その瞬間を目撃した赤井直(すなお)さん.
赤井さん「世間話をしながら,買い物してたわけですよね.そこで買い物をしている時にあるお客さんが来て,『石油で,オイルショックでえらいことに世の中がなってるな』と.『今年の冬は,灯油もないかもわからへんよ』っていう話をしながら,
『あっ,そういえばトイレットペーパーもなくなるねんて』って話をしてて,
『へー,そうなん』とか,何人も不特定多数の人がよって(集まって),『えー,そんなことあるの』って言って,聞いた人はすぐに雑貨屋さんに行って,トイレットペーパー買って帰りはった.
まだその時は雑貨屋さんにトイレットペーパーがあったんだから」
お気づきだろうか?大事なのはオイルショックからトイレットペーパーにつながるくだり.
「『石油のオイルショックでえらいことによのなかなってるな』と『今年の冬は,灯油もないかもわからへんよ』っていう話をしながら,『あっ,そういえばトイレットペーパーもなくなるねんて』って話をしてて,『あっ,
そういえば
トイレットペーパーもなくなるねんて』って話をしてて,---」
“オイルショックで灯油がなくなる” という話から,
『そういえば』という連想で,
トイレットペーパーが持ち上がったことがわかる.
だが何故トイレットペーパーだったのか?
(新聞記事映像:新聞の見出し「紙節約運動広げる 中曽根通産相」「教科書が作れない!?紙不足,シワ寄せ深刻」)
実は1年ほど前から,木材の価格が上がっており,今に深刻な紙不足が起きるという不安のもと,節約のお願いが報じられていた.
それは千里の住民にとって無視できない不安だった.
千里の団地のトイレは当時では珍しい水洗式.普通の紙では詰まってしまうとあって,トイレットペーパーがなくなることは,住民の恐怖だったのだ.
主婦たちは,八百屋でのうわさ話から,トイレットペーパーを買い始めた.
だがっ----.
この行動が,偶然にも紙不足の実例として新聞に載ってしまう.
(新聞記事映像:朝日新聞大阪版1973年10月24日見だし「ちり紙品薄 値上がり続く 春のほぼ二倍高値 夕方には売り切れも」)
更に悪いことに,なんと---.
♪六甲おろしに----
翌日のラジオで読み上げられてしまった.
しかも読み上げたのは「鋭ちゃん」の名で親しまれる人気絶大なラジオパーソナリティー中村鋭一.
彼も千里に住んでいたため,地元の話題を取りあげたのだ.
「鋭ちゃんの放送はずっと聞いてましたからね」「朝6時ぐらいから」「6時30分からずーっと」「9時半までやって,9時半からキダ・タローがやってる」
「六甲おろしが有名になったのは鋭ちゃんやもんね」
「きっとそれはもう,聴いてた人が,ものすごく沢山聴いてたと思う.あのラジオ放送はね.聴いてた人,ものすごく多いから.それは思います.それでいっぺんに広がっていると思う」
その反響に何より驚いたのは,この記事を書いた本人だった.
(新聞記事映像:朝日新聞大阪版1973年10月24日見だし「ちり紙品薄 値上がり続く 春のほぼ二倍高値 夕方には売り切れも」)
元新聞記者の吉村文成(ふみしげ).現在は自宅で喫茶店を営んでいる.
あの記事は泊まり明けの日,たまたまデスクに言われ取材したという.
吉村さん「『おまえ,ちょっと千里に行ってこい』と.『スーパーのトイレットペーパーがなくなっているらしい』という話を言ってきたんです」
なぜ千里の主婦の情報が新聞社に上がってくるのか,不思議なんですが.
吉村さん「そのデスクはそっちの方(千里)に住んでいました.だから,ニュース源はわかりませんが,奥さんなり家族の方なりが,こういうことがありますよと,多分話したんだと思いますよ」
地方版の小さな記事.だがそれがうわさに変わるのは暮らしに関わることだけに早かった.
あのスーパーに行列ができる前,まず客はこの薬局に押しかけた.
(薬局の映像)
元店員原田さん「最初---,何の前触れもないのに,お店来たらなんか外が騒々しいなと思ってて--、シャッターをバッと開けたら,もう行列です.お客さんが.『トイレットペーパー,トイレットペーパー』言うてね」
客の不安は従業員にも伝染し,店は店でパニックになった.
原田さん「従業員の方もビックリしてね.ご自分の分だけ(トイレットペーパーを)バーッとよけはったら,社長が『そんなことしたらいけない.お客さんが大事だ』とおっしゃたら,『従業員である前に,いち消費者です』って」
従業員の方が,トイレットペーパー欲しくて?
原田さん「そうです.売るより自分の方が先!そんなこと言っていいのかな?」
現社長笹川悦子さん「ウソつかんと,覚えていること言って下さい」
原田さん「ホンマのことです.で社長がなだめて,こうやってらしたですけどね」
そして運命の1973年10月31日.
(映像 大丸ピーコック前の行列)
その日は月に2回の特売日.
くしくもこの日の目玉商品が,トイレットペーパーだった.
元店員清水さん「毎週水曜日に特売チラシを入れるわけですけど.その時にトイレットペーパーの安売りとうことで,広告入れたわけですね.いつもなら,別にそんなんでお客さんが行列されることはないんですけど,店出勤したら並んでおられて,聞いたら
『トイレットペーパーが今日特売でピーコックにはあるということを聞いたから来たんや』.
そうしたら,みるみるうちに開店前に,もう100人が150人,200人となって並ばれたんで,まあそこで,ビックリしたわけですね」
http://www4.nhk.or.jp/anotherstories/x/2017-07-18/10/18014/1453065/
特売用の品は,一ヶ月前から発注するため,大量のトイレットペーパーを清水たちは確保していた.
「安い.しかも大量にある!」.あっという間に,特売の700パックは完売した.
すると
清水さん「どんな商品でも構わないから.トイレットペーパーちょうだい」っていうお客さんがたくさのられた.『じゃあ,いつもの値段の商品ですが』ということで,買いもとめていただいたんですけども,またそこへも殺到される.そのことを報道の方が見て,『100円のトイレットペーパーがあっという間に○○円』というような新聞記事が出たわけですね」
(映像 11月2日毎日新聞 トイレットペーパーやちり紙 「買いだめ騒ぎ 広がる」)
記事によれば,「1個138円だったのに,品切れを理由に200円」.値段がみるみるうちに上がっているという印象を与えた.
それから一ヶ月.清水はトイレットペーパーの仕入れに奔走し続けることになった.
清水さん「入荷する予定が把握できている分に関しては,整理券を渡して,そうすると,あの,『今日は入ってくるの4時頃ですから,この整理券をお持ち下さい』というようなことで,混雑を少しでも和らげるようにした.とりあえず,紙を沢山仕入れる.お客さんになんとか供給したい.その事ばっかり考えていましたね.ご不便をおかけしたらいけない,とそういうようなことばっかり.小売りの使命ですからね」
千里の行列がニュースで流れると,この騒動は東京など,全国に拡大した.
そこには水洗トイレとは無縁な人々も多く含まれていたはずだ.
さらに塩,砂糖,洗剤など,あらゆるものがなくなるといううわさが乱れ飛んだ.
ついには,85歳の女性が,殺到する客に押しつぶされ,足を骨折する事件まで.
(毎日新聞 11月3日)
当時の新聞の投稿欄からは主婦たちの不安が読み取れる.
「買いだめすれば,ものがなくなることはわかっているの.でも心配で心配で」
「空っぽの棚を見たらゾーッとしたわ」
「ご近所の奥さん方が,トイレットペーパーやお砂糖なんかを重そうに抱えて帰ってくるでしょ.その姿見たら,じっとしていられなくなるんです」
「こんなにみんながつめかけて騒いでいるのみると,とても安心して家へ引き返せない」
一ヶ月後.
騒動がようやく収まった頃.
清水は思いがけない所から呼び出しを受けた.清水たちが値段をわざとつり上げたために騒動になったのではないか,という疑いをかけられたのだ.
清水さん「公正取引委員会から呼び出しを受けて,資料をいっぱい持ってご説明に行くとか,国会の通産の方から資料を出しなさいとか,色々,ヒアリングなり,資料の提出はありました.まあ,別におとがめも何もないですから.こっちも正々堂々としてました」
清水にとってはとんだとばっちりだった.
「トイレットペーパーを皮切りに,あらゆるものがなくなるという不安が広がったオイルショック.
でも----.
(後略)